第105話 口を閉ざされた証言
西棟の部屋を出ると、実務官はもう廊下の先で待っていた。
急ぎの話を持ってくる時の立ち方だった。
「準備はできています。ただ、長くは持たないそうです」
「分かりました」
俺がうなずくと、横でサラがすぐに言った。
「急がせすぎないでください。無理に話させると、必要なところから先に崩れます」
「分かってます」
「本当にですか」
「今日は最初に水も飲みました」
「それは最低限です」
バルドさんが鼻で笑う。
「最低限でも守れるようになったなら進歩だな」
「褒められてる気がしないんですが」
「そこは諦めろ」
少しだけ空気がゆるんだ。
でも、実務官が歩き出すと、全員すぐ仕事の顔に戻った。
案内されたのは、西棟の奥まった一室だった。
机が一つ。
椅子が三つ。
壁際に水差しと木杯。
窓には厚い布が掛けられていて、昼でも部屋の中は暗い。
扉の前で、実務官が声を落とす。
「見張りは外に置いてあります。中に入るのは皆さんだけです。顔色が悪いので、今日は途中で切るかもしれません」
「寝不足ですか」
サラが聞く。
「寝不足に加えて、消耗も重なっています」
「では最初に水を飲んでもらいます。質問はそのあとです」
サラは返事を待たず、一歩前へ出て扉を開けた。
部屋の奥に、若い男が一人座っていた。
服は良い物だと分かる。
けれど皺が多く、袖も乱れていた。
背筋を伸ばしているわけでも、椅子に体を預けているわけでもない。
逃げるか、縮こまるか、どちらにも動けるような半端な形で固まっている。
俺たちが入ると、男は勢いよく顔を上げた。
目の下が濃い。
まともに休めていない顔だった。
そして、最初にこう言った。
「あそこから、オレを連れ帰ってきてくれたのは、お前らだろ」
「そうだ」
俺は男を見た。
「覚えているか」
「覚えている。北の濁りの現場でも、お前たちが助けに来てくれていたな」
そこまで覚えているなら、話は早い。
少なくとも、こっちを敵と決めて黙り込む状態ではなかった。
俺はそのまま聞いた。
「なら聞く。どうしてそんな流れになった」
男はすぐには答えなかった。
サラが机の端に木杯を置く。
「先に水をどうぞ」
男は木杯を取り、一気に飲み干した。
喉が鳴る。
水を飲んでいるだけなのに、時間を稼いでいるのが分かった。
しばらくしてから、男が低く言う。
「……オレが本当のことを話したら、その後はどうなる。処分されるのか」
俺はまっすぐ答えた。
「少なくとも、俺はその必要を感じていない。ただ、裁くかどうかは国が決める」
バルドさんが壁際で腕を組んだまま言う。
「何も話さなくても違法は違法だ。だが今のままなら、国に逆らう連中をかばっている分まで見られるぞ」
テオさんが記録板から目を上げる。
「今は、事実を話すのが一番自分の身を守ります。話が残れば、少なくとも勝手に書き換えられにくい」
そこでサラが黙って木杯に水を注ぎ足した。
それを男の前へ静かに戻してから、はっきり言う。
「男爵にすべてを話しなさい。ここで話すことが、自分を守ることにつながるわ」
男は木杯を見た。
それから、ようやく小さく息を吐いた。
「……濁り戦で功績を立てれば、出世できるって言われた」
「誰にですか」
俺が聞く。
「名前は知らない。でも、ただの荒くれじゃない。こっちが欲しい言葉をよく知ってた。手柄を立てれば戻せる。失った立場も、家の中の席も取り返せるって」
追い詰められた人間に、それは効く。
自分でもそう思った。
テオさんが書きながら聞く。
「三人とも、同じ話を聞いていたのですか」
「細かいところまでは知らない。でも、だいたいは同じだと思う。濁り戦で目立てば流れが変わる。上へ戻れる。そう言われてた」
「信じたのか」
バルドさんが短く聞く。
男は少しだけ顔をしかめた。
「信じたかったんだよ。このまま沈むよりはましだと思った」
それは情けない言い訳にも聞こえる。
でも、本音でもあった。
俺は話を先へ進めた。
「途中で話が変わったんだな」
男はすぐにうなずいた。
「最初は三人まとめて助けるみたいな話だった。でも、途中から別々に動けって言われた」
「別々に」
テオさんが確認する。
「そうだ。王都へ戻す前に、別口へ回すって」
「どこへ」
俺が聞く。
「そこまでは聞かされてない。でも、助ける流れじゃなかった」
男の声が少しだけ強くなる。
「隠す流れだった。人目につかないところへ回して、そのまま消すつもりなんじゃないかって思った」
ここではっきりした。
三人は勝手に逃げて好きに動いただけじゃない。
誰かに誘導されていた。
しかも、最後まで守られる駒じゃない。
テオさんが一枚めくる。
「扱いが変わったきっかけはありましたか」
男の肩がぴくりと動いた。
「……見たんだ」
「何をですか」
「黒い板みたいな物だ」
俺は表情を変えないようにした。
ここで反応すると、男がまた固くなる。
男は続ける。
「拉致されたあとだ。王都へ戻す前に、別口へ回されていた時に見た。布に包まれてた。薄くて、硬かった。木でも鉄でもない感じだった」
「一つだったのか」
バルドさんが聞く。
「そこまでは分からない。ちゃんと見られなかった。でも、運んでるのを見てから空気が変わった」
「どう変わりましたか」
テオさんが重ねる。
「見張りが増えた。食事を運ぶ奴も変わった。今までは、これをやれば戻れるって言ってたのに、急に余計なことを考えるなって」
男は木杯を握る手に力を入れた。
「そこで分かった。オレたちは、利用するために近づかれただけだ。用が済めば消されるし、邪魔になれば処分される」
『十分です』
リラが頭の奥で言う。
『この人は計画の中心ではありません』
俺も同じ判断だった。
俺は話を整理して口に出した。
「確認する。お前たちは、濁り戦で功績を立てれば出世できると吹き込まれた。でも実際は、王都へ戻す前に別々に回される話へ変わった。そのあと、お前は移送の途中で黒い板のような物を見た。それから扱いが変わった。ここまでは合っているか」
「……合ってる」
「別々にされたあと、他の二人とは会っていないんだな」
「会ってない」
テオさんが静かに言う。
「なら、この男が見たことは他の二人には伝わっていない可能性が高いですね」
俺はうなずいた。
「それに、残る二人がその場で処分されたと決めつけるのは早い。まだ駒として使えるなら、別口へ回す方が自然だ」
バルドさんが低く息を吐く。
「嫌なやり方だな」
男は肩を落とした。
「やっぱり、そうか」
「個人の逃亡で終わる話ではありません」
テオさんは続ける。
「誘導した側が別にいると考える方が自然です」
バルドさんが低く言う。
「男が見た板と、王都北外れに埋まってた板は別物だろうな」
「はい」
俺はうなずいた。
「でも、同じ系統なら話は変わります。この男が板を見た時には、王都北外れの板はもう先に埋められていた可能性が高い。別々の場所に同じ系統の物が置かれていたなら、誰かが意図して動かしている」
「三人そのものより、三人を動かした側を追うべきです」
その言葉に、男が顔を上げる。
「……じゃあ、オレは」
助かるのか。
それとも、まだ利用されるだけなのか。
聞きたいことはそこなのに、最後まで言い切れない顔だった。
先にサラが答える。
「今日はここまでで十分です。無理に全部を思い出さなくていいわ。体が先に落ちたら、次の話もできなくなるもの」
男の肩から少しだけ力が抜けた。
実務官もその場でうなずく。
「部屋の管理は続けます。人も絞ります。次が必要なら、こちらで整えます」
俺は最後に一つだけ言った。
「思い出したことがあれば、次に話してくれ。今は休め」
男は疲れた顔のまま、それでも俺を見た。
「……次はあるのか」
「ある。作る」
それだけ答えて立ち上がった。
部屋を出ると、廊下の空気が少し冷たく感じた。
楽になったわけじゃない。
むしろ、やることがはっきり増えた。
「進みましたね」
サラが小さく息を吐く。
「はい。三人は主犯じゃない。そこはかなりはっきりしました」
「黒い板を見たあとで扱いが変わったのも大きいです」
テオさんが記録板を持ち上げる。
「証言として押さえる価値は十分あります」
バルドさんが廊下の先を見たまま言う。
「相手が口を閉じさせたがるなら、物も隠したがる。急いだ方がいいな」
「俺もそう思います」
西棟の部屋へ戻ると、机の上の受領札が真っ先に目に入った。
王都北外れで回収した黒い板。
前から残っていた人工物の欠片の記録。
東と西から届いた小規模異常の報告。
そして、今取った証言。
証言の男が見た板と、俺たちが北外れで回収した板は同じ物そのものじゃないはずだ。
でも、同じ系統なら話は変わる。
片方は運ばれていた。
片方は石畳の下に埋められていた。
別々に置かれた同じ系統の物なら、偶然では済まない。
『次は物証です』
リラが言う。
『証言だけでは逃げ道が残ります。黒い板と過去の欠片を並べて、同じ系統かどうかを確かめましょう』
「明日、研究窓口ですね」
テオさんがすぐに反応する。
「はい。後回しにしたくないです」
「私もです」
サラが受領札を見る。
「人は黙ります。でも、物は残ります」
「しかも、消される前に押さえたい」
バルドさんが机の端を軽く叩く。
「急ぐ理由は十分だ」
俺は紙を一枚引き寄せて、短く書いた。
三貴族は駒。
黒い板あり。
証言と異常がつながった。
次は物証確認。
次にやることは、もう決まっている。
三人の貴族を追うだけでは足りない。
濁り戦で手柄を餌にし、王都の中で異常を起こし、黒い板を運ばせ、知られたあとで口を閉じさせようとした側がいる。
そいつらを追うには、人の証言だけでは弱い。
机の上の受領札を見ながら、俺は息を吐いた。
明日は黒い板を調べる。
そこで同じ流れが出るなら、この事件はもう逃げた貴族三人の話では終わらない。
王都の中にいる誰かが、濁りを起こしやすくするために動いている。
その証拠が、もう目の前まで来ていた。




