24 現場見学
その後は村に戻ってマイクと合流し、蚕の卵を孵化させてある程度まで大きくする孵化場、繭を作る直前まで飼育する飼育場と順に見学していく。
「蓋も被せていませんけど、逃げたりしないんですか?」
「きちんと桑の葉を与えている限りは大丈夫です。繭を作る段階になったら、その限りじゃないですがね」
最初は幼虫の大集団に青くなっていたウェンディも、マイクの熱心な説明を聞いて感化されたのか、飼育室を見学する頃には蚕を素手で触ることもできるようになっていた。
案外、適応力が高いらしい──壁際に張りついて近寄ってもこない父と違って。
「何をしているのかしら、お父様…」
「蚕と同じ空間にいるだけマシだろう。昔は建物の中にすら入ろうとしなかったじゃないか」
「…そういえば、そうね」
父は他の男爵家からの入り婿、しかも代々文官を輩出する家の出身だ。母が健在だった頃、私や兄がこの荘園を見学する時は絶対に同行せず、管理館で留守番していた。
一度兄と共謀して無理矢理村まで連れて来たことがあったが、曖昧な笑顔を浮かべたまま、外で立ち尽くしていたのを覚えている。
それを思えば多少は進歩したのだろうが、ドアの横で壁にぴったりと背中をつけて引きつった顔で飼育箱を凝視する姿は、ハーミット男爵家先代当主としてどうかと思う。部屋の中で作業しているみんなも苦笑しているし。
荘園で仕事をさせると言っていたけれど、こんな状況で任せられる仕事なんてあるのかしら…?
その後飼育場を出て、すぐ隣の建物、繭を作らせる『営繭場』に移動する。
ドアを開けた瞬間、ウェンディから歓声が上がった。
「うわあ…!」
テーブルの上にずらりと立てて置かれた、細かい間仕切りの設けられた平箱のようなもの。
ただし底はついておらず、間仕切りの中に白い楕円形の繭が不規則に入っている。蚕の繭だ。
「大きく育った蚕をこの営繭箱の近くに置くと、蚕は自分の好きな場所に入って繭を作ります。この繭の糸が、生糸の材料です」
間仕切りの入った平箱の親戚を『営繭箱』と呼ぶ。
繭を作る直前の蚕は上へ上へと登っていく性質があるので、営繭箱は専用の台座を使って立てて置き、時々上下を返して、全体に均等に繭が入るようにする。
マイクの説明を聞きながら、ウェンディは首を傾げた。
「まだ動き回っているのもいますね?」
「場所を決めかねているんでしょう。そういうのは、他の繭の上でフンをして汚してしまうので──」
「と、取り除くとか?」
「別のテーブルに移して、そこで繭を作ってもらいます」
言うなり、マイクがそっと蚕をつまみ、他の繭が入っていない新しい営繭箱に掴まらせる。ウェンディがホッと息をついた。
「殺してしまうわけではないんですね」
「1匹1匹、大事に育てていますからね。とはいえ…次の工程で殺しちまうんですが」
「えっ!?」
現実は容赦がない。
マイクの説明に兄が苦笑して、奥へと進む。繭の入った営繭箱が一時保管されている棚の前を通り過ぎ、入ったのとは反対側のドアから外に出て、少し歩いた先にある建物が──
「ここからは紡績──繭から糸を仕立てる工程だ」
解説しながら兄が扉を開けた瞬間、むわっと熱気が溢れてくる。
温度もだが、何より湿度がすごい。
それもそのはず、室内には複数の大鍋が並び、盛んに湯気を上げているのだ。
その大鍋の中にはいくつもの繭が入れられ、熱湯に踊っている。
鍋の横にはそれぞれ担当者がついて、鍋の中から糸を引っ張り、専用の装置で束ねながら巻き取っていた。足元のペダルを踏むと巻き取り機が回転する仕組みだ。
「繭は熱湯に入れて糸をほぐし、束ねて撚りを掛けながら糸巻きで巻き取っていく。束ねた糸の本数で太さが決まり、撚りの強さで糸の質感が変わる」
近くで見てみると良い、と兄に勧められ、ウェンディがそっと鍋に近付く。気付いた村人がにこりと笑い、作業の速度を緩めた。
「これは…すごく細いんですね」
「今紡いでいるのはかなり細い番手です。確か、お貴族様のドレスの一番上に重ねる…」
「チュールとか、シフォン生地とかですか?」
「そう! そういうのに使うそうです」
ウェンディはレトラ商会で働いていたので、布物に関する知識もある。言い当てられた村人が嬉しそうに破顔した。
そしてそこで、ウェンディがはたと気付く。
「繭を茹でてる、ってことは…中の蛹は」
「蛹は死にます。一部の繭は次の卵を採るために羽化させますが…大部分は生糸に加工するので」
風雨をしのげる丈夫な繭だが、流石に熱湯には耐えられない。
「…蛹が羽化してから、残った空の繭で糸を紡ぐことはできないんですか?」
つい先ほどまで生きた幼虫を見ていたからか、ウェンディが泣きそうな顔でこちらへ振り向く。残念ながら、と私は首を横に振った。
「蚕の成虫が繭の外に出てくる時に分泌する液で、糸が切れてしまうの。そのままほぐして真綿に加工して──例えば布団の中綿とか、そういった物には使えるけれど、生糸に加工するには向かないわ」
空になった繭も余さず使ってはいる。が、生糸にはできない。絹布の材料になる生糸を作るには、蛹を犠牲にするしかない。
何とも言えない顔になるウェンディに、作業していた村人が微笑んだ。
「だからこそ、私らはお蚕さんを大事にしてるんですよ。こうして糸を採った後、残った蛹は畑の肥料とか、家畜のエサにします。無駄になるものは一切ありません」
生き物の命を犠牲にするからこそ、その命には敬意を払う。鶏などの家畜と同じだ。
からからと、糸車がゆっくりと回る。そこに巻き取られる紡がれたばかりの生糸は艷やかで、白く輝いている。
ウェンディは眉を寄せたままだ。理屈は分かるが共感はできない、といったところだろうか。
「ほとんどの蚕は、空を知らないまま終わるんですね…」
同情の響きを帯びた呟きに、私はようやく気付いた。
…もしや、蚕の成虫の生態を知らない?
「ウェンディ、蚕が蛾の一種だというのは知っているわよね?」
「あ、はい。だから繭を作るんですよね?」
「ええ、その通り。ただ…蚕は成虫になったとしても飛べないのよ」
「…飛べない?」
「そういう風に品種改良されていてね。そもそも、成虫になったら何も食べないし、長くは生きられないの」
「何も食べない!?」
蚕はそういう生き物だ。人間に飼い慣らされて、自然の中では生きていけなくなった特殊な虫。
「あとね、全部を羽化させたら、必然的に卵を産むことになると思うんだけど…一匹のメスの蚕は、いくつ卵を産むと思う?」
「ええと…30個くらいですか?」
「正解は、ざっと500個以上」
「ごひゃ…」
「営繭場にあった繭が全て羽化して、そのうち半数がメスだったとして…1回でどれくらい増えると思う?」
「……」
ウェンディの視線が宙を泳いだ。
恐らく先ほどの営繭箱の数から、その中に入った繭の数を概算しているのだろう。全ての仕切りの中に繭が入っていたわけではないが、そもそも営繭箱の数が恐ろしく多い。
数秒後、ウェンディがスン…と目に見えて冷静な表情になった。
「全部羽化させるのは…ダメですね」
「でしょう?」
理解してくれたようで何よりである。
飼育する以上、飼育数は適切な環境で世話をすることが可能な範囲内に収めなければいけないのだ。
日本の養蚕業では建物や道具に独自の名前が付けられていることが多いのですが、今作では一部それを使用せず、分かりやすい(と良いなと思ってつけた)単語を使っています。
『蚕』とか『養蚕』とかはそのままですが(笑)
あと、養蚕の方法や生糸の生産方法も現実とはちょっと違います。ファンタジーなのでね、そこはご了承くださいませ。
ご興味のある方はぜひ調べてみてくださいね!




