29 ダニエルとの再対面
「やあアレクシア、元気そうじゃないか」
久しぶりに対面したダニエルは、以前と全く変わっていなかった。
微妙に私を下に見ている態度も、薄ら笑いを浮かべた顔も。自分が婚約解消を申し出たことなどなかったかのように。
「…君だけか? 父上は?」
応接室にいるのは私だけ。ローテーブルの上の紅茶も、一人分しか用意されていない。
「デズモンド様は、先に別室で兄と話をしているわ」
「ウェンディ・ロレンスも来ていると聞いたが」
「本部の別部署に顔を出しているわ。退職関係の手続きが残っていたそうよ」
「そうか」
恐らく、本部に来ていた本店の商会員から話でも聞いたのだろう。実際、私たちの来訪は秘密でも何でもないし、商会内でも話題になっていたはずだ。
ダニエルはあからさまに安堵の表情を浮かべている。一応、多少身構える程度には、後ろ黒い思いがあったようだ。
「それで、何か用?」
紅茶を一口飲んで首を傾げると、ダニエルは私の正面のソファーに腰を下ろした。やや乱暴な動作としかめ面は、不満があるというアピールだ。
以前の私なら、自分が何かしたかと委縮するか、ダニエルの機嫌を取ろうと頭を働かせ始めるところだが、今の私には何の効果もない。安っぽいアピールだなと思うだけ。
「何かってことはないだろう?」
ダニエルは妙に偉そうな態度で口を開いた。
「あのな、アレクシア。あれは冗談だったんだ」
デズモンドから聞いた馬鹿馬鹿しい言い訳が、ダニエル本人の口から語られる。
一応、曲がりなりにも次期商会長なだけあって、話しぶりは堂に入っているし、いかにも本当のことのような態度だ。
内容は聞くに耐えないが。
「──だから、この婚約を解消する理由はない。そちらの家だって、婚約を解消したら生活が立ち行かなくなるだろう? なあ?」
金を出しているのはこちらなのだから、黙って自分に従え──そんな内心が透けて見える言葉と表情。
反吐が出るとはこのことか。
胸のムカつきを何とか抑え、私は眉を寄せて頬に手を当てる。
「そうね、困っているのは確かだわ」
嘘は言っていない。
困っているのは、我が家の経済状況にではなく、いろいろと疑惑のある目の前のこの男に、だが。
そんな私の内心を察するわけもなく、ダニエルがパッと顔を輝かせる。
「なら、これからも僕の手伝いを」
「それなのだけど、ダニエル。──元の関係に戻ったら、私はまたタダ働きをしなければいけないのかしら?」
問うと、ダニエルが一瞬、目を泳がせた。が、すぐにきょとんとした表情になり、
「どういうことだい?」
「だって貴方、婚約解消を申し出た後、『これからは商会員として雇ってやる』って言ってたじゃない。つまり、普通の商会員並みには役立っていたってことよね? 今まで1リズも貰っていないけれど、労働に対する対価を要求するのは当然じゃないかしら」
「き、君の家には相応のお金を渡しているだろう!?」
「それは私の結婚準備金よ。私と貴方の婚約の書面で約束されたものであって、私の労働への対価ではないわ」
きっぱりと言い放つと、ダニエルは明らかに怯んだ。まさか私がこんな要求を始めるとは思わなかったのだろう。視線が宙を彷徨い、やがてキッと厳しい顔を作って私を睨む。
「貴族のご令嬢のくせにがめついな。3年間、うちの商会で勉強させてやったっていうのに…むしろこちらが講習料を払ってほしいくらいだ」
「ええ。3年間、レトラ商会でたっぷりと薫陶を受けたお陰で、こうして交渉の場に立てるようになったの。それは感謝してるわ。でも、喜んでタダ働きするかどうかは別の話よ」
「…っ、婚約者の立場で勉強させてやってるんだから、無給なのは当たり前だろ!」
「なら、結婚したら給料が貰えるようになるのかしら」
「商会長の妻だぞ、商会に奉仕するのは当然だろう」
「つまり、今まで無給だったのは当然で、これから婚約を継続しても、結婚しても、ずっと無給だと?」
「そうだ」
《…語るに落ちたのう》
ブランの呆れ交じりの念話が聞こえた気がしたが、ここでボロを出してはいけない。
吹き出しそうになったのを溜息で誤魔化し、私は残念そうな顔を作った。
「そう…。ならせめて、私が商談に着ていったドレスや宝飾品は貰えないかしら?」
「は?」
「今まで、全部、一度使ったら返却していたじゃない。今までもこれからも無給だというのなら、現物支給してくれても良いと思わない? …まあ、私のための物にしては、宝飾品は派手過ぎるし、ドレスは胴回りのサイズが一回り以上大きくてマダム向けのデザインだったし、貴方には散々「似合わない」と酷評されていたものだけれど」
私のために仕立てられたものだもの、まだあるわよね、と期待の眼差しでダニエルを見詰めてみる。
「そっ、それは…」
「まさか、もうないの?」
「──そもそも、あれは商会の備品だと言っただろ! 僕の一存で君に渡すわけにはいかないんだ!」
…やっぱりこの男、商人には向いてないわね。
変な確信を抱くと同時、すうっと頭も胸も冷える。
「そう」
感情の抜け落ちた声をこぼし──私は笑顔で斜め後ろを振り返った。
「──ということだそうですが、いかがいたしますか? デズモンド様」
「!?」
何もない空間に染みのようなものが広がり、あっという間に色がつく。
そうして現れた人影に、ダニエルが声にならない悲鳴を上げてソファーから転げ落ちた。
「ち、ちちち父上!?」
「…ダニエル、貴様…!」
蛇に睨まれた蛙、あるいはドラゴンの前のトカゲ。
真っ青になって後退るダニエルにデズモンドが大股で近付き、その胸倉を掴み上げる。
「アレクシア嬢への報酬は、毎月お前に預けていたはずだ! しかも商談用の衣装は商会の備品!? 返却させてそれっきりだと!? ──そんな馬鹿な話があるか!! 言え! どこにやった!」
「ぐえっ…ち、ちぢうえ…!」
どう見ても首が締まっているが、自業自得なので同情心など欠片も湧かない。
馬鹿な息子とそれを知らずに放置していた父親、残念極まりない親子を冷めた心地で眺めていると、ポンと肩に手が置かれた。
「見事だね、アレクシア」
「惚れ惚れしました!」
兄もウェンディも、とても良い笑顔だ。私はようやく肩の力を抜いた。
「こういうのは初めてだったから、緊張したわ」
《それであの演技力なら大したものじゃのう》
ブランがヒゲを広げて笑う。
姿を隠す魔法を使っていたのは、このブランだ。余分なティーカップだけ片付け、実は全員、最初からこの部屋にいたのである。
「あ、アレクシア! 騙したのか!?」
何だかひどいことになっているダニエルが非難の声を上げ──デズモンドに無理矢理頭を押さえつけられる。
「アレクシア様、だ! 貴族のご令嬢を呼び捨てにするなど、何を考えている!」
「アレクシアは僕の婚約者」
「この期に及んで世迷言を抜かすな! 婚約を続けられるわけがないだろう、この痴れ者が!」
青筋の浮かぶ手でぐいぐいと頭を押さえつけられ、ダニエルがとうとう額を床についた。見ようによっては土下座に見えなくもない。
その横で、デズモンドも床に両膝をつく。
「ハーミット男爵、アレクシア様、本当に申し訳ない! この不始末、私が責任を持って対処させていただきたく…!」
「父上!?」
「お前は黙っていろ!」
なかなかの茶番だが、デズモンドがやると言ったからにはやるだろう。
顔を見合わせると、ウェンディはグッと親指を上げ、ブランは目を細めて笑い、兄は頷いてから肩を竦めた。私の好きにして良いらしい。
「分かりました」
私は笑顔でデズモンドたちに向き直った。
「それでは、まずは事実確認と参りましょうか」




