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コランダム商会の設立経緯~婚約解消したら、元婚約者の『心から愛する人』が土下座しに来たんですけど~  作者: 晩夏ノ空


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23 荘園の村

ここからしばらく、虫注意! です。


 翌日。


 エイベル工房とレトラ商会に取り急ぎ面会依頼を出し、その返事を待つ間、私たちは荘園内唯一の村に出向いていた。


「ここが生糸の生産地…!」


 村の入口、質素な木の門をくぐり、ウェンディが目を輝かせる。

 昨夜、管理館の客室に案内された彼女は「ちゃんと眠れるかどうか…」と動揺していたが、弾んだ足取りで歩く姿に疲れは見えない。


《ウェンディ、ちゃんと前を見るんじゃぞ》


 そのすぐ後ろを、尻尾をピンと立てたブランがついて行く。飄々(ひょうひょう)とした態度は相変わらずだ。


「…まさか、ブランが内偵員だったなんて」


 昨日の衝撃を思い出してぼそりと呟くと、並んで歩く兄が苦笑した。


「流石に驚いたかい?」

「ええ、とても。だって普通は、ケットシーが行政局の職員だとは思わないでしょう?」

「そうだな」


 例の金のエンブレムは、胸の豊かな被毛に隠れて完全に見えなくなっている。首からチェーンでぶら下げているわけでもない。

 ブラン曰く、自身の魔力でくっ付けているらしいが、便利な魔法もあるものだ。


 兄がブランと知り合ったのは5年前。ある日突然、ふらりと管理館に姿を現したのだという。

 最初は普通のケットシーらしく、荘園内で獲物を狩り、時々使用人からおやつを貰い、気ままに昼寝をして過ごしていたらしい。

 そして半年ほど経ったある日、行政局に提出する書類の作成に苦戦していた兄に、突然具体的かつ現実的なアドバイスを始めた。驚く兄に、ブランは自らの所属を明かしてこう言ったそうだ。


 後継者の教育は貴族家当主の義務。だがそれを怠る家には、我ら特務班が派遣されるのだよ──と。


 内偵員が潜入先の貴族家を断罪する立場になるか協力者になるかは、相手の態度次第。

 つまり兄は半年間ブランに監視され、協力するに足る人物だと評価されたわけだ。


「私がこの5年間、荘園を何とか運営できたのもブランのお陰だ」


 兄が微笑む。


 行政局特務班内偵員、通称『アルバトロス』は、貴族家や商会、一般人などあらゆる不正を調査して国の規律を守る者であると同時に、救いの手を差し伸べる者でもある。

 大海において安全な航海を約束すると言われている、アホウドリ(アルバトロス)のように。


 ただし、その正体は一般には知られていない。構成人数も男女比も年齢層も、何もかも。

 それはそうだろう。そもそも構成員が人間ではないなんて、誰が想像するだろうか。

 とはいえ、内偵員の全員が全員、ケットシーというわけでもないらしい。

 『いろいろおるが、詳細は秘密じゃ。秘密は秘密のままにしておいた方が魅力的じゃろ?』とブランが器用にウインクしていた。


 そのブランは今、ウェンディの横で村人へ声を掛けている。


《おお、マイク。孵化場は順調かの?》

「おっ、ブラン! ああ、こっちはいつも通り、わさわさ生まれてるぜ!」

「わさわさ…?」


 マイクと呼ばれた壮年の男性が出てきたのは、蚕(かいこ)の卵を孵化させる専用の小屋。その手には、恐らく卵から孵化して少し育った後の幼虫たちが入っているであろう木製の平箱を抱えている。

 あ、と思った時には遅かった。軽い足取りでマイクに近付くブランに釣られてウェンディも後に続き、マイクが笑顔でその平箱の蓋を開ける。


 村人たちにとって蚕は見慣れた生き物であり、大事な財産だ。若い女性が興味を持ってくれたのが嬉しかったのか、箱の中身を見せようとするその顔には一片の悪意もない。

 が。


「──ヒッ!?」


 素直に中を覗き込んだウェンディは、声にならない悲鳴を上げて硬直した。

 箱の中には、桑(くわ)の葉が一枝。そこに小指よりも小さい芋虫が何十匹と群がっているのだ、街育ちのウェンディには少々、いやかなり、衝撃的な光景だろう。

 私は足早に近付き、そっとウェンディの肩を引いて距離を取らせた。

 よろけたウェンディを、兄が苦笑しながら支える。


「ごめんなさい、初心者には刺激が強すぎるから、蓋を閉めてあげて」


 苦笑しながら声を掛けると、マイクは状況を察してサッと蓋を閉めてくれた。


「いや申し訳ない」


 謝罪の後、穏やかな瞳がこちらを向く。


「お話はセドリック様から聞いとります。お帰りなさい、アレクシア様」

「ええ、ただいま」


 穏やかに応じてから周囲を見渡す。遠巻きにこちらを見ていた他の村人たちも、手を振ったりぺこりと頭を下げたり、思い思いの反応を返してくれた。

 一見、少々不愛想なようにも思えるが、これがこの村の『いつもの反応』だ。目が合えば挨拶してくれるし話し掛ければ応えてくれる。だが大袈裟に私たちを取り囲んだりしない。

 私たちには私たちの、彼らには彼らの仕事があるから、まずはお互い、それを尊重する。


 多分マイクや他の村人たちは、兄から私の婚約解消の件も聞いているのだろう。

 ここに来るのは数年ぶりだというのに深くは踏み込まず、ただ「お帰りなさい」と言ってくれる、その気遣いに胸が温かくなる。


 私が微笑むと、マイクは安心したように表情をほころばせ──少々戸惑ったような顔を私たちの背後に向けた。


「それでそのー…あっちはザカリー様、ですよね?」


 私たちから10歩以上後ろ、肩を縮めて居心地が悪そうにとぼとぼ歩いているのは、マイクの指摘通り、つい昨日当主の座を降りた父ザカリーである。

 顔を上げないので誰とも目が合わず、必然的に誰からも挨拶されていない。


「ええ。昨日お兄様が爵位を継いで、今は『ご隠居』になったお父様よ」


 私は平然と頷いた。


 昨日、兄は領都の屋敷に乗り込み、父に『爵位移譲命令書』を突きつけた。

 立ち会った担当文官はブランである。行政局特務班内偵員には、そういう権限も与えられているそうだ。

 領主様の署名が入った命令書には泣き落としも通用しない。父は大人しく爵位を兄に継承し、ただのご隠居になった。

 そして、新当主である兄に首根っこを掴まれて荘園に連れて来られたのである。


「父上には今後、この荘園で働いてもらおうと思っている。何を任せるかは未定だが、みんなにも承知しておいてほしい」

「わ、分かりました」


 働かざる者食うべからず。婚約解消の交渉もろくに進まず、領都の屋敷にいたところで働かないのは目に見えているから、こちらに連れて来た。

 流石は兄、容赦がない。


 兄のイイ笑顔を見て涙を呑んでいる父からそっと目を逸らし、私は話を変える。


「みんな、元気にしていたかしら?」

「はい、セドリック様のお陰でみんな元気にやっとりますよ、人間も、蚕も」


 マイクの視線の先には、平屋の建物がある。

 孵化した蚕を飼育するための『飼育場』だ。かなり古いが良く手入れされていて、窓越しにマイクが抱えているのより大きな平箱がずらりと並んでいるのが見える。


「今日はアレクシアの友人に、養蚕(ようさん)の現場を見せてほしくてね。桑畑を見た後で順番に施設を回るから、急ですまないがみんなに知らせておいてくれるかい? 掃除なんかはしなくて良いから」

「へい、承知しました! 案内役はあっしが務めますんで、また声を掛けてください」


 兄が頼むとマイクは朗らかな笑顔を浮かべて頷き、平箱を抱えて飼育建屋へ向かっていった。

 村人たちの行動は非常に速い。すぐに村全体に情報が回るだろう。


「──それじゃあまずは、桑畑を見に行こうか」


 兄の一声で、私たちは一旦村を通り過ぎる。

 桑の木の畑は病害虫のリスクを分散させるために村の周辺に点在していて、立地も広さもバラバラ。向かった先は、その中でも一番村に近い畑だ。


「桑の木を見たことはあるかい?」

「いえ、実物を見るのは初めてです」


 兄が桑の葉を数枚取り、ウェンディに手渡す。

 手のひら大の葉は、円形に近い形状から葉脈に沿って深い切込みが入っているものまで、形状も色々だ。


「これ、全部桑の葉なんですか?」

「ああ。面白いことに、株によって葉の形状が違うし、一つの株でも枝によって葉の形が変わったりする。土質や肥料分の量が関係しているのかと思ったんだが、今のところ関連性は見出せていないな」


 蚕のエサにするのには、一つ一つの葉の面積は広い方が都合が良い。しかし、そう上手くはいかない。兄はそれも何とかしようとしていたらしい。


《どんな形であろうが、味はそう変わらんがのー》


 ブランがむしゃむしゃと桑の葉を食(は)んでいる。


「ブラン、ケットシーって桑の葉を食べて平気なの?」

《他のケットシーは知らんが、わしは平気じゃぞ。葉っぱよりマルベリーのジャムの方が好きじゃがな》

「マルベリー?」

「桑の実のことよ」

「え、あれってこの木の実だったんですか!?」


 ウェンディが驚きの声を上げた。

 領都でもマルベリーのジャムは時々見かけるが、そういえば『桑の実のジャム』という名前では販売されていない。

 …やはり『桑』は蚕、つまり虫のエサという印象が強いからだろうか。


「実が成る頃に、また見学に来ましょうか」


 夏にはマルベリーの収穫とジャム作りもこの村で行われる。私が提案すると、ウェンディは目を輝かせて頷いた。


「はい、是非!」







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