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コランダム商会の設立経緯~婚約解消したら、元婚約者の『心から愛する人』が土下座しに来たんですけど~  作者: 晩夏ノ空


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9 今後の予定


 思わず呆けた声を上げると、次の瞬間には雰囲気が変わる。

 身を離した女性は、艶やかに微笑んだ。


「もし何か困ったことがありましたら、当店にいらしてくださいな。ザカリー様にもダニエル様にも、うちの──『胡蝶の夢』のオーナーはそれなりに強く出られますから、身を守るには最適ですわ」


 冗談なのか本心なのか、それは分からない。けれど、気遣ってくれているのは分かる。

 初対面なのにどうしてここまで親切にしてくれるのか不思議で仕方ないが、私は一旦疑問を棚上げにした。


「ありがとうございます。いざという時には、頼らせてください」


 微笑み合っていると、思いのほか早くジョージが戻ってきた。


「お待たせいたしました。こちら、ご確認ください」

「──はい、確かに」


 革袋の中身を確認して、女性が笑みと共に頷く。それでは、と踵を返しかける女性に、父が追いすがった。


「ま、待ってくれリリィ! 出禁なんて、そんな」

「あら、可愛いご令嬢の頼みですもの、断るなんてありえませんわ」


 リリィと呼ばれた女性が、涼しい顔で応じる。

 父を見遣る流し目は色っぽいが、とても冷ややかだ。つい先ほどまで執務室で父とよろしくやっていたとはとても思えない。


「君にとって、僕は良い客だっただろう!?」


 その自己アピールもどうなのか。私が眉をひそめていると、リリィの目がまた一段、冷たくなった。


「ええ。ひたすら甘やかしてほしいと言うだけで、それ以上は求めない──優良顧客には違いないですわ」


 ただ、甘えていただけ。それを聞いて、私は少しだけ安堵する。

 …自宅にまで呼び出しておいて、それはそれでどうなんだと思わないでもないけれど。

 リリィは口元だけに笑みを浮かべたまま、ですが、と続けた。


「一つ、良いことを教えて差し上げますね」


 その口元に、人差し指が添えられる。


「夜の店で働く者はみな、何かしらの事情を抱えています。借金返済のため、生活費を稼ぐため、それに──婚約者に捨てられて他に行き場がないから、父(・)が(・)働(・)か(・)な(・)い(・)か(・)ら(・)、とか…ね」

「っ!」


 声が不意に、地を這うような響きを帯びた。父が口の中で悲鳴を上げる。

 リリィの口元は相変わらず笑んでいて、極寒の眼差しが余計に強調されている。


「私、貴方のように身内に全てを背負わせて自分だけ不幸面をしている男が、この世で一番嫌いですの。ましてや、婚約解消を言い渡された娘の心情を慮(おもんぱか)ることなくお金の心配だけして娘に責任転嫁する父親なんて、骨の髄までドラゴンにすり潰されればいいと心底思いますわ。客としてなら割り切って相手をしますけれど、客の家族に止められたなら喜んで関係を断ちます」


 ドラゴンにすり潰されろ──この国において最上級の軽蔑を意味する言葉を、リリィは躊躇(ちゅうちょ)なく口にした。

 私が説明した今日の一連の出来事と父の反応が、彼女の逆鱗(げきりん)に触れたらしい。とても上品な態度で、容赦なく、リリィは父を切り捨てる。


「私どもの店は、あくまで余裕のある方が余剰資金で楽しむものであって、身を滅ぼすためにあるのではございませんの。お嬢様の言う通り、お店に通いたいのであればお嬢様にご許可をいただいた後、ご自分で稼いで余ったお金を使って来てくださいな。──もちろん、ご来店の際には、本当に働いているのか否か、お嬢様に確認させていただきますけれど」


 父に冷たく微笑み、それでは、と一転して柔らかな笑顔を浮かべて私とジョージに一礼すると、リリィは颯爽と去って行った。


「…あ…」


 呆然とする父の顔が、何とも滑稽(こっけい)だった。





 その後、私は改めて執務室に踏み込んだ。


 先ほどまで床に転がっていたはずのワインの瓶はローテーブルに置かれ、それ以外はきちんと片付けられている。恐らくリリィが隠れていたであろうカーテンも、ひだの取り方からタッセルの結び方まで完璧だ。

 匂いは流石にそのままなので、私はとりあえず、窓を開けた。


 まだそれなりに明るいが、既に日は沈んでいる。少しだけひんやりとした風が頬を撫で、存外、頭が火照っていたことを自覚した。


「お嬢様…その、ダニエル様とのことは」

「聞いた通りよ」


 ワインの空き瓶を手に取ったジョージが、眉を下げて何とも言えない表情になっている。窓を背に、私は緩く首を横に振った。


「あちらの勝手な都合での婚約解消だから、デズモンド様──ダニエルのお父様から取り消しの申し出があったとしても、私は受けるつもりはないわ。それでなくとも、今までのダニエルの態度は到底許容できるものではなかったから」

「と、いいますと?」


 首を傾げるジョージに、私は今までのダニエルの所業を語る。


 少しでも面倒そうな書類があると、全て私に横流ししてきたこと。

 取引先に同行したり会合に出たりする時には、レトラ商会で用意された衣装を着た私に対し「余計に冷たく見える」「もうちょっと可愛げがあればなぁ」と理不尽なクレームを入れ、私のことを社交辞令で褒める先方に対し「不出来な婚約者で困っている」などと嘲笑し、私を再三、侮辱していたこと。

 夜の店の女性に色目を遣い、女性が本気になったら自分が不在のタイミングをわざと教え、商会に乗り込んできた女性に私が対応するよう仕向けていたこと。

 本来なら自分で処理できるはずの書類を放置して、私に処理させていたこと。


 並べ立てているうちに、ジョージの表情が強張っていく。そしてその顔は、所在なさげに佇んでいる父に向いた。


「旦那様。旦那様は、お嬢様が斯様(かよう)な扱いを受けていたことをご存知だったのでは?」

「え、いや、それは」

「お父様はご存知ないわ、ジョージ」


 フォローのつもりはない。ただ、淡々と事実を述べる。


「3年前にレトラ商会からの婚約の打診に飛びついた後は、これで我が家も安泰だと言って遊び呆けていただけだもの。私とまともに話をするのは私が家政にまつわる大きなお金を動かしたい時だけで、その内容も業務連絡だけ。娘の近況なんて知るはずもないわ」


 父が泣きそうな顔になっているが、無視する。これに関しては私も「父に言ったところで意味がない」と最初から諦めていたので、どちらが悪いという話でもない。

 ジョージが落胆と絶望の入り交じる表情で溜息をついた。


「…理解しました」

「ありがとう。他のみんなにも事情を伝えてもらえる? ──それから、お父様」

「はいっ!」


 散々暴言を吐いた──いや、苦言を呈したばかりだからか、父が大袈裟に背筋を伸ばす。


「あちら有責での婚約解消ですから、契約書に則り、慰謝料の請求が可能なはずです」

「慰謝料…!」


 ぱあっと父の顔が輝いた。流石は娘を金で売った男、即物的だ。

 また一段、胸の内が冷えるが、表面上はあくまで淡々と続ける。


「家と家の契約なので、現当主であるお父様が請求すべきかと思います。実際どう動くかはお任せします」

「ああ、任せてくれ!」


 先ほどまでの泣き顔が一転、目を輝かせてポンと胸を拳で叩く。

 つまりそれまでの態度はわざと──噓泣きだったと自ら露呈したようなものだが、今更なので指摘する気も起きない。


 早速準備しなければと張り切って部屋を出て行く父を見送り、視線を巡らせると、ジョージと目が合った。


「…お嬢様、もしや、面倒な相手には面倒な相手をぶつけておこう、などとお考えに?」

「あら、そんなまさか」


 私は殊更に整った笑顔で応じた。


「家と家との契約だもの、契約者である当主同士で話をしてもらうのは当然でしょう? …やり手の商会長であるデズモンド様と泣き落としが得意で粘着質なお父様、後先考えないイロモノ男のダニエル──せめてこれからしばらくの間は、誰とも関わりたくない、と心底思っているのは否定しないけれど」


 ジョージが眉間に深いシワを刻み、深く深く溜息をついた後、顔を上げる。


「…委細、承知いたしました。でしたら、セドリック様の元へ向かうのはいかがでしょうか? レトラ商会と距離が近いこの屋敷より、荘園の方が心安らかに過ごせるかと存じます」


 ハーミット男爵家が領主様から任されている荘園は、この領都の外にある。馬車で日帰りできる距離だが、それでも『外』には違いない。

 それに、あちらの管理館には私の部屋もあったはずなので、身一つで行っても問題ない。


 何より、管理館には兄がいる。ここ5年ほどは手紙のやり取りをするばかりでほとんど顔を合わせていないが、流石に今回の婚約解消の件は直接伝えた方が良いだろう。


「…そうね。明日の朝イチで荘園へ向かおうかしら。確か、乗合馬車が出ているわよね?」

「いえ、貸馬車を手配いたします。その方が好きな時間に移動できますからな。御者は私めが務めますので、ご心配なく」


 この屋敷には馬車がない。元々は領都のこの屋敷と荘園の管理館、双方で1台ずつ馬車を所有していたが、馬の飼育費用や馬車の維持管理費用がかなりの負担になるので、領都の屋敷の馬車は数年前に売り払ってしまった。

 だから、貸馬車。

 仕事ができる上に多才な老執事に、私は心から微笑んだ。


「ありがとうジョージ。貴方がうちにいてくれて本当に良かったわ」









平日は毎朝7時10分更新ですが、

土日祝日は昼間に2、3話くらい更新していきますので、よろしければお付き合いくださいませ。

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