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澄んだ目で

さっきまで晴れていた空は、あっという間に真っ黒で重たそうな雲におおわれた。


雲の内側で雷がくぐもった音を鳴らし始める。


一粒、雨が落ちると瞬く間に大雨になった。


俺は走っていた。


雨を吹き飛ばす勢いの全力疾走だった。


熱くなった身体が叩きつける雨で冷やされていくが、気持ちは急いてどうしようもなかった。


前を走る壮に追いつかなければいけない。


視界が雨に阻まれて、壮の制服姿の背中がうまく追えない。


川沿いの堤防へ壮は駆け上がった。


俺もすぐに後に続いた。


傘を持っていない人々が、俺達とは逆に堤防を降りて行く。


俺はすれ違う人に何か起きていないか、一瞬の間に確認する。

変わりなく走り去る様子に心底ほっとするが、すぐに壮の背中を追う。


「そーう!」


俺は叫んだ。


走って荒い呼吸のまま叫んだので、肺が破れるかと思うほど胸が痛かった。


雨音に掻き消された俺の叫びに、やはり壮は何の反応もなく走り続ける。


追いかけながら、俺は壮があんなに苦しんでいたことを知らなかった自分を責めた。



───学校から帰ると、両親が派手な喧嘩をしていた。


リビングから響く、金切り声と脅かす野太い声。


またか、と俺はうんざりしながら二階の自室へ上がろうとした。


しかし、半分開いた台所の扉から壮の姿が見えた。


カウンターから二人の喧嘩を見ているようだった。


「……壮……」


俺はこっそりと弟を呼び一緒に二階へ行こうとした。


しかし、壮の姿を見て俺は息を飲んだ。


壮は、弟は、包丁を両手で持ち両親を能面のような表情で眺めていたのだ。


「壮!」


俺はとっさに大きな声で弟を呼び、包丁を取り上げようと扉を開けて壮の腕をつかんだ。


「……っ時雨」


壮は驚いた表情で俺を向いた。


弟の目はとても澄んでいた。


何度も同じことで喧嘩をして、なのに離婚しない両親に俺達は何度も泣かされた。


理不尽に振り回されていることに気づいたのはいつだったか……


いつしか両親を諦めて、割り切ってしまうと、すっかり他人事になってしまった。


どれだけ喧嘩をしてもうるさいと思うだけ。


そう思っていたのは俺だけだった。


壮は両親をその澄んだ目で見続けていたのだ。


「壮、包丁を離せ……」


俺の言葉で壮の目に意思の光が灯る。


「……どっちか殺す。そうすればもう終わる」


「………」


計り知れないほど苦しんでいたと思い知らされる弟の声に、俺はたじろいだ。


「二人とも、なにやってるの!」


母さんが興奮そのままに俺達に叫ぶ。


壮が弾かれたように走り出す。


俺はつかんでいた手を振りほどかれ、その場にしりもちをついた。


「……っ!」


壮は手に包丁を持ったままだ。


「壮!待て!」


慌てて立ち上がり、壮の後を追う。


開けっぱなしの玄関をスニーカーを突っ掛けて飛び出すとき、また二人の争う声がした。




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