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3・赤松円心の時代

(3)赤松則村の時代



佐用庄が京都九条家の領地だった縁から、若かりし頃の則村が上京した際に、雪村友梅(せっそんゆうばい)と途上で出会い、友梅から「あなたは必ず偉くなります」と言われたことを受け、「お礼を申し上げる。もしそうなったらあなたの徳を忘れません」と返したという。『翰林葫蘆集』(一説には、則村廿九歳、友梅十八歳)


則村の青年時代、彼が九条家は東福寺と縁深く、播磨国内で最初に建立された法覚寺(平野庄)も東福寺派だったため、播磨国内の禅寺はほぼ東福寺派となっていた。後に赤松氏が雪村友梅に帰依したところから、播磨国には一山派の禅寺が建立されるようになったという。


明極楚俊(みんぎそしゅん)……元国の僧。嘉歴四年(1329)五月、雪村友梅らとともに68歳で来日。元徳二年(1330)、京都で後醍醐天皇より仏日燄慧禅師の号を賜る。幕府の要請ではじめ建長寺の住持となる。元弘三年(1333)、隠岐から復位した後醍醐天皇の招聘で南禅寺十三代に選出され、翌年には南禅寺が京都五山のうち第一の寺として扱われるようになる。建武元年(1334)、仁和寺二十四世。摂津広厳寺を開山。則村に法名『円心』を与えた可能性がある人物。


※円心が生きた時代の史料には則村の名は少なく、ほぼ『円心』名義。


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