22 いや、おかしいでしょ
「労働に対する対価?」
「どういうことだい?」
首を傾げるウェンディと兄に、簡単に説明する。
私はダニエルと婚約してから3年間、レトラ商会で業務の手伝いをしていた。手伝いと言いつつ、実際の業務内容はダニエルの秘書または代役だ。
しかし、給料は一切貰っていない。
婚約者なら身内扱いなのだろうが、そうではなくなる以上、過去に遡って対価を要求しても良いのではないだろうか。
「え? 待ってください。給料を、貰ってない?」
「ええ。結婚準備金という名目のお金は家に入ってきていたけれど、そもそも雇用契約を結んでいないから、給料は貰ってないわ」
「1リズも?」
「そうよ」
「──はあ!?」
ウェンディがあんぐりと口を開けた。数秒後、激しく首を横に振り始める。
「いやいやいや、あり得ないですって! あれだけ仕事しておいて、給料ゼロ!? アレクシア様、何でそれで納得してたんですか!」
「ダニエルからは金銭面に関して何も説明がなかったし、『結婚後のために商会業務を勉強してほしい』という話だったから」
「あれのどこが『勉強』だってのよ!?」
ウェンディの敬語が吹っ飛び、天に向かって絶叫する。どうやら、それほど衝撃的だったらしい。
兄も兄で、ぽかんと口を開けたまま固まっている。予想以上の反応だ。
…どうしよう、収拾がつかない。
困惑していると、やがてウェンディは何とか息を整え、きちんとソファーに座り直した。ただし、目は据わっている。
「アレクシア様、それはちゃんとデズモンド様に要求しましょう。可及的速やかに。何だったら先に行政局に相談しておくのも有りだと思います」
「行政局って…そこまでの話では」
「そこまでの話です。労働に対する対価を要求するのは、正当な権利ですよ」
ウェンディがきっぱりと言い切った。
「大体、婚約者だからってタダ働きさせてること自体がおかしいんです。ダニエルだって『本店の店長』なんて肩書きを持ってるんですから、それ相応のお給料を貰っているはずでしょう? 商会長の身内は給料を貰ってるのに、その婚約者はタダ働きって、筋が通りませんよね?」
「え? ダニエルは給料を貰っていたの?」
私が目を見開くと、ウェンディの方が驚いた顔をする。
「当たり前じゃないですか! 身内にだって給料を渡してきちんと経費計上した方が、お上に納める税額を圧縮できるんですから! …まあ私もちゃんと確認したわけじゃありませんけど、間違いなく貰ってるはずです」
「…言われてみれば、そうね」
商会が領主様に納める税額は、純利益──総売り上げから経費を引いた額によって決まる。商会員への給料はその『経費』として認められるのだ。
考えてみれば当たり前の構造だが、私はてっきり、商会長とその身内はタダ働きしているものだと思っていた。
何故なら、私自身が給料を貰っておらず、ダニエルもそれが当然という態度だったから。
…いや、待って。
「そもそもデズモンド様は、私がタダ働きしていたことを知っているのかしら…?」
ふと思い至り、ぼそりと呟くと、
「え?」
「うん?」
ウェンディと兄が首を傾げた。
「デズモンド様の性格からすると、『アレクシア・ハーミットのみタダ働きをさせる』というのは、それこそ筋が通らないと思うの」
ブランの言った通り、魔力を使ったことで思考が回り始めたのだろうか。これまで気付かなかった引っ掛かりが、どんどん頭の中に浮かんでくる。
商会長は多忙を極めるため、婚約してから3年の間で数回しかまともに話をしたことがないが、デズモンド様は損得にとても敏感、かつ厳格な方だ。
経費計上できるものを計上しないというのはむしろ商会の利益を損ねるし、私が外で「レトラ商会で3年間タダ働きさせられました」と大々的に吹聴しようものなら商会の評判は地に落ちる。
そんなリスクを冒してまで、デズモンド様が敢えて私をタダ働きさせる理由が見当たらない。
…そういえば、ダニエルに口説かれてその気になったマリーをはじめとする5人には既に私がタダ働きしているという事実を伝えてしまっているけれど…まあそちらは放っておいても良いか。
私の指摘に、確かに、とウェンディと兄が考え込む表情になった。そして、
「あのー…すっごく嫌な仮説に行き着いたんですけど」
ウェンディがそっと挙手する。
「アレクシア様に渡すはずだったお給料、どこぞのボンボンが懐に入れてるって可能性は…」
私は乾いた笑みを浮かべた。
「やっぱり、そう思うわよね…」
「残念ながら、それ以外に考えられないな」
兄は若干顔を引きつらせて同意し、その後首を横に振る。
「…いや、宝飾品やドレスとして現物支給していたという線も…」
「商談に身に着ていく衣類と宝飾品なら『商会業務に必要な物』って扱いで別途経費計上できるはずなので、わざわざ給料を現物に変えて支給する理由はないですね」
仮説はウェンディに即座に否定された。兄がしゅんと肩を落とす。
それで気付いた。
もしや、もう一つ、面倒なことになっている案件があるのでは…。
「ええと…そもそも私、ドレスや宝飾品を贈られたことがないのだけれど」
「え? でも、重要な商談に行く時とか新しい服着てましたよね? まさかあれ、自前だったんですか?」
「いいえ。ダニエルから、『商会からの貸与品』という名目で渡されていたの。だから、一度身に着けたらダニエルに返却して終わり。ドレスも、宝飾品も、私の手元には一切残ってないわ」
「……え?」
「何…?」
そっと目を逸らしながら答えると、ウェンディと兄が固まった。
さて──ここで問題である。
私が一度身に着けただけの、貴族にしては簡素、平民にしては豪華なドレスや宝飾品の数々は、ダニエルに返却された後、一体どこへ消えたのか。
私はその行方を知らないし、商会内で目にしたこともない。
備品庫にも貴重品保管庫にも、それらしいものは一切なかった──商会からの貸与品という扱いだったのだから、今考えるとおかしな話だが。
「…まさか、それも、換金してた…?」
ぼそり、ウェンディが呟いた。
「いや、そんなに頻繁に女性物の服飾品を売却していたら、デズモンド様に知られて何か言われるんじゃないか?」
「元々デズモンド様が了承してたって可能性もありますよ」
「それは流石に…ないと思いたいんだが」
兄の顔に苦悩が浮かぶ。何をどう考えても、嫌な予感しかしない。
そして私には、もう一つ、いや二つ、思い当たる節があった。
「換金しなくても、活用方法はあるわ」
「か、活用方法?」
「宝飾品は、ダニエルが口説きたい女性にプレゼントすればいい」
「あっ」
「ドレスについては……」
今まで渡されたドレスを思い浮かべる。
生地こそ上質で体格にもそこそこ合っていたが、髪色や目の色や雰囲気には全くそぐわない、はっきり言えば私には合わないデザイン。
同時に渡される宝飾品との組み合わせも微妙で、ダニエルにも散々、「似合わない」と馬鹿にされていた衣装。
それは元々、別の誰かのために作られていたからではないか?
「ダニエルのお母様のシェリル様って、私と体格が似てるのよね…」
ぼそりと呟いた瞬間、空気が凍った。
シェリル・レトラ。デズモンドの妻で、ダニエルの母。
レトラ商会の商会長補佐という肩書きを持っているが、商会の実務には関わらず、レトラ家の別邸に住んでいる女性だ。私も数回しか会ったことがない。
身長は私とほぼ同じで、骨格も似ている。
私より少しふくよかだったはずだが、背中の紐で胴回りの微調整が利くタイプのドレスならそのあたりはどうとでもなる。そして実際、ダニエルから渡されたドレスはそういう形状のものばかりだった。
「ドレスは、アレクシア様のためのものじゃなくて、シェリル様が着る前提のものだった、ってことですか…?」
「そんなことがあり得るのか?」
「実際私、レトラ商会でドレスのサイズを測ったことはないもの。当時はお父様あたりから私のドレスサイズの情報が伝えられていたのかと思っていたのだけど、それならもう少しきちんと体格に合うドレスが仕上がってくると思うのよね」
背中の紐を限界まで締めてようやくぴったりになるドレス。首の後ろで結んだ紐が盛大に余って、切ってしまおうかと何度思ったことか。
私のサイズで作られていたなら、そんな無様なことにはならなかったはずだ。
ウェンディが、うへえ、と呻いた。
「その予測が当たってたら最悪じゃないですか。婚約者の給料を横取りする息子に、息子の婚約者の衣装の予算で自分の服を作る母親」
「根本から腐っていると考えたら、むしろ自然かも知れないわ。それにほら、ウェンディは知っているでしょう? シェリル様の噂」
「あー…」
話を振ると、ウェンディはすぐにいろいろと察した表情になった。ぼそりと呟く。
「シェリル様がギャンブル狂いっていう、アレですか」
「そう、それ」
ダニエルの母シェリルは、その昔、ギャンブルにのめり込み過ぎて商会のお金に手を出した。
商会長の妻という立場上、内々で処理されたが、それ以来商会の仕事からは遠ざけられ、レトラ家の別邸で隠遁生活を送っている──レトラ商会内部では有名な話だ。
説明を聞いた兄が、とても嫌そうな顔になった。
「蛙の子は蛙、ということか」
何とも言えない顔で視線を交わしていると、ほほーう、と独特の声が響いた。
窓際の棚の上で伸びていたブランがヒゲを震わせながら立ち上がり、お座りの姿勢になる。
《なかなか面白そうな話じゃな。アレクシアの給料と衣装代、どちらも業務上横領、それも3年間か。まともな職場なら一発で首が飛ぶのう》
くあ、とあくびをした後開かれた青い目は、笑っているようにも、剣呑な光を宿しているようにも見える。
業務上横領などという単語がケットシーから出てきたことに面食らっていると、びたん、と長い尻尾が棚の天板に打ちつけられた。
《どうする、セドリックよ。ハーミット男爵家の沽券にも関わる問題じゃぞ》
「ええ、分かっておりますよ、アルバトロス様」
「え?」
兄が態度を改めてブランに応じた。しかも、ブランに対する呼び名が違う。
「アルバトロスって…」
ウェンディがサッと顔色を変えた。私も、その名を──その通称を知っている。
信じられない思いで白いケットシーを改めて見遣ると、もふんと反らした胸元、首のすぐ下に、金色のエンブレムが見えた。
真っ白い被毛に半ば埋もれたその紋章は、鎖に繋がれた羽ペンの意匠。
思い当たるものは一つしかない。
「行政局特務班…領主様直下の、内偵員…?」
私の呻きに、ブランがふぉっふぉと得意げに笑う。
金色の紋章が、陽光を反射してきらりと輝いた。




