第30話『少納言』
エッちゃん家族が帰り、店内は私と大将と信さんの三人だけになった。
それから小一時間、現在私はテーブル席で信さんの対面に座り、話し相手をさせられている。
金ケ崎撤退戦という、よく分からない戦いを信さんは延々と話しているが、正直どうでもいい。
こうしている間にも、私の勤務時間が削られていく。
早く終わってくれと願いながら、上の空で話を聞いていた。
「そして市から送られた袋に入った小豆を食べながら空腹を凌いでな」
もうそろそろ勘弁してくれ。
そう思っていると、店のドアが開いた。
「いらっしゃいませ!」
大将が元気に挨拶する。
私は席を立ち、大将と同じく挨拶する。
助かった、やっと解放される!
「いらっしゃいませ!」
解放感を込めて元気に声を出すと、会釈しながら中年の女性が入ってきた。
藍色の小袖を着て、肩までの長さで切ったミディアムな後ろ髪に、顔周りのサイドの髪を頬の高さで切って揃えた鬢削ぎという前髪。落ち着いた雰囲気のある人だ。
「ご無沙汰しております」
そう言って店内に入ってきた女性に、信さんは声をかけた。
「おう諾子、久々じゃな」
信さんから諾子と呼ばれた女性は、信さんを睨んで言った。
「織田の右大臣、私を諾子と呼ぶのは止めてくださいまし」
「そんなに怒るな。それにワシはもう右大臣でも右近衛大将でもない。ほれ、そこへ座れ」
そう言って、さっきまで私が座っていた場所へ誘う。
女性は不貞腐れた顔をしながも、信さんの対面に座った。
私は大将に耳打ちする。
「誰ですか?」
大将が耳打ちを返す。
「清少納言さんだよ」
ああ、あれが噂の……。
私は清少納言さんの前に行き、挨拶した。
「清少納言さん、はじめまして」
そう言うと、清少納言さんは私を睨み、溜め息を吐いた。
「あなたもですか……」
な、なんだ!?
私何か失言でもしたか!?
もしかして、今の挨拶じゃ平安時代では失礼だった!?
清少納言さんは続けた。
「いいですか。私を呼ぶなら、『清少納言』ではありません。『清、少納言』です。なぜあなた方未来人は、揃いも揃って同じ言い方をするのですか。そもそも清少って何ですか清少って。意味が分かりません。それに納言だけだと、大納言なのか中納言なのか少納言なのか分かりませんよね。あなたは大根のことを『根』って呼ぶのですか!?」
無茶苦茶捲し立てられて怒られてるんですけど!?
これ絶対みんな怒られたやつじゃん!
ねえ、教えといてよ、大将ッ!
大将を見ると、大将は天井を見上げて口笛を吹かせている。
あっ、コイツ、知らんぷり決め込みやがったな!
「失礼しました。清、少納言さん!」
強調してそう言うと、清少納言さんはニッコリと笑って「よろしいです」と返事した。
さっき、落ち着いた雰囲気の人だと思った私の気持ちを返してほしい。
「清さん、今日はお菓子があるんですけど、食べますか?」
何事も無かったかのように大将はそう言って、冷蔵庫からケーキを取り出した。
清さんって、そう呼んでるなら教えとけよ大将ぉ!
それ作ったの私だからなッ!
私が渾身の睨みを向けていると、それに気付いた大将はビクッと体を震わせた。
「お菓子ですか、いいですね。いただきます」
さっき早口で捲し立てた人とは思えないほど落ち着き払って、優雅にそう答える清少納言さん。いや、清、少納言さん。
大将はケーキと湯呑みを持って、清さんのテーブルに置いた。
そして私を紹介する。
「新しくウチで働くことになった菓子職人の歩実さんです」
「へえ、ではこちらは、あなたが?」
「はい」
そう返事すると、清さんは大きく頷いた。
「甘い菓子を熱望していました。これからはもう少し頻繁に通わないといけませんね」
そ、そうっすか……。
通わないといけなくはないよ、うん。
「こちら、菓子に合うお茶です」
そう言って大将は、湯呑みを指す。
「あら、どこのお茶かしら?」
「えっ、宇治茶ですけど?」
大将がそう答えると、清さんは大将を睨んだ。
「宇治ですって?」
えっ、なんだなんだ?
この人の怒りポイントがどこなのか分からなすぎて怖いんですけど。
清さんは続けた。
「私の時代では宇治でお茶の栽培などしておりません。これは私への嫌がらせですか?」
大将はバンダナ越しに後頭部を触りながら言った。
「あっ、いや、まあ、結構有名なんですよ、宇治茶って」
「はあ!? 宇治など欲にまみれた権力者どもの別荘地ではありませんか!」
怒っている理由が分からなすぎる。
取り敢えず分かることといえば、清さんは宇治が嫌いなんだろうな、ということくらいだ。
困り顔で大将と顔を合わせていると、信さんが助け舟を出してくれた。
「まあまあ、落ち着け少納言の方よ。宇治茶はワシの時代でも有名じゃ」
そう言って、信さんは大将に顔を向ける。
「大将も少しは勉強をしたらどうじゃ。宇治は源氏物語の舞台じゃというのに、わざわざあの小娘がゆかりの地名を言うやつがあるか」
信さんに諭された大将は、しおらしく頭を下げた。
「それは知りませんでした。申し訳ございません」
大将が素直に頭を下げて溜飲が下がったのか、清さんは深く息を吐いて言った。
「まあ、知らずに申したのであれば、不問と致しましょう」
話の流れが全く理解できない私は、大将の袖を引っ張ってカウンターの裏へ行き、小声で話した。
「どういうことなんですか?」
大将も小声で返す。
「信さんが言っていた小娘っていうのは、紫式部のことだよ。仲悪いんだ、清さんと紫式部は」
紫式部といえば、源氏物語。
それで、源氏物語の舞台が宇治。
だから紫式部を嫌っている清さんからすると、源氏物語の舞台の宇治も嫌いっていうこと?
なんかそれって、考えが子供すぎじゃないだろうか……。
「じゃあ、清さんと紫式部さんが鉢合わせなんてしてしまったら?」
思わずそう質問すると、大将は目を瞑って首を横に振った。
「考えたくないね」
そうだ。
こういうのは、考えたら現実になってしまうもんなんだ。
考えないようにしよう……。
「大将、窯の部屋で新しいメニュー考えてきていいですか?」
私はそう質問して、逃げたのだった。




