27 エイベル工房
領都屈指の織り技術を持つエイベル工房は、領都の一角、職人街の端にある。
「よく来たね!」
呼び鈴が鳴るかならないかのうちに勢いよくドアが開き、エイベル工房の長、カミラが笑顔で出迎えてくれた。ウェンディと2人、揃って頭を下げる。
「お久しぶりです、カミラさん」
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「そんなにかしこまらないどくれよ! さ、入った入った!」
気風の良い声に背中を押されるように、中に入る。
入ってすぐが応接スペース、その奥はドア一枚隔てて工房スペースだ。ドア越しでも、カタタン、タタンと機織りの音が聞こえてくる。
「あのボンボンと婚約解消したんだって?」
椅子に座るなり、カミラが話を切り出した。
「耳が早いですね」
「この前、レトラ商会の商会員がウチに来てね。絹織物の納品はアレクシア様に手渡しでって約束だったはずなのにどういうことだって詰め寄ったら、あっさり吐いたよ」
緘口令は敷かれていないらしい。
…いや、エイベル工房とのやり取りはウェンディが所属していた部署の担当だから、ウェンディ経由の情報が流れてきたのだろう。
ウェンディはレトラ商会を辞める際、ダニエルの勘違いと残念極まりない発言を自分の部署で洗いざらいぶちまけてきたと聞いている。人の口に戸は立てられぬということか。
「一応、まだ、正式決定はしていません。私としてはさっさと婚約解消して縁を切りたいですし、爵位を継いだ兄が絶対に婚約継続を許さないでしょうから、時間の問題だとは思いますが」
「ああ、お兄さんが男爵になったのかい! おめでとう!」
「ありがとうございます」
世間話を済ませたところで、工房員がお茶を出してくれる。
それを飲んで一息つくと、カミラが表情を改めた。
「それで、今日はどうしたんだい?」
「商会を設立することにしたので、そのご挨拶に」
私が言うと、カミラは一瞬唖然とした後破顔した。
「婚約解消を決めた直後にそれとはね! やるじゃないか!」
「一応説明しておきますが、別に意趣返しのつもりはないんですよ」
苦笑して、私は事情を説明する。
婚約解消に伴い、ハーミット男爵家が管理する荘園の生糸をレトラ商会に卸すのをやめること。
新しい卸先として、どうせなら今までの経験を活かし、新しい商会を設立しようという話になったこと──表向きの筋書きはそんな感じだ。
…でもこれ、婉曲に『レトラ商会に仕返しすることにした』って言ってるようなものよね…商材の一部を奪うって宣言してるもの…。
気付いてしまったが、今更だ。結果的にそうなるのは間違いないので、否定するのも違う気がする。
「なるほどね」
カミラは楽しそうに口の端を上げた。
「じゃ、今日の本題は、ウチの工房でその生糸を使ってくれないか、ってことかい」
「ええ、その通りです」
買い手がつかなくては商売にならない。
「ウチは甘くないよ? 人間として気に入ってても、商品に満足できなかったら取引はしないからね」
長年工房長を務めているだけあって、カミラの目は厳しい。私は深く頷き、ウェンディに視線を転じた。
「勿論です。──まずは、こちらを」
ウェンディが持っている木箱は2つ。そのうち1つを開け、ごく普通の白い生糸をカミラに見せる。
普通といってもかなり上質な生糸だ。一束を手に取ったカミラが目元を緩める。
「なかなか良い質だね。もしかして、レトラ商会がウチに納入してた生糸は大体ハーミット男爵家の荘園産だったのかい?」
「ええ──ウェンディ」
商会経由での納品の場合、どこで作られた物なのかは明かされないことが多い。しかし今ここには、まさにその生糸を扱う部署に所属していた元商会員がいる。
私が促すと、ウェンディは即答した。
「レトラ商会がエイベル工房に卸していた生糸は、ほぼ全てハーミット男爵家の荘園産です。質が良く巻きの長い生糸は、レトラ商会が取引している他の産地からはなかなか手に入らないので」
生糸にも品質によって等級がある。
貴族向けの高品質の生糸は引き合いも多いから、他の産地では、平民向け商品を取り扱うレトラ商会ではなく、貴族向け商品に強い老舗の商会に卸しているのだろう。うちの荘園が例外なのだ。
カミラは納得の表情を見せた後、にやりと笑った。
「なら、レトラ商会と縁を切るのは確定だね──これならウチで扱うのにも十分だ。どれくらい納品できる?」
「そうですね…」
蚕の飼育計画を元に算出した生糸の生産予定を、カミラに提示する。
繭の品質にはばらつきがあるので全てが上質な生糸になるわけではないが、蚕の飼育規模によっておおよその試算はできる。
私の説明を聞いたカミラが、満足そうに頷いた。
「分かった。最高品質の生糸は全量、それから、高品質、中級品質のものも買わせとくれ」
「良いのですか? 確かエイベル工房では、高品質以上の生糸しか買わなかったはずでは」
レトラ商会と取引していた時は、納入する生糸の品質にかなり厳しい制限をかけていたはずだ。
私が首を傾げると、カミラはにやりと笑う。
「それは相手がレトラ商会だったからさ。中級品質の生糸で作った絹布も需要はあるし、あんたたちが相手なら、多少はサービスするってもんだ。ま、商会設立のお祝いってトコさね」
品質第一と言いつつ、私たちを優遇してくれるらしい。カミラの気遣いに、私たちは深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます、カミラさん!」
顔を上げると、私はウェンディに目配せした。
すぐに察したウェンディが、もう一つの木箱をテーブルの上に載せる。
「お礼ついでに、ここからはもう一つのお願いです」
「何だい?」
「これで、布を織っていただくことはできますか?」
私の言葉に合わせ、ウェンディが蓋を開ける。
中を覗き込んだカミラの目が、ゆっくりと見開かれた。
「……これは……」
「ハーミット男爵家が管理する荘園で見つかった変わった繭を、生糸に仕立てたものです」
「変わった繭? 蚕じゃないのかい?」
「蚕ではあります。ただ、色が違います」
私はバッグの中から繭を取り出した。
薄青い生糸の上に乗った青蚕の繭、その色彩に、カミラが絶句する。
「青い、繭…?」
「はい。後付けの染色ではありません。繭になった直後は普通のものと見分けがつきませんが、生糸に仕立てるために茹でると、このように変色する個体がいます」
「どういうことだい?」
「私にも理由は分かりません。ただ、こういう色に変色した繭は紡績工程で取り除かれていたそうで…実は昔から、存在はしていたそうです」
養蚕に携わる村人たちはこれを不合格品として扱い、糸に仕立てるのではなく、ほぐして自分たちの布団や上着の中綿などに使っていた。
誰かが見学に来る時は不合格品は片付けていたから、村人以外がこの繭を目にする機会もなかった。
私がそう説明すると、カミラは深々と溜息をつく。
「なるほどね…絹は白いもの、って価値観が染み付いてりゃ、この価値に気付くこともないか」
「それじゃあ…」
ウェンディが期待の眼差しを向けると、カミラは深く頷いた。
「ああ。──この生糸、是非ともウチで預からせとくれ。数日中には試作品を仕上げてみせるさ」
ぱあっと表情を輝かせたウェンディが、箱の中から色合いの違う束をいくつか取り出す。
「それじゃあ、これと、これも布に仕立ててもらっても良いですか!? 普通の生糸との混紡で、比率を変えて紡いでるんです! で、こっちが青蚕の糸だけで紡いだ生糸です!」
「青蚕?」
「青くなった繭のことを、便宜上、青蚕と呼んでいるんです」
私が説明すると、カミラは一瞬、呆れたような表情になる。
「色気もへったくれもないね…ま、分かったよ。取り急ぎ…そうだね、この一番細い番手の3種類、これを優先させてもらう。他の太さの糸は、余裕ができ次第ってことになっちまうが、構わないかい?」
「はい。加工賃は──」
「ああ、要らない要らない。こういうのは娯楽みたいなもんだからね。それに加工賃を貰ったら、この生糸の代金を払わなきゃいけなくなっちまう。価値も確定してないのに、そんなことできないだろ?」
ぱちり、片目を瞑って見せるカミラに、私は思わず笑みを零した。
「分かりました。お願いします、カミラさん」
「ああ、任せときな!」
そうして──別れ際。
「そういや、新しい商会の名前は決まってるのかい?」
その問いに、私は苦笑することしかできなかった。
「いえ、まだ悩んでいるところなんです。なかなか難しくて」




