第112話 二人目の証言
「待ってください」
包みに触れる前に、サラがそう言った。
俺は手を止めた。
サラは机に半歩近づき、灰色の紙包みにそっと手をかざした。
害のある祈りや細工がないか、息を整えて確かめる。
バルドはその間に扉の前へ立つ。
左足を半歩前へ出し、肩を開きすぎない。
誰かが急に入ってきても、部屋の中へ入る前に止められる位置だ。
テオは机の端から包みの形を見ていた。
「紙の巻き方は崩れていません」
「どういう意味だ」
バルドが聞く。
「これを持ってきた者は、途中で投げたり雑に扱ったりしていない、確実にここへ届けるのが目的です」
サラが目を閉じたまま答える。
「害する為の祈りは薄いです。呪いも、痛めるための細工も感じません」
「薄いってことは、ゼロじゃないのか」
「触った人の気配を消すような、整え方だけあります。追わせるけれど、送り主までは掴ませたくない。そんな感じです」
「徹底してるな」
俺は扉の外にいる下役人へ目を向けた。
「置いていった相手は」
「顔を見せませんでした。声も低くしていて、男か女かも……」
「他には」
「残るもう一人の件だ、とだけ」
下役人は肩をすくめた。
本当にそれしか聞いていない顔だった。
「分かった。しばらく廊下から離れててくれ。ここへ来たことも、今は誰にも話すな」
「は、はい」
扉が閉まる。
足音が遠ざかったのを確かめてから、俺は包みへ手を伸ばした。
紙を解く。
中から出てきたのは、折りたたまれた紙が二枚。
それと、欠けた蝋印のかけら。
さらに、細い紙片が一つだった。
「蝋印」
テオがすぐに身を乗り出した。
欠けた赤い蝋の端には、押しつけられた紋の一部が残っていた。
完全な形じゃない。
だが、羽根のような細い線と、縦に伸びる穂のような刻みは見える。
「家印の一部か」
俺が言うと、テオがうなずく。
「可能性は高いです。
しかも、急ごしらえの偽物ではありません。
少なくとも、安い裏細工で作れる感じじゃない」
サラは細い紙片を見て眉を寄せた。
「これは役所の紙ですか」
「商人の荷札にも見えるな」
バルドが言う。
「いや」
テオは首を振る。
「切り方が違います。
商会の現場札より細い。
仮受けか、控えの切れ端に近いです」
俺は先に折りたたまれた紙を開いた。
字は整いすぎず、崩れすぎず。
癖を消した字だ。
目立たないように書いたのが分かる。
短い文が並んでいた。
『残る一人は、自分の足で歩いた』
『歩かされた、と言い換えてもいい』
『表の宿には入っていない』
『印は三度使われた』
『一度目は通し』
『二度目は受け取り』
『三度目は徴税控え』
『顔より印が先に使われた』
『追うなら金を見ろ』
部屋の空気が変わった。
最初に口を開いたのはバルドだった。
「顔より印が先、か」
「ああ」
俺は紙を机へ置く。
「本人を表へ出さずに、家の印だけ使ったって意味だ」
サラの顔が曇る。
「生きているから使えるのか。それとも、もう本人はいなくても印だけ残っているのか」
「そこは、まだ切れません」
テオが静かに言う。
「でも三度という数は重いです。一回だけではない。同じ印を、別の段取りに繰り返し使っている」
俺はもう一枚の紙を開いた。
そっちは文ではなく、短い言葉が並んでいた。
日付。
数字。
簡単な記号。
それから、三つの丸印。
「これは」
「控えです」
テオがほとんど即答した。
「正式帳簿そのものではありません。帳簿へ写す前に、数字だけ先に並べる時の置き紙です」
「そこまで分かるのか」
バルドが聞く。
「王都の実務は、きれいに整えすぎる癖があるんです。数字の並べ方に、人が出る」
テオは紙を持ち上げ、光へ透かした。
「しかもこれ、商人が荷につける札とは作りが違います。役所の実務で使う控えや伝票に近い紙です」
サラが最初の紙へ目を戻した。
「一度目は通し。二度目は受け取り。三度目は徴税控え」
「ただ隠しただけじゃない」
俺は言った。
「隠しながら、何かを通した」
「荷か、金か、人か」
バルドが低く言う。
「そのどれかだ」
俺の頭に、さっき見た染物小屋の長椅子と毛布が浮かぶ。
一人は手当てされていた。
生きたまま移された形跡があった。
だが、それと同じやり方をもう一人にも使ったとは限らない。
「三人とも、同じ使われ方をしてないな」
「そうですね」
テオがうなずく。
「一人は王都側が押さえた。残る二人は消息不明。けれど実際は、同じ流れで消えたわけじゃない」
サラが小さく息を吐く。
「最初から役割で分けていたのかもしれません」
「あり得る」
俺は言う。
「口を持ってるやつ。家の印に価値があるやつ。生かして運ぶ価値があるやつ。向こうは、そうやって分けてる」
バルドの眉が寄る。
「人を荷物より細かく仕分けてやがるな」
「人として見ていないからできます」
サラの声は静かだったが、冷たかった。
俺は細い紙片を指先でつまんだ。
端に残った記号は、途中で切られている。
全部は分からない。
だが、意図は見える。
こっちに全部を渡す気はない。
それでも、次に掘る場所だけは間違えさせない。
「王都側の窓口を呼んでくれ」
俺が言うと、バルドはすぐに扉を開いた。
数刻もせず、地味な服の実務官が詰め所へ入ってきた。
派手さのない男だ。
だが、袖も靴もきれいで、机に向かう人間の動き方をしている。
「急ぎと聞きました」
「これを見てくれ」
俺は細い紙片と、数字が並んだ紙を渡した。
実務官は最初こそ怪訝そうだった。
だが、二息ほどで目つきが変わる。
「……どこで、これを」
「拾った場所はまだ伏せる」
俺は先に言った。
「まず、何かだけ答えてくれ」
実務官は短くうなずいた。
「これは正式帳簿ではありません。
徴税整理の前段に使う仮の控えです」
「役所の紙か」
「ええ。少なくとも、商会単独では持てません」
テオがすぐに続ける。
「北側ですか。南側ですか」
「北側に近い」
実務官は紙片の端を見た。
「記号の残り方がそうです。それと、この数字の切り方。三つとも、一件ごとを小さく見せる時の並べ方です」
「小さく見せる」
バルドが聞き返す。
「一度に見れば大きい金でも、三つに割れば確認が浅くなるんです」
「つまり」
俺は紙へ目を落とした。
「通し。受け取り。徴税控え。その三つに分けて、別の金に見せた」
「その可能性が高いです」
実務官が答える。
テオはすでに、机の上に広げていた移送記録の写しへ手を伸ばしていた。
紙を並べ替える。
日付をそろえる。
数字の位置だけを追う。
「ここです」
「あったか」
「はい。この日だけ、通しの数と受け取りの数がきれいすぎる。最初から合っていたんじゃない。あとから合わせています」
実務官も横から覗き込んだ。
「……本当だ」
「しかも雑じゃない。慣れた手です」
テオの声は冷えていた。
「帳簿を知っている人間がやっています」
サラが最初の紙へ視線を落としたまま言う。
「残る一人は、自分の足で歩いた。歩かされた、と言い換えてもいい」
「手当てした上で、運べる状態にしたってことだろうな」
バルドが言う。
「生きたままな」
俺はうなずいた。
「一人は雑に消される側じゃない。少なくとも、その時点ではまだ使い道があった」
「家の印を押させるためですか」
サラが聞く。
「それもある」
俺は蝋印の欠けらを見る。
「でも、それだけじゃない」
紙に書かれていた一文。
追うなら金を見ろ。
それが引っかかっていた。
「人を隠した先じゃなく、人を使って通した金の口。こっちはそこを見ろって言ってる」
実務官が顔を上げる。
「この控えを寄越した相手は、帳簿の流れを知っています」
「知ってるだけじゃない」
テオが言う。
「この切れ端を選んで渡しています。全部ではなく、これだけで足りると分かっている」
「こっちの動きも読んでるってことか」
バルドが腕を組む。
「そうです」
俺が答えた。
「向こうは、こっちが何を拾えば次に進めるか分かってる」
サラが小さく言う。
「味方でしょうか」
「まだ言えない」
俺は首を振る。
「ただ、腐敗組織の側なら、こんな渡し方はしない」
「嵌めるための餌って線は」
バルドが聞く。
「ゼロじゃない」
俺は正直に言った。
「でも、嵌めるならもっと派手にする。これは逆だ。必要な物だけ置いて、残りは隠してる」
テオが紙片を指で軽く叩いた。
「表に出られないか、出る気がないか」
「そのどっちかだな」
俺は包みの外紙を見る。
紙はありふれている。
紐も安い。
でも巻き方だけは丁寧だった。
雑に投げた人間の手じゃない。
「こっちを使う気だ」
バルドが俺を見る。
「ああ」
「善意か」
「違う。善意だけなら、もっと早く名乗ってる」
俺は答えた。
「でも敵でもない。少なくとも今は、腐敗組織を削るためにこっちへ材料を渡してる」
実務官が低い声で言う。
「帳簿を洗えば、転記先が残っているかもしれません」
「消されていても、痕はあるな」
テオがすぐに返す。
「数字は一度通れば、完全には消えません」
「今夜のうちに洗えるか」
俺が聞くと、実務官は少しだけ黙った。
それから腹を決めた顔でうなずく。
「最初の山までは」
「頼む」
俺は立ち上がった。
机の上には、欠けた蝋印。
役所の紙片。
数字の控え。
そして、顔を隠した誰かが残した短い文。
二人目の居場所そのものは書かれていない。
だが、それで十分だった。
これで分かる。
残る二人は同じように消えたわけじゃない。
三貴族は、逃亡者として処理されたんじゃない。
使える順に、別々の段取りへ押し込まれた。
その上で、金の流れまで作られている。
「テオ」
「はい」
「移送記録と徴税の抜けを重ねてくれ。数字が合いすぎてる日から洗う」
「分かりました」
「サラは、確保済みの一人が話した家印の特徴をもう一度整理してくれ。今日の封に残った蝋印と重なるところを見たい」
「はい」
「バルドは出入りを止めてくれ。今日この詰め所へ入った人間を、下役まで含めて全部拾う」
「任せろ」
「実務官殿」
俺が向き直ると、相手もすぐ背筋を伸ばした。
「北側の徴税整理で、数字の消し方が似てる日を全部持ってきてくれ」
「今夜中に」
「できる限りでいい。でも、最初の一枚は外すな」
「承知しました」
皆が動き始める。
部屋の空気が、追跡から照合へ切り替わっていく。
さっきまで追っていたのは裏町の角だった。
でも、もう違う。
見えない誰かが渡してきたのは、隠れ家の場所じゃない。
もっと奥だ。
人を隠した先ではない。
人を使って金を通した先。
帳簿の奥。
王都の表の中だ。
俺は細い紙片を指で押さえた。
端に残った数字は小さい。
なのに、その先につながる穴は深かった。
「次は裏町じゃない」
自然に、そう口に出ていた。
「敵は、帳簿の中にいる」




