第26話『ホワイトな職場』
「じゃあ、アップルパイアラモードはメニューに決定でいいね?」
大将にそう聞かれ、私は頷いた。
「 はい。次からはバニラアイスも自作でやりたいです」
「オッケー。じゃあ、今日はそろそろ上がってくれ」
私は驚いて大将を見た。
まだ夕方だ。
それに、まだお客さんは一人も来ていない。
「えっ、でもこのお店って、これから忙しくなるんじゃ……?」
「うん、そうだけどエッちゃんもいるしさ」
「接客もしますよ、私」
そう告げると、大将は首を横に振った。
「それはありがたいけど、今日は朝早くから働いてるからね」
私は作業場の部屋がある方を見つめた。
今日はまだまだあの窯を使って試作したかったけど……。
「朝早くから働いているなら、休まなきゃダメです」
そう言ってエッちゃんは、ニコッと笑った。
大将が、手をパンッと叩く。
「今日はもう終わり! 分かった?」
……そうなのか。
ここって、意外とホワイトな職場なんだ……。
「分かりました」
私はそう言って、ベレー帽を脱いだ。
「ありがとうございました」
礼をすると大将は頷き、奥の部屋の居間を指差した。
「賄い作ってるから食べていいよ」
なんていい職場なんだ。
家賃ゼロ、食費ゼロ、そして新人パティシエだというのに、給料も高い。
「あの、いいんですか?」
「ん、何が?」
「こんなに良くしてもらっちゃって……」
私は厚待遇すぎて不安になり、質問した。
すると大将は笑った。
「全然構わないよ。実を言うと、ウチの店は恐いくらい売上あるから。それに結斗さんが以前言っていたんだけど、パティシエを雇うと、多少給料を高くしてもパティシエに払う給料の50倍は店の売上が増えるらしいから」
給料の50倍……。
私は昨日、月収30万円で雇われることが決まった。
この破格の金額は、結斗さんが口を利いてくれたことが大きいけど、私がお菓子を作れるという
ことを結斗さんも大将も知らない状況での金額だ。
もちろん給料を上げろなんて言わないけど、パティシエとしてなら、一体いくらの契約になったんだろうか……?
元々パティシエをいくらで雇おうと思っていたのかは分からないけど、月1500万円以上は売上を見込んでいるということだろう。
「そ、そんなに売れますかね……?」
金額の大きさに動揺する私。
「売れる売れる。平安時代の二人なんてずっとお菓子を熱望していたし、信さんもかなりの甘党だからね。昔の人は美味しい食べ物に平気で大金落としていくから」
そ、そうなんだ……。
まぁ確かに、平安時代の人にケーキを売ったら、一切れ5万円とかでも売れそうだけど……。
「ワシも甘いもん好きやき」
突然後ろから声がして振り返ると、いつの間にか龍馬さんが立っていた。
大将が龍馬さんに言う。
「龍馬さん、いつの間に……」
龍馬さんは子供っぽく歯を全開に見せて笑った。
「おまんら難しい話やっちょるき、こそっと忍び込んだがじゃ」
龍馬さんに気付いたエッちゃんが、龍馬さんの元に駆け寄る。
「龍馬さん!」
「おう、エッちゃん」
そう返事して龍馬さんがエッちゃんの頭にポンッと手を置くと、エッちゃんのカチューシャが少しずれた。
カチューシャを直しながらエッちゃんが言う。
「龍馬さん、長崎には?」
「おう、すんぐに行かないかんちや。今日でこん店とは暫くお別れじゃ」
龍馬さんとエッちゃんの会話に、大将が割って質問する。
「長崎に用事なんですか?」
龍馬さんの代わりにエッちゃんが答える。
「いろは丸で武器調達ですよね!」
私は感嘆を漏らしてエッちゃんを見た。
ほんと、何でも知ってるな、この子……。
「まっ、ちゅうことぜよ」
なぜその事を知っている!?──みたいな反応を、龍馬さんはしない。
龍馬さんにとってはもう、自分の歴史をエッちゃんが解説するのには慣れたもんなんだろう。
「はあ、そうですか……」
そう返事した大将。
きっと何も理解せずに返事したやつだ、あれは。
大丈夫、私もなぜそれで龍馬さんが長崎に行かなきゃいけないかなんて、分からないよ。
「ちゅうわけで大将、今日中に大坂行くきに、すっと作れる物頼むちや」
そう言ってカウンター席に座る龍馬さん。
「了解です。ラーメンはどうです?」
「構んぜよ」
龍馬さんがそう答えると、大将は私が作ったアップルパイを一切れ龍馬さんの前に置いた。
「これ、歩実さんが作ったんですよ。食べてみてください」
大将にそう言われ、私を見る龍馬さん。
「なんじゃおまん、こん店で働くんかえ?」
「はい、今日から働くことになりました」
「そうかえ」
そう言って龍馬さんは素手でアップルパイを持ち、先端を一口かじった。
どんな反応するだろう?
私はドキドキしながら様子を窺った。
「ん? んん!?」
口をモゴモゴと動かし、ゴクリと飲み込んでから龍馬さんは叫んだ。
「こりゃ、たまるかっ!」
急ぐように残りのパイを口に入れる。
その姿だけで、私の心は温かくなった。
「旨いでしょ?」
大将がニヤッと笑う。
龍馬さんは私の方を向き、言った。
「これ、おまんが作ったがか!?」
「はい」
「やるのう……」
そう言って龍馬さんは大将に顔を向けた。
「大将、もっとくれんかえ?」
「ええ、構いませんよ」
そう返事して大将は龍馬さんの前に、皿に乗ったパイを差し出す。
龍馬さんは、両手で一切れずつパイを取った。
「京都に戻る楽しみが増えたちや」
そう言って龍馬さんは立ち上がった。
「大将、エッちゃん、歩実さん、ほいじゃの!」
そう言って店のドアを開けて立ち去ろうとする龍馬さんに、大将が慌てて言う。
「えっ、龍馬さん、ラーメンは!?」
「また今度でええっちや」
最後にそう言って、店の扉を閉めた。
「嵐のように去っていきましたね……」
ドアを見ながらそう言うと、大将が頷いた。
「最近忙しそうだね、龍馬さん」
エッちゃんが静かに言う。
「忙しいですよ、今年はずっと、12月まで」
「へえー、じゃあ、年末年始はゆっくりできるといいねえ」
そう言って能天気に笑う隣で、エッちゃんは悲しそうに店のドアを見続けていた。




