第102話 帰る背中と、王都の足場
「セイ殿。エルディア村のギルド支部経由で、続報です」
足が止まった。
(……セイ殿とかセイ卿とか、変な呼ばれ方をいろいろと)
『諦めてください。役付きになれば増えます』
(増え方が嫌なんだよ)
そう思ったところで、職員の顔色が目に入った。
軽口が喉で止まる。
さっきまで机の上で聞いていた肩書きの話が、一気に遠くなる。
俺にとって重いのは、紙の名前じゃない。
重いのは、こういう報告のほうだ。
ガランさんが封を受け取った。
「ここで開く」
短い声だった。
廊下の空気が、少しだけ張る。
封を切る音のあと、ガランさんは最初の紙に目を走らせた。
「エルディア村のギルド支部経由だ。エドガー隊長名義の続報が入った」
俺は息を詰めた。
「物見台の仮整備は予定どおり。巡回線も一本つながった。抜け道の洗い出しも進んでる」
胸の奥が少しだけ軽くなる。
村はまだ持っている。
ただ耐えるだけの場所じゃなくなり始めている。
「よかった……」
思わず漏れた声に、バルドさんが小さく鼻を鳴らした。
「半分だけだな」
「分かります?」
「分かる。続きがある顔だ」
その通りだった。
ガランさんの目が、二枚目へ落ちる。
今度は読み上げる前に、一拍置いた。
「……今後は、線の維持よりも線の運用が重くなる。村側と北部防衛線の間を繋ぐ判断役が要る、とある」
俺は眉を寄せた。
「つまり」
テオさんが静かに言った。
「現地で回し始めたからこそ、今度は指揮の詰まりが出る、ということです」
ガランさんがうなずく。
「その手助けを、俺にしろって話だな」
紙には、そう書いてあった。
仮整備は進んでいる。
だが、物見台、巡回、抜け道、村の受け入れ。
それぞれが別に進んでいた段階を抜けて、今度はまとめる人間が必要になる。
そして最後の一文で、俺は顔を上げた。
「……教会側の引き継ぎを済ませ、サラを先行して王都へ向かわせた、か」
バルドさんが腕を組む。
「先に一人寄こしたわけか」
「村を回し切るためにはガランさんがいる。王都で回すなら、支援役が一人欲しい。そういう線でしょう」
テオさんの言い方はいつも通りだった。
でも、意味はよく分かった。
村は村で次の段階に入った。
だから、役目が分かれる。
ガランさんは紙を畳んだ。
「決まりだな」
誰も止めなかった。
止める理由がない。
この人が王都に残るより、村へ戻るほうが意味がある。
それくらい、全員もう分かっていた。
「セイ」
呼ばれて顔を上げる。
「お前は王都に残れ」
「はい」
「ここから先は、村の線じゃねえ。王都の中にある、見えにくい線を掘る番だ」
「分かってます」
「分かってる顔だな」
そう言ってから、ガランさんは少しだけ口元を緩めた。
「だから任せる」
その一言のほうが、肩書きより重かった。
見送りは短かった。
王都の門を出る荷馬車は多い。
その中の一台に、ガランさんは迷いなく乗った。
派手な別れはなかった。
「村を頼みます」
俺が言うと、ガランさんはうなずいた。
「そっちはそっちで、変なもん掘り当てるなよ」
「無茶ですね、それ」
「無茶じゃねえ。掘り当てたら生きて帰れって意味だ」
「それなら守れます」
「ならいい」
馬車が動く。
見送りながら、俺は少しだけ変な感じがした。
エルディア村にいた時は、この人が背中側にいるのが当たり前だった。
それが今は、村へ戻っていく。
守る場所が分かれたんだ、とやっと実感した。
王都に残ったのは、俺とバルドさんとテオさん。
それに、先行してくるサラ。
人数は減った。
でも、やることはむしろ増えた。
借りていた一室で机を囲む。
豪華さはない。
むしろ助かる。
今ほしいのは、飾りじゃなくて整理する場所だ。
テオさんが紙を三つに分けた。
「分かっていること」
「分かっていないこと」
「今すぐ動けること」
「分かりやすい」
俺が言うと、テオさんは当然みたいに返した。
「分からない会議をやると、現場が死にます」
その通りだ。
一枚目。
分かっていること。
王都送還中の三貴族脱走は事故ではなく、裏からの手引きで計画的に起きた。
街道編で生き証人の証言は確保済み。
帳簿も守って王都へ持ち込んだ。
人工物の欠片は、これまでに五つ。
以前の調査で二つ。
北本体寄りの濁り近くで討伐した魔物の中から三つ。
そして、濁りは自然発生だけで片づけるには不自然すぎる。
二枚目。
分かっていないこと。
王都側のどこに受け口があるのか。
人工物を作ったのが誰か。
三貴族がどこまで喋ったか。
裏組織が次に何を消しに来るか。
三枚目。
今すぐ動けること。
証言の照合。
帳簿の確認。
五つの欠片の王都側での再調査。
王都近辺で起きている小さな濁り異常の洗い出し。
「つまり」
バルドさんが椅子にもたれて言う。
「追う相手は、もう三人の貴族だけじゃねえ」
「はい」
俺はうなずいた。
「使ってた側です」
「それを、王都の中で探す」
「そういうことです」
テオさんが補足する。
「問題は、拠点がないことですね」
それは本当にそうだった。
今の俺たちは、呼ばれれば行く。
だが、腰を据えて照合する場所がない。
帳簿も証言も欠片も、抱えたまま廊下を歩ける類のものじゃない。
俺が黙ると、ちょうどそこで扉が叩かれた。
入ってきたのは王家付きの実務官だった。
昨日の続きみたいな顔をしている。
「セイ殿」
「今度は何ですか」
つい本音が出た。
実務官は少しだけ目を細めた。
「調査継続のための部屋が決まりました」
「え?」
「今回の貴族失踪事件、および濁り案件の照合継続を理由として、王城内の西棟に一室を用意します」
バルドさんが目を丸くする。
「城の中かよ」
「客室ではありません。元は書記方が使っていた実務部屋です」
それなら助かる。
豪華な部屋を寄こされても困る。
必要なのは、机と棚と鍵だ。
「使用許可の範囲は」
テオさんが先に聞いた。
「帳簿整理、証言記録、王都内の濁り異常報告の受け取り。必要時にはギルドと教会の窓口も通します」
「十分です」
テオさんが即答した。
俺も同感だった。
王都の中で動く足場が、ようやくできた。
西棟の部屋は、思っていたよりずっと地味だった。
細長い机が二つ。
棚が三つ。
壁際に王都周辺の地図。
それから、水晶灯。
それだけだ。
でも、入った瞬間に分かった。
ここは使える。
「城っていうから、もっと息苦しい部屋かと思った」
俺が言うと、バルドさんが笑う。
「お前が倒れにくいようにしてくれたんだろ」
「そこまで親切だと逆に怖いですけど」
「今は助かるほうを取れ」
それもそうだ。
机の上に、欠片の包みを置く。
帳簿を広げる。
証言メモを端に寄せる。
それだけで、やっと王都で調査を始める形になった。
日が傾き始めたころ、ようやく一段落した。
テオさんは整理した紙を見直し続けている。
バルドさんは扉の近くで腕を組み、外の気配を切らさない。
その間に、俺は窓際へ寄った。
『ここから並行します』
頭の奥で、リラが言う。
『調査と同時に、移動魔法の試作を始めます』
(……今からか?)
『今後、王都内外で濁り案件が動くたびに、足が遅いのは致命傷です』
それは、そうだ。
村にいる時は、戻るための線を先に引けた。
でも王都は違う。
距離がある。
人も多い。
一つ遅れれば、守れた線が切れるかもしれない。
(長距離の門とか、そういうのまで見えるのか)
『理層上の理屈はあります』
『ただし今の器では、無理に手を出すと消耗が重いです』
『先に短距離型を完成させます』
(だよな)
『人前で使う時の呼び名はどうしますか』
(呼び名?)
『無詠唱のままだと異端に見えます。表向きの名前は要ります』
(……なるほど。隠すための名前か)
『はい。魔法そのもののためではなく、周囲の理解のためです』
それは名言だと思った。
しばらく考えて、俺は言った。
(……浮遊・飛行、でどうだ)
『いいですね』
『前へ出るためではなく、生きて戻るための一歩』
『セイらしいです』
少し照れくさいが、悪くなかった。
試す場所は、同じ西棟の空き廊下にした。
人払いはしてある。
床の石目がまっすぐで、目印を置きやすい。
最初の目印は四歩先。
次は六歩先。
無理はしない。
やることは単純だった。
今いる場所と、次に立つ場所のつながりを一瞬だけ書き換える。
そこへ必要な分だけマナを流す。
『接続、通ります』
リラの声に合わせて、俺は目印の石を見る。
理を書き換える。
マナを流す。
視界が一度だけ揺れた。
世界が飛ぶというより、位置だけがすっとずれた感覚だった。
次の瞬間、俺の体は目印の石の上にあった。
「……っ」
遅れて、胃の奥が少し揺れる。
でも、倒れるほどじゃない。
バルドさんが目を見開いた。
「今の、走ってねえよな」
「走ってません」
「消えてもいねえ」
「はい」
「なのに、そこにいる」
テオさんが言葉を足した。
「嫌な敵が持っていたら最悪ですね」
味方の感想としてはどうなんだ。
でも、言いたいことは分かる。
次は飛行のほうを試した。
いきなり高くは上げない。
床から指一本ぶん。
まずはそこだけだ。
やることは単純だった。
自分の重さが、この場に落ち切る前の理を少しだけ書き換える。
そこへ必要な分だけマナを流す。
『浮力、通ります』
リラの声に合わせて、俺はそのまま流し込んだ。
足の裏から床の感触が薄れる。
次の瞬間、体がわずかに浮いた。
「……お」
跳ぶのとは違う。
押し上げられる感じでもない。
落ちるはずの体が、その場で静かに止まった感覚だった。
『高度、安定』
『まだ低空です』
『この段階なら、表向きは“浮遊”で通せます』
俺はそのまま、目の前へ半歩ぶんだけ体を送る。
歩くんじゃない。
落ちる先を書き換えたまま、位置だけをずらす。
床を擦っていないのに、体が前へ滑った。
遅れて、腹の奥が少しだけ揺れる。
でも、倒れるほどじゃない。
『試作完了です』
リラの声は落ち着いていた。
『短時間の浮遊と、低速移動までは安定しています』
『長く浮かせるほど、消費は増えます』
『風を受ける高さまで上げれば、制御も別になります』
(つまり、今はまだ“飛行”じゃなく“浮遊”寄りか)
『はい』
『ですが、ここから伸ばせます』
『今は安全に積み上げるほうが先です』
この魔法も、そういう育て方でいいんだろう。
西棟の部屋へ戻ると、もう外は暗くなり始めていた。
水晶灯に火が入り、机の上の紙が白く浮く。
ここが今日からの足場だ。
そう思ったところで、扉が叩かれた。
「どうぞ」
開いた扉の向こうに立っていたのは、サラだった。
旅埃をかぶっている。
だが、目はしっかり前を見ていた。
「遅くなりました」
「村から、合流しました」
息をつく暇もなく、彼女は続ける。
「それと、来る途中で教会の伝達を受けました」
部屋の空気が変わる。
サラがこういう顔をする時は、軽い話じゃない。
「王都北外れの祈り灯が、一基だけ痩せています」
「祈りを足しても戻らないそうです」
リラのミニマップが、視界の端で淡く開いた。
王都北。
小さな光点が一つ、細くなっている。
さっきまで紙の上で引いていた線が、もう現場に変わっていた。
王都での最初の濁り案件は、こちらが腰を落ち着けるのを待ってはくれなかった。




