30 交渉
予想通り、ダニエルは私に渡されるはずだった報酬を丸ごと自分の懐に入れていた。
「受領サインはお前が書いたのか」
「…」
黙っていたところで意味はないのだが、デズモンドの詰問にダニエルは口を引き結ぶ。
その態度で何となく察した。報酬受け取りのサインは、
「ダニエルではなく、シェリル様が書いたのね?」
「!」
私が指摘すると、ダニエルがギョッと目を見開いた。とても分かりやすい。
シェリル・レトラ。ダニエルの母、そして『商会の備品』とされたドレスを持っている可能性のある人物である。
「ダニエルの筆跡にしては角張っていないし、別の人間が書いたと考えるのが自然でしょう」
ダニエルをこの部屋におびき寄せる前にデズモンドに見せてもらった偽のサインは、流麗な筆記体で、ダニエルの字とは似ても似つかなかった。
字にはどうしてもその人の癖が出る。そして、無駄に姑息なこの男が、単なる部下である商会員を巻き込んでいるとは考えにくい。デズモンドに密告される恐れがあるからだ。
となると、一番怪しいのは既に別件で疑惑のあるシェリルである。
「…シェリルか…」
静かに青くなっていくダニエルを見て、デズモンドが呻いた。否定より納得の響きが強いのは、デズモンドにも思い当たる節があるからだろう。
「確かシェリル様って、昔ギャンブルにハマって商会のお金に手をつけて、業務から遠ざけられたんですよね」
ウェンディが素知らぬ顔で言った。
「別邸で大人しくしてるって話でしたけど、またギャンブル熱が再燃して息子を巻き込んだんですかねー」
「あり得るわね。私が着るはずのドレスも明らかにシェリル様のサイズで作られていたし、ご自分の服飾用予算もギャンブルに注ぎ込んでいたのかも知れないわ」
《だとすれば、救いようがないのう》
「母上を悪く言うな!」
叫んだダニエルに、周囲が白々とした視線を注ぐ。
「…そこで母親を庇うのか…」
「救いようがないのはこっちだったみたいですね」
「くっ…」
どこにも味方がいないとようやく気付いたのか、ダニエルが顔を赤くした。
「なんだよ、どうして僕が責められなきゃいけないんだ。悪いのは、母上を蔑ろにして別邸に追いやった父上だろう!?」
この男、話をきちんと理解しているのだろうか。
「シェリル様が別邸に隔離されることになった原因は、本人がギャンブルにのめり込み過ぎたからでしょう」
賭け事は趣味の範囲で楽しむべきだ。そのために商会のお金を盗むのは立派な窃盗、犯罪である。
正直、当時離縁されなかっただけましだと思う。
私が指摘すると、ダニエルは駄々をこねるように首を横に振った。
「それだって、父上が母上を放置していたからだ! だから母上は賭場に入り浸って、僕らを邪険にして…やっと笑顔を見せてくれて、話をしてくれて、頼ってくれるようになったのに! 全部台無しじゃないか!」
まるでそれが最大の悲劇であるかのように、涙ながらに叫んでいるが──つまり、
「母親に頼ってもらえるのが嬉しくて、善悪も後先も考えずに犯罪行為に手を染めてお金を貢いでいた、ということかしら」
「犯罪じゃない! 全部父上が悪いんだ!」
クワッと目を見開いた、直後。
「馬っ鹿じゃないの!?」
ウェンディの怒声が響いた。
皆の視線が集中する中、おどろおどろしい空気をまとったウェンディが身を乗り出す。
「仮にも本店の店長の看板背負ってる人間が、何寝言抜かしてんの? どんな理由があろうと犯罪は犯罪でしょうが。他人のせいにしてんじゃないわよ気色悪い!」
「きっ…!?」
「大体、母親にお金を貢ぐのに、他人のお金まるっと横取りするってどういうことよ? そこまでするなら当然、自分の給料も愛するママンに全額捧げてるんでしょうね?」
「え」
ダニエルが固まった。
それはない、と私は内心で呟く。マリーをはじめとする夜の店の女性たちを口説くのにそれなりにお金を使っていたはずなので、自分の給料はきっちり確保しているはずだ。
冷たい目をしたウェンディが、ハッと嘲笑した。
「自分のお金は1リズも出さずにアレクシア様が受け取るべきお金に手を出している時点で、あんたには言い訳の余地すらないわ。自分の損得を計算して、全部分かった上で、意図的にやったってことでしょ」
私も半眼で同意する。
「そうね。自分の娯楽は優先したいし懐も痛めたくない、その解決策が業務上横領だったのでしょう」
そして、笑顔で付け足す。
「ああ、お金だけじゃなかったわね。私のためという名目で作った宝飾品は夜の店の女性を口説くのに使えて、ドレスは母親にプレゼントできて、一石二鳥というところかしら?」
「なっ…!?」
ダニエルが色を失った。何故それを、と呟いているが、それほど難しい話ではない。
「その時に気付かなかった私もなかなか間抜けだけど、冷静に考えれば分かるわ」
レトラ商会で一度もサイズを測ったことがないのに渡されるドレス。
だが色が明らかに私には似合わないし、デザインはもう少し上の世代向け。
私が注文に関わった覚えはないから私の好みが反映されていないのは仕方ないにしても、特に胴回りのサイズがあからさまに私とは違う。
そして、そのドレスに合わせて作ったはずの宝飾品は、商談で身に着けるにしては派手でドレスの雰囲気に合わない。色さえ合っていないこともあった。
「そのセットを身に着けた私を見て、貴方は毎回『似合わない』と嘲笑していたから、てっきり私を貶めるためにわざわざそんなことをしているのかと思っていたのだけれど…最初から用途が別々だったのならむしろ当然よね」
私に似合わないのも、ドレスと宝飾品の組み合わせが不自然なのも、理由があった。
その理由が判明したところで、「馬鹿なの?」という感想しか出てこないが。
「…何ということを」
デズモンドが絶望的な声で呻く。自分の息子が、よりによって『横領』という絶対にしてはならない行為を繰り返し、婚約者を蔑ろにしていたのだ。流石にショックだろう。
しかしそれに同情する余地などない。
「衝撃を受けているところ申し訳ありませんが、デズモンド様。この件は、貴方の監督不行き届きが原因でもあります」
「そっ、そうだ。父上が僕たちをちゃんと見てくれないから」
「あんたは黙ってなさい下手人その1。どう考えてもあんたが一番悪いくせに被害者面すんな!」
ダニエルの文句はウェンディにスパッと断ち切られる。
うぐっと呻いて口を閉じた男を冷めた目で眺めた後、私は咳払いして続けた。
「私とダニエルの婚約を主導した家長として、商会の責任者として、誠意ある対応を求めます」
「勿論です…。可能な限り、お心に沿わせていただきます。まずは、ご希望をお聞かせください」
事実上の敗北宣言である。私が兄に視線を向けると、兄は一つ頷いてから口を開いた。
「ではまず、正式な婚約解消を。慰謝料は──」
兄が書面で提示したのは、それほど大きな金額ではなかった。デズモンドが拍子抜けしたように目元を緩める。
「こんな額でよろしいのですか?」
「慰謝料としては、です。婚約期間の3年間、結婚準備金としていただいていた分もありますから」
それを返却しない代わり、慰謝料と相殺する。なるほどとデズモンドが頷いた。
が、それで終わりではない。
「次に、3年間の労働に対する対価を、アレクシアへ。こちらはレトラ商会の幹部商会員の給料3年分と同等額を請求します」
「な」
「黙れダニエル。──無論です。今月中に、アレクシア様へお支払いします」
こちらも即答だった。
私は内心安堵する。デズモンドは厳格な性格という認識はあったが、金払いが良いかどうかは未知数だった。ウェンディが隣でグッと拳を握っている。
「ドレスや宝飾品の件は、我々は関知しません。元々アレクシアのために作られたものでないのなら、貰ったところで無駄ですから。──ただ、アレクシアへの報酬の横領の件も含め、下手人については相応の処罰を望みます。司法局への告発も、そちらの責任で適切に行ってください」
「…承知しました。温情に感謝申し上げます」
身内が責任を持って処理しろという兄の要求を、デズモンドは私たちの情けだと思ったようだが、実際は違う。これ以上無駄に関わり合いになりたくないからである。
本当なら、私たちが司法局に訴えるのが筋だ。
だが被害者として主体になって訴えたら、罪状が確定するまで法廷で毎回顔を合わせる羽目になる。
そんな面倒、ご免被る。私たちは忙しいのだ。




