第9話『初ビール』
結斗さんはビールをゴクリと飲み、長い息を吐いた。
口髭に泡が付いてしまっているのが可愛い。
美味しそうに飲むその姿が、ビール初挑戦である私に勇気を与えた。
ビールジョッキを口に当てる。
口元に当たる泡がこそばゆい。
少しジョッキを傾けると、泡の奥から冷たい液体が口内に流れ、私は恐る恐るそれをゴクリと飲んだ。
「苦っ!」
思わず声を漏らしてしまった。
それを聞いた結斗さんは目を丸くして私を見た後、笑った。
「ビールは初めてでしたかな?」
美味しそうにビールを飲んでいる人の前で、私はなんて無粋な事を呟いてしまったんだろう。
「あ、はい……」
申し訳なく返事をすると、カウンターの向こうでパスタを茹でている大将が豪快に笑った。
「あっはっはっ、また一人、ウチの店で初ビールの人が増えたよ」
そんな大将の笑い声につられるように、奥から龍馬さんとエッちゃんが出てきた。
「おっ、爺さん、久しぶりじゃのう!」
龍馬さんは嬉しそうな顔で結斗さんに話しかけた。
その一言で、この二人は仲がいいんだと察することができる。
龍馬さんは結斗さんの側に行き、結斗さんの肩を軽く叩いた。
「元気にしてたかや!」
「はい、龍馬さんも元気そうで」
「なんじゃ酒飲んで。ワシも仲間に入れとーせ」
そう言って龍馬さんは、結斗さんの口髭を両手で左右に軽く引っ張った。
その奇抜な行動と、文句も言わずにされるがままな結斗さんも見ていておかしくて、私は笑った。
「そういや龍馬さんって、ウチで一度もビールを頼んだことないですよね? もしかしてビールを飲んだこと、ないんじゃないですか?」
大将が龍馬さんにそう質問すると、結斗さんは口髭を触る龍馬さんの手を退けて、龍馬さんの代わりに答えた。
「龍馬さんは慶応元年に飲んだことがありますよ」
エッちゃんがそれに付け加える。
「トーマス・グラバーから譲り受けたビールですよね」
私は目を丸くしてエッちゃんを見た。
いや、賢い子だとは思ったけど、賢すぎでは!?
「ビールは好かん。大将、芋焼酎くれ。薩摩のやつで構わんきに」
龍馬さんはそう注文して、ジト目でエッちゃんと結斗さんを交互に見た。
「こん二人、ワシよりもワシのこと知っちゅうて、なんやむず痒ぅなるき」
「エッちゃんと私は、龍馬愛好家なので」
結斗さんにそう言われた龍馬さんは、照れ隠しのように頭を掻いて言った。
「なら、幕府が朝廷に政権を返上したかどうか、教えとうせ?」
それって、大政奉還なんじゃ……。
龍馬さんって、その頃の時代なんだ……。
龍馬さんにそう言われた二人は、お互いにアイコンタクトを送り、ハモった。
「それはお答えできません」
そう言って笑い合う二人。
さっき大将が言ったこのお店のルールを考えると、龍馬さんに大政奉還が実現することを伝えても、きっと歴史に変化はないだろう。
伝えても伝えなくても、大政奉還は実現するんだから。
だからきっと、龍馬さんにそれを伝えないのは、二人の意地悪なのだ。
好きな子に意地悪をしてしまう小学生男子のような二人が、龍馬さんとのやり取りを心底楽しんでいるようで、見ているこっちまで楽しい気分にさせた。




