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何かを始めるのに遅すぎるということはなかった

犬は俺の後ろでお座りをしていた。


軽く尻尾を振って俺が頭を撫でるのを待っているかのようだった。



もう一度チャイムを鳴らして犬の頭にそっと触れたら、犬はぐるんとひっくり返って腹まで見せてきた。



「……おまえも男か」



番犬にはならなそうだが悪魔には吠える。


まあ、いいか……



ぼんやりと疲れを感じながら犬の腹を撫で回していると、玄関が開く音が聞こえた。




振り向くと、上半身裸で下はジャージ姿の桃果が出てきた。


俺を少し驚いたように見た後、すぐに迷惑そうな表情を浮かべた。



風呂に入ったらしく石鹸の匂いが鼻につく。


化粧も、もちろんしていない。髪もカツラだったのか普通のショートカットだった。

濡れた前髪からぽたぽたとしずくがしたたっている。



俺は入試の日に掛上と一緒に居たのはこいつだと確信する。




「これ、掛上の」



俺は紺色のリュックを持ち上げて桃果に押しつける。



受け取ったら即帰るつもりだ。



「………」



「おい」



桃果は俺から少し視線をずらしてリュックを受け取らない。



「ちっ……ここに置いていくからな」



疲れが苛立ちを加速させ、俺は盛大な舌打ちの後、リュックを桃果の足元に置いた。



「まぁまぁ、待てよ」



いきなり首に腕をまわされ、きつく絞められる。



「せっかくだからつばめに会ってけよ。もうすぐ風呂から出てくるからさ」




「やっやめろ!」



急いで抵抗するが、力が強すぎて桃果の腕はびくともしなかった。

頸動脈を圧迫され、暴れるとさらにくい込んでくる。


引きずられるように玄関へ連れ込まれ、掛上のリュックは外に放置されたままドアがバタンと閉まった。



「離せよ!」



俺の声を無視してスニーカーのまま玄関から廊下へ引きずられ、そのまま次のドアの中へ連れていかれる。



自分の非力が情けなくなり、自然と抵抗する気が失せてきた。



こんなことなら水原に空手道場に誘われた時、受けていればよかった。

高校からの習い事は遅い気がして、自分の気持ちはまったく考えようとしなかった。

もし、軽い気持ちでも習っていれば、この男の腕を解くことくらいはできていたはずだ。




「諦めたか」



全身の力を抜いた俺を楽しげに桃果は畳へと放った。



殴られた頬を畳でしたたかに擦りむいて、俺は思わず呻く。



死んでんのに、律儀に痛むなよ。



「おっ!つばめ、おまえの彼氏がヤりに来たってよ!」



桃果の言葉にぎょっとして、反射的に体を起こした。



俺が居る畳の部屋の隣は台所になっていて、そこに掛上が立っていた。



Tシャツに半ズボン姿で、肩までの髪からは桃果同様にしずくがしたたっていた。



「桃果さん……」




掛上は俺をさらっと見た後で媚びるように奴の名を呼び、彼女が踏みしめた板の間の床が、ギギギ、と鳴いた。




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