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2・赤松家系図

2・赤松家系図



赤松家は歴史的に複雑な事情から家系図が複数存在する。ただし、室町後期~江戸初期に書かれたものが大半で、その中でも『続群書類従』の中の【赤松系図(六篇)】【石野系図】【有馬系図】が比較的知られている。


現存する最古の家系の記録は、文亀二年(1502)、翰林葫蘆集(かんりんころしゅう)に記された宝林寺宝所庵にて九代当主・赤松政則の七回忌の法要が行われた際の記録とされる。


『昔、村上天皇王子有り。具平親王という。時に六条宮と号し、後の中務卿と称す……。(中略)……播磨権守家範なる有り。始めて赤松と号す。家範四世の孫、則村という。法名・円心、月潭(げったん)と号す』


※『翰林葫蘆集』……景徐周麟(けいじょしゅうりん)が書き記した語録集。

※景徐周麟(1440~1518)………臨済宗相国寺派の総本山・相国寺の僧侶。父は足利幕府の重鎮・大舘持房、母が赤松則友の娘。相国寺以外にも、近江永源寺、等持院(足利一門の菩提寺)、鹿苑寺などに住むことを許され、晩年は相国寺に戻り慈照院を建立して退隠した。


以上の事から、少なくとも文亀年間の頃には、すでに源季房の落胤が赤松家の祖であったという認識が赤松家の中にあったことが伺える。

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