第35話『西の海を思ひやりつつ月見れば』
私は、初めてこの店に来た時に聞いたことを思い出した。
平安時代の人には気を付けろ、と。
こういうことだったのか……。
「皆さん、一旦座りましょう」
呆然とする私と大将を、結斗さんはテーブル席に促す。
結斗さんの対面に私と大将が座ると、結斗さんは両肘をテーブルの上で立てて指を組み、指の上に顎を乗せた。
特務機関の総司令を思わせるポーズだ。
「今回の原因は以前と同じく、藤さんが歌に残してしまったのでしょう。私たちは、どの歌が歴史改変の要因なのか特定し、それを阻止しなければいけません」
特定って、一体どうやって……。
結斗さんは続けた。
「大将、歩実さん、スマホはお持ちですね?」
「持ってます」
大将に続いて私も「はい」と答え、スマホをポケットから取り出す。
「では、『紫式部、歌』で検索してみてください」
言われたとおり、検索してみる。
沢山の紫式部の歌が出てきたけど、はっきり言って何がどう変わったのかなんて分からない。
「ちょっと、難しいですね……」
早くも白旗を上げる大将。
まあ、大将にはあまり期待していない。
私は歌ではなく、『紫式部、バナナ』で検索してみた。
藤さんが歴史改変の要因だというなら、キーワードは、おそらくバナナだ。
検索結果を見てみる。
『西の海を 思ひやりつつ 月見れば こほしゆかしと 芭蕉の実かな』
うーん、意味が分からない……。
解説があるので見てみる。
『西の海(筑紫、九州)へ行った人に思いを馳せながら月を見れば、恋しくて会いたくて、まるで芭蕉の実のようだ』
芭蕉の実って何だ?
松尾芭蕉は関係ないよね……。
芭蕉の実の解説もあるので見てみる。
『平安時代以前に中国南部から輸入された植物で、バナナに酷似した実がなる植物。芭蕉の実が好物の紫式部は、三日月を見た時に芭蕉の実を連想して歌ったといわれている』
私は思わず叫んだ。
「そんなわけあるかーッ!」
大将と結斗さんがビックリして私を見る。
「見てくださいよ、これ!」
私は二人にスマホ画面を見せた。
「バナナのことしっかり歌ってるじゃないですか!」
「こ、これは……」
目を大きく見開いてスマホ画面を見る結斗さん。
「間違いなくこれが原因です。芭蕉の実は形こそバナナですが、全く甘くなく渋くて食べられた物ではありません。これはこの店で食べたバナナパフェを思って歌にしていることは間違いないでしょう」
「じゃあ、原因は特定できたということですね」
大将が嬉しそうに言う。
そんな大将に反して、結斗さんの顔は暗い。
「特定はできました。あとは、これを阻止すれば歴史改変を止めることができます」
「じゃあ、あとは藤さんに頼むだけですね」
そう言って笑顔になる私。
「ええ、頼むだけです」
結斗さんの顔はまだ暗い。
結斗さんは続けた。
「藤さんは半年振りにこの店に来ました。一体、次はいつこの店に来るんでしょうかね?」
私と大将は結斗さんの言葉にハッとして、黙った。
結局、何もできないまま一日が過ぎた。
翌日の朝、エッちゃんがお店の裏口からやって来る。
「あれ、エッちゃん? 仕事は昼からだよ?」
大将がそう言うと、エッちゃんは首を横に振って言った。
「昨日からお母さんが帰って来ないんです」
私は額に手を当てた。
そうだった……。
店の扉が使えないと、1945年の病院に仕事に行っているフミさんは、こっちの時代に帰って来れない。
「あと、お店の扉に鍵がかかってあるんですけど……」
私はエッちゃんに事情を説明した。
「そうだったんですか……」
そう言って俯く少女に、大将が言う。
「今日は店の営業が出来ないから、エッちゃんは帰って健ちゃんの傍にいてやんな」
「分かりました……」
不安そうに言って、とぼとぼと裏口から帰るエッちゃん。
私はその光景を不思議に眺めた。
「あれ?」
「どうしました?」
結斗さんに質問される。
「エッちゃん、裏口から出て行きましたよ?」
「ええ、こっちのドアは使えませんから」
「いや、そうじゃなくて」
私はそう言って店のドアを開ける。
ドアの外は、変わらず暗闇の世界が広がっている。
「ほら、私の世界って、無くなっているんですよ? これって変じゃないですか?」
こちらのドアからは世界が消えているのに、裏口は普通に外に出ることができる。
「確かに……」
結斗さんは暫く考え込み、ある仮説を立てた。
「世界が消える、という表現は間違いだったのかもしれません。正確には、歴史改変が起こると店の扉が使えなくなる、という方が正しいのかと。ですから、元々この店が建てられた時代、つまり大将の世界とは直接繋がっているため、裏口から外に出ることができるのでしょう」
な、なるほど……。
じゃあ私も帰ろうと思えば、裏口から外に出ることができるだ……。
まあ、今の私の家はこのお店だけど。
「しかし、失策でした。藤さんのクローンの手も、作ってあったのですよ」
私は驚いて結斗さんを見た。
「えっ、あのエッちゃんの手みたいなやつですか!?」
「そうです、藤さんは前々から危険人物でしたからね」
そうか、以前聞いた話も確か、紫式部の百人一首の句が変わったことが原因だと聞いた。
失敗を教訓に対策してるとは、さすが結斗さんだ。
「じゃあ、その藤さんのクローンの手は……」
「私の家です」
希望の芽が一瞬で萎れ、私はガクッと腰を折った。
結斗さんの家にあるんじゃ何の意味もない。
だって今、未来にある結斗さんの家には行けないんだから。
結局、今私たちに出来ることは何もないらしい。
そんな絶望を感じているところ、唐突に店の扉が開いた。
皆が扉に注目する。
「こんにちは」
そう言って入って来たのは、清少納言……清さんだ。
「清さん!」
私たちは清さんに駆け寄った。
「な、何ですか、皆さん」
「清さん、あなたは女神です! 私たちの女神です!」
私たちの歓喜の声に、ただただ戸惑う清さん。
私たちは清さんに事情を説明した。
「──と、言うわけなんです」
私の説明が終わると、清さんは溜め息を吐いた。
「つまり、私にあの小娘が書く、芭蕉の実の歌を阻止して来いと、そういう訳ですね」
「はい、恐縮なんですが……」
清さんと藤さんの仲が悪いことは、この前聞いた。
嫌いな相手にそんなことするなんて、そりゃあ気が進まないよね……。
「バナナパへ……」
「はい?」
「私にもバナナパへ……いや、それよりももっと豪華な物を用意すること!」
「そ、それは勿論!」
「なら、協力しましょう」
そう言って清さんは店を出て行った。
一同、目をパチクリさせて顔を合わせる。
まさかと思い、大将がドアを開けると、見慣れた街並みと青い空が見えた。
「やった! やったぁぁあ!」
私たちは肩を叩き合ったのだった。




