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6・円心、播磨守護就任:元弘三年(1333)

【円心、播磨守護就任:元弘三年(1333)】



巨鼈山福厳寺(神戸市兵庫区)……船上山からの還幸した後醍醐天皇が、播磨国書写山、増井随願寺、法華山一乗寺などを経て、五月三十日に入られた寺院。ここで赤松円心は初めて後醍醐天皇に拝謁が叶う。翌六月一日に天皇が兵庫を経たれたところに、楠木正成が参向し、新田義貞の急使が鎌倉の陥落を奉じに来た。鎌倉幕府滅亡。



信貴山(奈良県生駒郡平群町)……護良親王と足利高氏が対立した際に、京都六波羅に兵を集めた高氏に対して、護良親王側が兵を集めた場所。天皇の命によって、同六月十七日、親王は信貴山を出て八幡に入り、このとき、二十万七千騎余の兵が集まり入京。その先陣を赤松円心率いる千余騎が務めた。



この年の夏、円心は播磨国守護に任じられるーー。



※承久の乱で焼失した大内裏を再建するべく、円心は播磨国三方庄(宍粟市)の木々を用いようとした同九月の時点の円心直筆の書状が残る。

※この時期、まだ新任守護と古い御家人の関係は対等に近いものだったとされている。


ただし、この円心の用材調達命令は、十一月三日、新たに播磨国国司に任じられた新田義貞が三方西庄を大徳寺に寄進し、同十日に天皇が承認されたことを受け、伐採作業は中断。円心の面目は丸つぶれとなった。


これ以降、後醍醐天皇とのすれ違いが始まる。


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