第28話『信長に茶』
昨日、夕方にいきなり仕事は終わりと告げられた私だったけど、実はあの後一品だけ作っていた。
だって、熱が残るレンガ窯をそのまま終了させるなんて、もったいないんだもん。
だから私は、レンガ窯の予熱を利用してビスケットを焼いていた。
「今日は何作るんですか?」
キラッキラの目でそう言うエッちゃんに、私はニヤッと笑った。
「それは後のお楽しみだよ、エッちゃん」
「はい!」
満面の笑みでそう答えるエッちゃん。
くぅ……ホント可愛いな。
「ファン第一号だね」
そう言って大将は笑った。
冗談でも嬉しい言葉だ。
「じゃあ私、あっちを掃除してきます」
そう言ってエッちゃんは、作業場から出て行った。
「さて……」
私が今から作ろうとしているのは、オーブン不要の抹茶チーズケーキだ。
決してレンガ窯から逃げた訳じゃないよ?
レンガ窯を使ってケーキを作るとなると、薪を燃やして窯全体を温めた後、少し温度が下がるまで待たなくちゃいけない。
それでは時間がかかりすぎるのだ。
時間を有効に使わないと、すぐ仕事を上がれと言われてしまう。
それは昨日学んだ。
なので今日の私は、時短パティシエだ。
まずはビスケットを袋に入れ、素手で叩く。
麺棒とか使ったら楽だけど、麺棒は今大将が使っている。
荒々しく素手でビスケットを叩き割る私の姿を見て、大将は笑った。
そして無塩の溶かしたバターに粉々のビスケットを投入し、型に流し込んで冷蔵庫で冷やす。
ここからは作業場を離れ、カウンターにあるキッチンを使う。
鍋で生クリームを温め、細かく刻んだホワイトチョコを投入。
常温に戻したクリームチーズをボウルとゴムベラで練り、砂糖を加えて混ぜ合わせ、温めた生クリームを少しずつ加えて混ぜ合わせ、さらに抹茶パウダーを混ぜ合わせ、最後にお湯で溶かしたゼラチンを混ぜ合わせる。
ネチネチ、ネチネチ、ネチネチ、ネチネチ……。
この作業、いつも私は魔法使いの気分になる。
明るい魔女っ子ではない。
陰湿なお婆ちゃんの魔女だ。
だけど、それが楽しい。
冷蔵庫で冷やした粉々ビスケットにネチネチさせたやつを流し込んで、再度冷蔵庫で冷やして最後に抹茶パウダーをかけたら、完成だ。
冷蔵庫に入れたケーキが固まるまでの間、私はエッちゃんと一緒に賄いを食べることにした。
居間で大将の作った玉子丼を食べる。
ちょうど食べ終わった時、カウンターから声がした。
誰かお客さんが来たのかな?
「信さんだ!」
そう言って居間を飛び出すエッちゃん。
どれだけ高学な歴史学者でも、エッちゃんのように声だけで織田信長が分かる学者はいないだろう。
私はカウンターを覗き込んだ。
エッちゃんの言うとおり、信さんがカウンター席に座っていた。
私の着ている服を欲しがるという大将の言葉を思い出し、カウンターに行くのを躊躇ってしまう。
「この前新しく来た女の子、歩実さんっていうんだけど、ウチで働くことになったんだよ」
早速バラす大将。
そう紹介されてしまえば、出ていかない訳にはいかない。
私はカウンターに行き、信さんに挨拶した。
「ど、どうも……」
私の姿を一目見て「おお!」と声に出した信さんは、立ち上がって言った。
「うぬも料理人なのか!?」
「私は、お菓子作りが専門です」
信さんは、考え込むように私の服を見て言った。
「大将、ワシは思うておったんじゃ。大将の服はワシにはちとデカいのではないかとな。この娘……歩実と言うたか。歩実の服ならワシにピッタリではないか? その黒い腰巻きもワシの為にあるような代物ではないか」
えっ、なんかこの人、貰う気満々なんですけどっ!?
私は無言で大将に顔を向けた。
テレパシーが使える訳じゃないけど、『助けろ!』と心の中で叫ぶ。
私の視線に気付いた大将は、言った。
「信さん、何度も言ってるけど、厨房服はあげられないよ。代わりに──」
そう言って大将は、冷蔵庫から私の作ったケーキを取り出した。
「今日歩実さんが作ったお菓子を食べてもらっていいから」
そんな、ケーキなんかで釣れるわけが……。
「ほう、菓子か」
私の予想とは違い、信さんは興味津々だ。
ケーキをカットしようとしている大将を、慌てて止める。
「大将、それちょっと待ってください」
まだ最後の仕上げが終わっていない。
私はすぐに大将の側に行き、ケーキに抹茶パウダーを振りかけた。
「ほう、それは抹茶か!」
信さんはさらに興味を示し、身を乗り出してケーキを見ている。
私は「そうです」と返事し、大将に顔を向けた。
「大将、カットお願いします」
「はいよ」
大将がカットしたケーキを皿に一切れ乗せて、信さんの前に置く。
「抹茶のクリームチーズケーキです」
私がそう言うと、信さんは「フハハハ」と秘密結社のボスみたいな笑い方をした。
「歩実よ、この信長に茶を使うとは、覚悟はできておるのだろうな?」
覚悟?
何の覚悟だ!?
それでなくても『殺してしまえホトトギス』って、怖い人物だと伝えられてるんだから、物騒な事を言わないでほしいんですけど!
私の返事を待たずに、信さんは木製のスプーンでケーキの端を掬い、口の中へ運んだ。
「ん、んんッ!?」
信さんの顔がみるみる驚きへと変化していき、叫んだ。
「なんじゃこれは!?」
信さんの圧迫感で倒れそうになるところを、必死に堪えて返事する。
「ま、抹茶のクリームチーズケーキです……」
「こんな美味い食い物、利休のやつでも作れんぞ!」
信さんの言葉に、大将は親指を立ててグッドのポーズを私に見せた。
「おい、悦子!」
信さんが叫んでエッちゃんの名前を呼ぶ。
この狭い店で叫ばなくても聞こえてますけどね。
「何ですか、信さん」
「うぬも食え! 早うここに座れ!」
そう言って信さんは隣のカウンター席の椅子をバンバン叩く。
いい大人がケーキ一つでここまで興奮するとは……。
「私も食べていいんですか!?」
エッちゃんが目を輝かして私を見る。
私が『いいよ』と言う前に、信さんが言った。
「当たり前じゃ! あれはワシが貰った物じゃからな!」
いや、全部食べていいなんて……。
まあ、いいか。
私が笑って頷くと、エッちゃんは信さんの隣に座って足をバタつかせた。
大将がエッちゃんの前にケーキを置く。
「エッちゃん、そろそろお母さんが迎えに来る時間だから、これ食べたら着替えてきな」
「はい!」
そう返事して、手を合わせる。
「いただきますっ!」
木製のスプーンを手にとり、ケーキの端を掬って小さな口でパクリ。
「ほ、ほわ~ぁ!」
ニンマリ笑顔のまま両手を頬に当てて、エッちゃんは背を丸めた。
「ガッハッハ、この世の物とは思えんほど美味かろう!」
そう言って信さんは陽気に笑っている。
それ作ったの、私なんだけどな……。




