holly night
壮は無邪気な変人、俺はまともなふりした変人。
両親は自分の息子二人ともがまともじゃないと、感じているのだろうか?
おばあさんも、孫をそんなに言うなんてよっぽどだ。
まあ、つばめは嘘つきだから、そう見えてもしょうがないのかもしれない。
きっと、家でも嘘の笑顔なんだろう。
「時雨くん。お待たせ」
暖簾をくぐって、つばめが皿を運んでくる。
「桃果さん特製オムライスです」
とろとろの卵とデミグラスソースの匂いに食欲をそそられた。
つばめは自分の分をおばあさんがさっき座った席に置いた。
「いただきまーす」
「……いただきます」
スプーンを差し込むと、ほかほかの湯気がたちのぼる。
ケチャップライスには玉ねぎやピーマン、人参、グリンピース、マッシュルーム、少し大きめな一口大の鶏肉がふんだんにまざっている。
卵と一緒にデミグラスソースをからめて口に運べば、うまい以外、何も浮かばない。
「おいしいねぇ」
つばめがこちらを向いて嬉しそうに笑った。
「……うまいな」
つばめの嘘のない笑顔に泣きそうになる。
そして、暖簾の向こうから出てきた桃果が、つばめを優しい眼差しで見つめていた。
あーあ……
マジで泣きそう。
「ジュースないから、これ飲みなさい」
カウンターの向こうからおばあさんがグラスを二つ置いた。
涙を喉の奥で飲み込んで、グラスを見る。
炭酸だろうか。
透明な水に氷、それに気泡がたくさん。
薄く切られたライムが浮いている。
飲んでみると、さっぱりとしていて炭酸もきつくなかった。
「アルコール入ってないから、酔わないでよ」
「おばーちゃん、分かってるよ」
つばめが面白そうに言い返す。
おばあさんは俺をちらりと見てからまた洗い物に戻った。
酔いたいくらいだけれど、オムライスはうまいから、これで我慢しよう。
二人で、もう会話もせずにオムライスにがっつく。
つばめもお腹が減っていたのだろう、俺と同じくらいの速さで食べ終えた。
「トーカ、一曲歌って」
言いながら、片づけを終えたおばあさんはカラオケのリモコンを操作していた。
「ば、ばばあ!」
ピッ、という電子音の後にすぐ曲の前奏が始まる。
ほらほら、と両手でカウンターからおばあさんは桃果を追い出した。
どうやら桃果はおばあさんには逆らえないようで、睨みながらも、ステージに上がりマイクを握った。
「わー、久しぶりに桃果さんの歌だ」
つばめは聞いたことがあるらしく、軽く拍手をしてソファー席に移動する。
しかし、座ることはせずにフロアでリズムをとりだした。
テクノポップ、のジャンルだろうか。
疾走するビートに、かけのぼる音階が煽っていた。
桃果が歌いだすと、俺も知っている曲だった。
て、言うか、女のアイドルの曲じゃねーか。
びっくりしていたが、桃果はちゃんと歌いこなしていた。
顔は苦虫を噛み潰したような表情だが、歌声は軽やかで伸びやかで、歌い慣れている。
「なかなか上手でしょう」
おばあさんもリズムをとりながら俺に言ってくる。
俺は頷いた。
最初から桃果の歌みたいに聞こえる。
キャピキャピした元歌のアイドルとは正反対の落ち着いた声だが、不思議とこの曲に合っていた。
つばめは踊るまではいかないが、身体を揺らしたり手を上げて振ったりして桃果の歌に身を任せている。
「時雨くんもおいでよ」
くるりとこちらを振り返って、つばめが俺の両手を握り引っ張る。
油断していたので椅子から飛び出すように俺はフロアに立たされた。
桃果が歌いながら、ざまーみろ、と目だけで言う。
心の中で舌打ちをしながら、つばめに無理だとデスチャーで伝えたが、狭いフロアの中をつばめが跳び跳ねながら俺の手を引き続ける。
めっちゃくちゃ笑顔で。
「時雨くん!楽しーね!」
俺に身体を預けたり離れたりしながら、つばめは低音のリズムに目を閉じて笑う。
黒いワンピースの裾を回って膨らませ、俺がリードしているかのようにステップを踏んで近づいて笑う。
間奏に入ると、桃果も引っ張ってきて俺と行ったり来たりのダンスもどきをして笑う。
間奏が終わると、桃果をステージに戻して、また一人で踊りだす。
ミラーボールの光の粒が、つばめの黒いワンピースを走る。
カラオケに無心に踊るつばめに、俺はすっかり気後れしていた。
きっと、今、彼女は一人の世界に没頭している。
だから、あんなに笑う。
安心できる、おばあさんと桃果、俺も新しく加わった、つばめの世界で彼女は無心に踊り、笑う。
時々危うい目で俺を見ていたけれど、実際に俺は映っていないのが分かった。
きっとつばめの中の何かを映していたのだろう。
一緒に楽しめたらどんなにいいだろう。
でも、俺はつばめを全て理解できないから……
「時雨くん!」
また、手を引っ張られてぐるぐる回る。
回る、回る、回る。
実際の速度よりずっと速い背景移動は、俺をつばめの世界に誘っているみたいだ。
「桃果さんのオムライス!おばーちゃんのライムサイダー、時雨くんのキス!」
サビを歌う桃果に合わせて、つばめが叫ぶ。
我に返ることなど、考えてもいないのだろう。
それほどに夢中なのだ。
つばめの世界はここにあった。
つばめの世界はここだった。
だから、別の世界では嘘の笑顔なのだ。
それが分かった俺はつばめと笑いあっていた。




