第23話『住み込み菓子職人』
下の階から物音が聞こえ、私は目を覚ました。
布団を畳んで押入れにしまい、洗面所で歯磨きと髪を整えてから下の階へ降りる。
時刻はまだ6時だ。
階段を降りて居間を抜けるとカウンターがあり、カウンターには客から見えるキッキンが備わっている。
さらに客から見えないカウンターの奥は木造ではなくコンクリートの空間になっていて、レンガ式の大きな窯のある作業場があった。
そこに大将はいた。
「おはようございます」
そう挨拶すると、小麦粉を作業机に広げていた大将は手を止めて言った。
「おはよう。よく眠れたかい?」
昨日あれから、私はこの店に泊まった。
大将は実家から通っているため、この店には住んでいない。
私が泊まったのは、普段エッちゃんが寝泊まりしている部屋だ。
これから先、あの部屋で暮らしてもいいということになった。
そうすれば、借金をする必要はない。
結斗さんが考えた案だ。
エッちゃんが泊まる日は二人で一緒に寝ることになるけど、それでも家賃タダという案に、私は飛び付いた。
エッちゃんに迷惑かもしれないけど、エッちゃんは快く承諾してくれた。
「はい、よく眠れました!」
そう返事すると、大将はニコッと笑った。
そして腕を組み、頭を傾げる。
「うーん、雇うとは言ったけど、今日から何をしてもらおう……」
そう言う大将を横目に、私はレンガ式の窯を見た。
あんなものでパイを焼いたら、絶対美味しい……。
「私、お菓子を作りたいです!」
大将は驚いて私を見た。
「えっ、歩実さん、お菓子作れるのかい?」
「はい、専門学校に通っていました」
「マジか……。あっ、だから昨日あんな風に食べてたんだ……」
そう言って、何かを思い出す大将。
きっとそれは、ここの料理を食べている時の私の顔だ。
「ちょっ、あんな風って、何ですか!?」
「なんかこう、まるで利き酒するような。味の全てを紐解いてやろうって感じの」
そう言われ、私は赤面した。
そんな高尚な考えで食べていた訳じゃない。
ただ、単純に味を楽しんでいただけだ。
私は美味しい物に出会うと、目を閉じる癖がある。
だって美味しい物は深く、より深く味を楽しんだ方がお得なんだもん。
「しかしマジか……。デザート作れる人、ちょうど募集してたんだよ」
大将の言葉で、私は一昨日のデザートを頼んで断られたことを思い出した。
「知ってます。だから昨日、私はこのお店で雇ってもらうっていう発想になったんです」
そう言うと、大将はハッとした表情で「なるほど!」と相槌を打った後、懸念のある表情を浮かべた。
「しかし困ったな……」
そう言って腕を組んだまま思案する大将。
「困ったって、何がですか?」
そう聞くと、大将は言った。
「歩実さんに着てもらう厨房服がない」
言われてみればそうだ。
そもそも私は、着替えすら持っていない。
今も濃い緑色のTシャツに、水色のチノ風ワイドパンツを穿いている。
パジャマすら持っていない為、寝る時もこの格好だ。
思えば一昨日から着替えていない。
「あとウチにある服といえば……」
大将がそう言った時、私は首を横にブンブンと振った。
「絶対嫌ですよ、メイド服着るのは!」
大将は驚愕して私を見た。
いや、焦ったのかもしれない。
「ち、違う違う! そんなつもりは一切ない!」
本当だろうか……?
体を防御する姿勢をとりながら、私は大将を怪訝に見た。
大将は何かを思い付いたように、掌をポンと叩いた。
「そうだ、買い物に行って来てよ、厨房服とデザートの材料」
「えっ、いいんですか!?」
「うん、勿論。店で出すメニューが決まるまで、色々試行錯誤して作ってもいいから、好きに材料買ってきて!」
なんてありがたい言葉なのだろう。
私は調子に乗って、さらなる要求を試みた。
「ついでに普段着の着替えとパジャマ、あと生活用品モロモロも買っておきたいです」
「いや、それはさすがに経費で出せないよ?」
まあ、そりゃそうだよね。
「それくらいは貯金あるんで大丈夫です」
「そっか、じゃあ買い物行ってきな」
「はい、行ってきます!」
そう言って笑顔になり、私は踵を返した。
「えっ、もしかしてもう買い物に行くのかい?」
「はい、ちょっと歩いてメニューを考えます!」
そう言って私は店を後にした。
突然の就職、突然の住みか。
まだバイト先にすら、辞めると言っていない。
お兄ちゃんには京都に行くことすら言っていない。
昨日の朝の私にこんなことを言えば、あり得ないと叫んだだろう。
不安は勿論ある。
それでも、これから起こることに胸が鳴ったのだった。




