第29話『悦子の母』
信さんとエッちゃんが和気あいあいとケーキを食べていると、突然店のドアが開いた。
「ごめんください」
入ってきたのは、女の人だ。
私より年上だろう。
30歳くらいだろうか。
長い髪を後ろで束ね、左右対称の小顔に大きな目、ホリが深くくっきりとした顔立ち。
どう安く見積もっても美人と言わざるを得ない。
初めて見る顔だけど、私はこの人が誰なのか分かった。
女性は、黄褐色の和服と、同じ色のもんぺを穿いていた。
どう考えても、エッちゃんと同じ時代の格好だ。
この女性は、エッちゃんのお母さんで間違いないだろう。
そして女性の隣には、薄く汚れた白シャツに膝丈のズボンを穿いた5歳くらいの幼い坊主刈りの男の子が立っている。
この子はエッちゃんの弟だろうか?
「ああ、フミさん、いらっしゃい」
大将はそう言って、苦笑いをした。
「すみません、まだエッちゃん着替えてなくて」
フミさん……。
エッちゃんのお母さんの名前かな?
フミさんは笑顔で「いえいえ、構いませんよ」と返事する。
「よかったらそちらにお掛けください」
そう言って大将は、入り口近くのテーブルを指した。
「おう、そうじゃ。フミ、ゆっくりしていけ」
そう言って信さんはケーキを皿ごと持って席を立ち、テーブル席に移動してベンチ椅子に座った。
「じゃあ、すみません、失礼します」
そう言ってフミさんとエッちゃんの弟は、信さんの対面の席へ並んで座る。
「大将、さっきの抹茶のやつをフミと健太に」
信さんがそう言うと、大将はクスッと笑って「はいよ」と答えた。
「あと、あのジュワッとした甘い水もな」
「はいはい」
大将は笑いながら雑に返事して、ケーキとサイダーを二人に持って行った。
「さあ、フミ、健太、食うてみよ!」
信さんに仰々しくそう言われ、顔を見合わせる二人。
健太っていうのは、エッちゃんの弟の名前だろう。
二人は目の前にある物が何か分からず、戸惑っている様子だ。
「お母はんも健ちゃんも食べーな、えらい美味しいんやで、これ」
そう言ってエッちゃんは、スプーンで掬ったケーキをパクリと食べた。
そしてまた両手を頬に当て、足をバタバタさせる。
「こら悦子、行儀良ーしい!」
怒られてるエッちゃんを見て、私は「プッ」と笑った。
普段あんなに賢い振る舞いをしていても、やっぱりエッちゃんは子供だ。
エッちゃんは背筋を伸ばして姿勢を正し、ケーキを一気に食べて元気良く言った。
「ご馳走様でした!」
そして着替えるために店の奥へと消えていく。
「ほんま誰に似たんやろ……」
フミさんがそう言うと、信さんは笑った。
「良いではないか。子供は元気が一番じゃ」
信長の言葉に「それもそうですね」と言って「フフッ」と笑うフミさん。
まるで少女のような無邪気な笑顔だ。
エッちゃんを京都弁で怒る姿に、少しキツい性格なのかな、なんて思ってしまっていたけど、そうではないということが、今の一瞬の笑顔で理解できる。
エッちゃんのあの向日葵みたいな明るい笑顔は、子供というわけじゃなくて、母親譲りなんだな……。
私はフミさんの側に行き、声をかけた。
「初めまして、フミさん。千堂歩実といいます。エッちゃんのお母さんですよね?」
そう言うとフミさんは立ち上がり、綺麗なお辞儀をした。
「吉澤律子の母、フミです。律子がお世話になっております」
そう言った後、隣の男の子に言う。
「健ちゃん、挨拶は?」
男の子は立ち上がり、たどたどしくお辞儀をした。
「吉澤健太、5歳です」
坊主刈りの可愛い男の子。
健ちゃんか……。
顔がエッちゃんそっくりだ。
いや、ここはお母さん似と言うべきか。
「歩実は今日からこの店で働くことになったんじゃ。この菓子を作ったのも歩実じゃ」
そう言って信さんは、スプーンで掬ったケーキを一口食べた。
「ほれ、うぬらも」
そう言って、食べるよう促す。
フミさんと健ちゃんは着席し、ケーキを見つめた。
「抹茶の、洋菓子……」
そう呟いたフミさんが印象的だ。
「どうぞ、お召し上がりください」
私がそう言うと、二人は手を合わせた。
「いただきます」
そしてスプーンを手に取り、ケーキを一口。
「美味しい!」
健ちゃんの明るい声が店内に響く。
「がっはっは、そうじゃろう!」
自慢気に笑う信さん。
フミさんはスプーンを置き、口を抑えて震えている。
口に合わなかったかな?
そう思った矢先、フミさんの目から涙が零れた。
「ど、どうかしましたかっ!?」
突然の出来事に、私は慌てた。
フミさんはゆっくりと涙を手で拭い、言った。
「すみません、昔を思い出してしまって……」
「昔?」
思わず聞き返す。
「はい。室戸台風が来る少し前の頃です。宇治で抹茶の洋菓子を食べました。何と言う名前だったのかは覚えていないのですが、このお菓子のように、とても美味しく夢のような味でした」
「宇治で洋菓子……ですか」
「はい。数少ない、家族の思い出です……」
太平洋戦争より前の時代だよね。
そんな時代から抹茶の洋菓子なんてあったのだろうか……?
「フミさん、それってどんな形の洋菓子でしたか?」
「ええっと……。なにかこう、ジャガイモみたいな形だったような……」
ああ、なるほど……。
多分アレだ。
アレに抹茶を混ぜたのだろう。
確かアレは明治初期にフランスから伝わっているはず。
「だいたい分かりました。今度それ、作っておきます!」
そう言うと、目を丸くしたフミさんの顔が印象的だった。
エッちゃんを待っている間、信さんとフミさんは楽しそうに会話をしている。
時に信さんが照れ笑いを浮かべていたりと、明らかにいつもと態度が違う。
私は大将に小さく言った。
「ねえ大将、信さんってもしかして」
大将も小さく返事する。
「気付いたかい、歩実さん」
「えっ、でもエッちゃんにはお父さんが……」
そう言うと、大将は首を横に振った。
「エッちゃんのお父さんはもう亡くなってるんだよ」
……そっか。
戦争中だもんね。
そういう話はよくある話なのかもしれない。
私はこっそり、『室戸台風』をスマホで検索した。
室戸台風──1934年、京阪神地域に甚大な被害をもたらした台風。
エッちゃんの時代は西暦何年なんだろう?
太平洋戦争の末期だとしたら1945年か。
ということは、だいたい10年くらい前の話だから、エッちゃんが生まれる前か生まれてすぐくらいの話だ。
つまりさっきの涙は、家族というより、旦那を思ってのことだろう。
「よし、健太。今日は長篠の戦いについて教えてやろう」
「はい!」
得意気に話す信さんに、それを楽しそうに聞く健ちゃん。
信さんの格好が不釣り合いだけど、雰囲気はまるで家族のようだ。
エッちゃんも信さんに懐いているし、信さん頑張れ!
私は心の中で信さんを応援したのだった。




