ズルする悪魔
「家に帰りますか?」
輪廻の声が、頭の中に響く。
住宅街の片隅で、しゃがみこんで泣いている俺は、変質者以外の何者でもないだろう。
「……そうだな……」
涙もそのままに、俺は立ち上がる。
家に帰ると、テレビもつけっぱなしで母さんが台所のカウンターで酔いつぶれて寝ていた。
父さんは寝室か、どこかに出掛けたのだろう。
「母さん、母さん。風邪ひくよ」
俺は母さんの肩を軽く揺さぶるが、起きる気配はない。
手に握っている発泡酒の缶をそっと取って、他の空き缶の横に並べて置いた。
数えると、五本開けている。
「……飲みすぎ」
テレビを消し、リビングのソファーに掛けてあった薄手の毛布を持ってきて母さんの背中に被せる。
「おやすみ、さよなら」
俺は小さく呟いて二階の自室へ上がる。
壮の部屋の前で聞き耳をたてたが静かだった。
諦めて自室へ入る。
「お疲れさまでした」
俺のソファーベッドに輪廻と転生が座っている。
二人とも、優しい微笑みを浮かべていた。
「決心されたようで、何よりです」
「怖いことあらしません。痛みも恐怖もちゃんと取り除きます」
「……ありがたいよ」
二人に笑うと、涙が乾いて皮膚がうまく動かなかった。
「……あなたの死んだ時の記憶、こちらで確認できました。どうやら統合化と同じ瞬間に死亡されたようで、天魔界の漏れ出したエネルギーが魂消失のエネルギーに呼応してこのような事態に……」
輪廻がすぐに無表情に戻って説明する。
ああ、そうだった。
俺はつばめに殺されたかもしれないのか……
「ま、待ってくれ、俺が死んだら時間が巻き戻ったりするのか?」
もし、つばめが俺を殺していたら、つばめは殺人犯になる。
「時間は操作できません。もう、過ぎ去ったことです。あなたは死んだのに生きてしまった。しかし、あなたには同じ状況で死んでもらいます。こちらで確認できた以上は起こったことを変えられませんので」
輪廻が事務的に言う。
「岸辺はんが死んでからの皆さんの岸辺はんと関わった記憶は、思い出せないようにできますよって。どっかの防犯カメラなんかに映っとったとしても、人間には見つけられまへん。これはこの世への辻褄合わせで、責任は天魔界が負います。」
「……俺は死んだ時のこと思い出せてないけど、その記憶見せてもらうことはできんの?」
「………」
二人は押し黙り、視線を交わす。
「見る時は岸辺はんが死ぬ時です」
転生が表情を強ばらせ、はっきりと言う。
「……つばめが俺を殺したのか知りたい」
「……口答でいいなら、お教えできますが……」
「……もし、つばめに殺されていたとして、その事実を無かったことにはできるのか?」
「……できません。同じ状況でと説明したはずです」
「もし、死なずにこのままで居続けたらつばめは殺人犯にならないのか?」
「……そうですね。あなたの死体がありませんので」
俺と輪廻のやり取りに、転生は口を挟みたそうに何度もソファーベッドから腰を浮かしかけている。
「俺がそれを望めば、叶うのか?」
「……はい。死ぬか、世界と自分自身に忘れ去られるか、どちらでも。許可はでてます。その代わり、決めた瞬間からもうあなたの存在はこの世の人間には認知されませんので」
「……ああ、もう引き伸ばすつもりはないよ」
俺はソファーベッドの前に座り、二人を見上げた。
「とにかく、俺が死んだ状況を教えてくれ、それから決める」
「輪廻、ええやろ?」
転生も俺の申し出の後押しをしてくれる。
「分かりました。少しズルして、死亡直前まであなたの頭の中に送ります」
輪廻が少しだけ表情を動かして言う。
「できるんやないの、もったいぶってーもー輪廻、さすが悪魔やわぁ!」
「たぶん、停職処分……」
「うちがうまいこと庇ったる!」
「うん……ありがとう」
二人のたぶん仲むつまじいやり取りを見ながら、俺は脳内の雨音に耳をすまし始めた。




