4・倒幕挙兵にむけた動き:元徳三年(1330)~元弘三年(1333)
【挙兵以前:元徳三年(1330)~元弘三年(1333)】
比叡山延暦寺(滋賀県大津市)……元徳三年(1330)、後醍醐天皇による倒幕運動が始まり、護良親王が天台座主より還補、『大塔宮』と称された。以前から比叡山には、赤松円心の三男・赤松則祐と小寺相模守頼季が出入りし、護良親王に武芸の修練を行っていたとされる。
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大覚寺(兵庫県尼崎市)……能勢月峰寺の別院。嘉歴元年(1326)の起請文に『執行範資』、『惣追捕使貞範』の名が残る。赤松円心の長男・赤松範資、次男・赤松貞範が早くから尼崎入り、地元の人間と繋がりを持っていたのではないかとされている。『赤松記』には『(赤松範資)若き時、尼崎の城に居住』の記載がある。
※赤松記……天正十六年(1588)八月、後期赤松家の重臣・得平定阿が八十四歳のときに完成した歴史書。同じ名前で書き手の異なる書籍が複数存在するので注意が必要。
金峯山寺(奈良県吉野郡吉野町)……元弘元年(1331)、笠置山での戦いに敗れた大塔宮(護良親王)が吉野に落ち延びた際、同寺の蔵王堂が御座所になった。赤松則祐、小寺頼季が大塔宮のために奮戦。現在の蔵王堂は天正廿年(1592)に再建されたもの。
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高野山(和歌山県伊都郡高野町)…………蔵王堂を出た大塔宮と赤松則裕が逃れた場所。高野山から大塔宮が千早城に入ったのを確認すると、赤松則祐、小寺頼季の二人は播磨国に援軍を求めるべく令旨をもって山を下りた。後に円心、則裕親子の寄進により子院の再建がなされ、『赤松院』と改称された。今も全国の赤松一族の菩提を弔う。
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播磨太山寺(神戸市伊川谷)……大塔宮が千早城に入った際、播磨に援軍を求めた元弘三年(1333)の令旨が唯一現存する寺院。当時の注進状を含め数多くの寺宝が所蔵されている。
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