第103話 送る線と、迎える線
「遅くなりました」
「村から、合流しました」
扉を開けたサラは、旅埃を払うより先にそう言った。
そのまま一歩だけ部屋へ入る。
目はもう、俺の顔を見ていた。
「それと、来る途中で教会の伝達を受けました」
やっぱり軽い話じゃない。
俺が口を開く前に、サラは続けた。
「王都北外れの祈り灯が、一基だけ痩せています。祈りを足しても戻らないそうです」
西棟の部屋の空気が一気に張った。
王都北外れの祈り灯が一基だけ痩せている。
サラの報告を聞いた瞬間、頭の中で王都北の地図が重なった。
場所は分かる。
でも、灯が本当にどこまで痩せているかは、まだ現場で見ていない。
「もう来たか」
バルドさんが低く言う。
「こっちが腰を据える前に、ですね」
テオさんも紙から顔を上げた。
俺はサラを見る。
「被害は」
「まだ大きくはありません。でも、灯の下で見張っていた神官が言っています。“祈りが届いている感じがしない”と」
それは嫌だった。
灯が弱るだけなら、手入れ不足やマナ石の消耗でも起きる。
でも、祈っても戻らないなら話は別だ。
「行きます」
そう言った瞬間だった。
「行くのはいいですけど、その前に水です」
サラが真顔で机の上を指した。
「え?」
「少し無理をしましたね。
見れば分かります」
テオさんが小さく息を吐く。
「到着して五呼吸で役目を果たしましたね」
「見れば分かりますから」
サラはまったくぶれなかった。
「よく動いたあとの張りが残っています」
「……そんなにですか」
「動けなくなるほどじゃありません。
でも、使った分はちゃんと体に出ています」
俺は黙った。
バレるのが早い。
バルドさんが腕を組んだまま笑う。
「助かるな。
そういう役、今のこいつにはいる」
「……分かりました」
木杯の水を一気に飲む。
サラはそれを見届けてから、ようやく少しだけ表情を緩めた。
「はい。
それでいいです」
ガランさんが村へ戻って、背中側の重しが一枚外れた気がしていた。
でも、その空いたところに別の支えがすっと入ってきた。
《鎚灯り》が、王都でようやく揃ったんだと、その時に実感した。
「方針を決めます」
俺は机の地図を引き寄せた。
「目的は二つ。北外れの祈り灯の異常確認。それから、人工物の線と繋がるかの確認」
「現場で戦闘が起きる可能性は」
テオさんが聞く。
「低い。でもゼロじゃないです」
「なら前は俺が持つ」
バルドさんが即答した。
「私は灯の維持と浄化を見ます」
サラが続く。
「石や土台の状態は私が見ましょう。王都の道は、土より石のほうが面倒です」
テオさんらしい言い方だった。
俺はうなずいた。
「俺は線を見ます。前へ出るのは、落ちる人が出る時だけです」
サラの目が細くなる。
「言いましたね」
「言いました」
「あとで変えないでくださいね」
「……努力します」
「努力じゃなくて守ってください」
強い。
でも、そのくらいでいい。
王都は森より見えにくい。
だからこそ、こっちの足を見てくれる人間がいるのはありがたかった。
北外れへ向かう道すがら、俺はようやく三人の“王都側の顔”を知ることになった。
最初に道を選んだのはテオさんだった。
「正門通りは遅いです。巡回と荷馬車が多い。学院横の裏道を抜けます」
「詳しいですね」
「一応、戻る席だけはありますから。休学中の伯爵家三男です」
軽く言ったけど、軽い話じゃない。
「王立学院のほうが、王都の地図より頭に入っていますよ。嫌な記憶も込みで」
「嫌な記憶込みって言い方、だいぶ苦いですね」
「苦くない学院生活なんて、たぶん贅沢です」
その隣で、バルドさんは肩をすくめた。
「俺はギルド訓練班上がりだ。北側の詰所にも、顔見知りが何人かいる」
「じゃあ、通りやすいですか」
「通りやすいのと、面倒が減るのは別だ」
それはそうだ。
最後にサラが前を見たまま言う。
「私は王都大教会の分院にいたので、祈り灯の配置はだいたい分かります。北外れは古い灯が多いんです。だから、ただの老朽化なら逆に話が早いんですけど……」
「今回は違う気がする」
俺が言うと、サラはうなずいた。
「私もそう思います」
村では俺が線を見て、みんながその先を支えてくれた。
でも王都では違う。
この三人のほうが、この街の癖を知っている。
それが少しだけ心強くて、少しだけ悔しい。
いや、悔しいは違うな。
頼れる、が近い。
北外れの祈り灯は、石造りの細い水路の脇に立っていた。
人通りの多い大通りではない。
荷運びや裏方の出入りが多い、半端な場所だ。
だからこそ、異常があっても大騒ぎになりにくい。
灯のそばには若い神官が一人。
その後ろに、荷車引きのおじさんが二人。
不安そうな顔で灯を見上げていた。
「ああ、来てくださったんですね」
神官が頭を下げる。
「教会から聞きました。祈っても、こうで……」
近づいて見る。
光は消えていない。
でも、芯が痩せていた。
灯の上にあるはずのやわらかい広がりがなく、糸みたいに細い。
祈り灯の線は、ふつうは周囲から少しずつ寄ってくる。
水を張った皿に、静かに水が足されるみたいに。
でもここの灯は違った。
寄ってきた分が、そのまま横へ逃げている。
「……流れてる」
「どこへ?」
サラが聞く。
俺は灯の土台から、石畳の下へ視線を落とした。
「下です。水路の脇。たぶん、吸われてる」
テオさんが膝をつく。
指先で石の継ぎ目をなぞり、そっと風を流した。
細い砂と埃が一筋だけ、右へ吸い込まれる。
「空洞がありますね。自然な抜けじゃない」
「人工物か」
バルドさんが前へ出る。
「その可能性が高いです」
俺は灯の脇へしゃがみ込んだ。
石畳は三枚。
中央だけ、ごくわずかに沈んでいる。
でも踏んだら分かる程度じゃない。
見慣れてなければ、まず気づかない。
「開けます」
「待ってください」
サラが俺の肩を軽く押さえた。
「あなたは真ん中に行きすぎです」
「いや、まだ行ってませんよ」
「行く顔をしています」
なんでそこまで分かるんだ。
バルドさんが前へ出て、大盾を少しだけ斜めに構える。
「なら順番だ。俺が前。テオ、石を浮かせられるか」
「少しなら。でも下で何か弾けたら、正面から受けないでくださいよ」
「分かってる」
「本当にですか?」
「お前は心配が細けえな」
「細くないと生き残れません」
そのやり取りが少しだけ空気を軽くした。
俺は灯の横へ回る。
右足を石畳の固い帯に置く。
左足はまだ乗せない。
体重を前に流さず、腰を落とす。
落ちる先だけを見て、半歩ぶんのつながりを書き換える。
低く、短く。
人目には“風で体を軽くした”くらいにしか見えない高さだ。
『浮力、安定』
頭の奥で、リラが言う。
石を踏み抜かないまま、俺は中央の沈みを真上から見た。
あった。
継ぎ目の下に、黒い薄板みたいなものが差し込まれている。
以前拾った人工物の欠片より細い。
でも、線の嫌さは同じだった。
「当たりです。細い板が入ってる。灯の流れを横へ吸ってます」
「抜いた瞬間に漏れる可能性は」
テオさん。
「あります」
「なら、受けます」
サラが即答した。
「灯の周りだけ結界を張ります。広くは取りません。漏れた分だけ削ります」
「結界の外に立つ。漏れたら俺が盾で止める」
バルドさんの盾が半歩前へ出る。
「テオさん、石を」
「はいはい。後で“安全マージンは十分でした”と言わせてください」
テオさんの土魔法が石の下へ潜る。
ごく小さく、石が持ち上がる。
サラが祈った。
灯の周りに淡い膜が張られる。
俺は息を止めて、黒い薄板を指先で挟んだ。
冷たい。
嫌な冷たさだった。
まるで、水じゃなくて意味の悪いほうだけ吸ってるみたいな。
「いきます」
引き抜いた瞬間だった。
黒い靄が、糸みたいにぶわっと噴いた。
でも広がるより先に、サラの結界にぶつかる。
膜が揺れる。
バルドさんが一歩だけ前へ出て、盾で押さえる。
テオさんが石の脇に土杭を一本立てた。
逃げ道が狭まる。
「右、半歩」
俺が言う。
バルドさんの右足がそのまま石の固い帯へ乗る。
「そこです。前に乗らないでください」
「おう」
靄は盾の縁へ流れた。
その先をサラの光が焼く。
濁りというほど濃くはない。
でも、祈り灯から抜いた光を痩せさせるには十分な嫌さだった。
「消えます」
サラが言う。
光が一段強くなる。
黒い糸がちりちりと痩せ、最後は音もなく消えた。
静かになった。
その直後だった。
祈り灯の芯が、ふっと太くなる。
糸みたいだった光が、ようやく灯らしい丸みを取り戻した。
若い神官が息をのむ。
「戻った……」
本当に戻った。
周囲から寄ってくる線が、今度は逃げない。
ゆっくり、ちゃんと灯へ入っていく。
俺は息を吐いた。
小さな勝ちだ。
でも、ちゃんと勝ちだ。
「老朽化じゃなかったですね」
テオさんが石の下を覗き込む。
「嫌な細工です。しかも、見つかりにくい」
「王都っぽいな」
バルドさんが盾を下ろした。
褒めてない。
俺は黒い薄板を布に包む。
線の感触は、前に拾った五つの欠片に近かった。
同じ根だ。
少なくとも、ただのいたずらじゃない。
「セイさん」
振り向くと、サラが真っ直ぐ見ていた。
「手、出してください」
「今ですか?」
「今です」
逆らえないやつだ。
手を出すと、サラは軽く祈りを流した。
疲労を見るための、薄い光だった。
数秒。
それだけで、サラの眉が少しだけ寄る。
「少し使いすぎましたね」
「そこまでですか」
「ええ。
でも、まだ余裕はあります」
即答だった。
「さっきの足場の渡りと、線を見続けた分です。
倒れるほどではありませんけど、無理の跡は残っています」
バルドさんが横から言う。
「言ったろ。
そういう役が要るって」
テオさんも冷静に刺してくる。
「王都で倒れられると、記録が非常に面倒です」
「心配の仕方が二人とも違う」
「でも同じ意味ですよ」
サラが言った。
「長く動くために、無理を減らしてください」その言い方はきつくない。
でも、逃がしてもくれない。
俺は苦笑した。
「了解です」
「本当ですか」
「……たぶん」
「次やったら本当に怒りますからね」
柔らかい声なのに、全然笑えない。
でも、嫌じゃなかった。
帰り道、北の風は少し冷たかった。
灯が戻ったせいか、さっきまであった張りつめた感じが少しだけ薄い。
けれど、俺の頭の中では別の線が太くなっていた。
灯の流れを横へ吸う細工。
見つかりにくい場所。
大騒ぎにならない裏道。
それは、王都の中に“少しずつ削る側”がいるやり方だった。
「一基だけじゃ済まない気がします」
歩きながら言うと、テオさんがうなずく。
「同感です。派手に壊す気なら、もっと目立つやり方をします。これは“点検漏れ”に見せたい壊し方です」
「北外れだから、人の目も薄い」
バルドさん。
「でも、完全に捨てられてる場所でもない。地味に効く」
サラが小さく息を吐く。
「祈り灯は、街の空気そのものですから。一つずつ痩せたら、気づく頃には人の気持ちも沈みます」
その言葉に、俺は足を止めかけた。
人の気持ち。
祈り。
灯。
この世界では、それ自体が仕組みだ。
だったら灯を削るのは、ただの設備破壊じゃない。
街の土台を、静かに痩せさせるやり方だ。
西棟の部屋へ戻ると、机の上に地図を広げた。
北外れの灯に印を付ける。
回収した薄板を包みの横へ置く。
前からある五つの欠片のそばに並べた瞬間、嫌な統一感が出た。
「似てますね」
テオさんが言う。
「厚みは違いますが、流れの崩れ方が近い」
「教会側にも見せますか?」
サラが聞く。
「まだ最小限で」
俺は答えた。
「まずは、王都の中で同じ異常が他にないか洗います」
「そのための人と場所が足りませんね」
テオさんがさらっと言う。
「紙も棚も、今日のぶんで半分使いました」
「寝る場所もな」
バルドさんが壁にもたれたまま言う。
「ここ、仕事部屋としてはいい。でも拠点としては狭え」
その時だった。
部屋の外で、早足の気配が止まる。
扉が叩かれた。
「セイ殿」
昼に来た実務官の声だ。
「北外れの件、もう聞きつけたのか」
バルドさんが呟く。
早い。
いや、王都ならこれが普通か。
「どうぞ」
扉が開く。
実務官は一礼して、短く告げた。
「報告です。王都東側でも、似た小規模異常が一件。それと、西側の古い祈り場で、灯の揺れが一つ」
地図の上で、俺の指が止まった。
北に一つ。
東に一つ。
西に一つ。
偶然にしては、並びが良すぎる。
『接続図、出します』
リラの声と同時に、頭の中に王都の地図が重なった。
北、東、西。
報告のあった三つの場所が浮かぶ。
その位置関係を追うと、王都の中にひとつの向きが見えてくる。
まだ確証はない。
でも、偶然で片づけるには並びが良すぎた。
でも、もう“たまたま”ではなかった。
「……なるほど」
俺は地図の中央寄りを見た。
「王都の中にも、掘るべき線がある」
サラが静かに息をのむ。
テオさんはすでに新しい紙を引いていた。
バルドさんは扉のほうへ体を向け直している。
仮の足場はできた。
でも、仮のままじゃ足りない。
王都の異常は、こっちが整うのを待ってくれない。
そして俺たちは、今夜だけで三つ目の点を拾った。




