21 意趣返しではない。
「あ、そうだ。説明の前に」
ウェンディがコホンと咳払いして、私を見る。
「アレクシア様、セドリック様。私のことはどうか、『ウェンディ』と呼び捨てにしてください。私の方が年下ですし、平民ですし、敬語も不要です」
これまでは、レトラ商会の商会員──一緒に働く仲間として、一定の敬意の表れとして敬語を使い、『さん』付けで呼んでいた。しかし、「ちょっと距離が遠くて寂しいんですよ」と頬を掻く表情に、それもそうかと納得する。
「分かったわ、ウェンディ。私のことも、アレクシアと呼んで頂戴。敬語も要らないわ」
「えっ!? いやいやいや、そこはちゃんとしましょうよ! アレクシア様は男爵家のご令嬢なんですから!」
ウェンディが一瞬で狼狽えた。何故だ。
「ええ…」
私が半眼になると、兄がぽんと肩を叩く。
「アレクシア、強要するものではないよ。ウェンディが気を遣ってしまうだろう?」
「そうです! あ、でも、その代わりと言ってはなんですけど、言葉遣いがおかしいことになってても許していただけると嬉しいです!」
「…分かったわ」
妥協点はそのあたりらしい。少しだけ口調が崩れたウェンディに頷くと、彼女はあからさまに安堵の溜息をついた。そして、表情を改める。
「では、気を取り直して説明を。商会の設立手続き自体は簡単です。領主様──厳密には行政局の担当文官の方に所定の書類を提出すれば、数日後に合否の連絡が来ます。書類をきちんと作成していれば、不合格になることはまずありません」
書類の様式がこちら、記入例がこちらです、と、書類の束の一部が取り分けられる。
複数枚の綴りだが、多くは商会設立における関係法令その他のルール説明で、実際に書かねばならない部分はそれほど多くない。
さらに、心配でしたら書類作成の専門家の手を借りましょうと、公的書類作成の資格を持つ書記士の名前とプロフィールと得意分野のリストまで出てきた。
どうやらこの書類の束は、補足資料まで含めた結果、このような途方もない量になっているらしい。
全部が全部説明でなくて良かったと胸を撫で下ろすべきか、準備の良さに感嘆すべきか。
「買い付けなどに使う最初期の資金に関しては、セドリック様──いえ、ハーミット男爵が出資してくださるそうなので、そちらを充てます」
「え!?」
驚いて書類から顔を上げると、笑みをたたえた兄が深く頷いた。
「荘園の管理費として積み立てているお金がある。最近は災害がなくて出費が少ないから、それくらいは出せるさ」
「でも、管理費用なら貯めておくべきでは?」
いつ何時、急な出費があるか分からない。例えば土砂崩れや川の氾濫など、何かあった時の費用はかなり高額になるはずだ。
しかし兄は平然と応じる。
「心配しなくて良い。これは新たに設立される商会への『貸付』だよ」
「貸付?」
「今後利益が出たら、利子を付けて少しずつ返済していくってことです」
ウェンディが新たに提示した書類には、『出資金返済計画』と書かれている。
年利は非常に低く設定され、順調にいった場合の返済期間は10年見込み。
月々の返済額はかなり現実的な数字で、補足に『商会に利益が出た場合にのみ返済を求めるものとし、商会が破産した場合は別途定める』と書かれている。
つまり商会が存続する限り、将来的には、ハーミット男爵家に利子分が増額されたお金が返ってくるという構造だ。
だがそれでも、一度に結構な額のお金をハーミット男爵家から出すことになる。本当に大丈夫なのだろうか。
「それにね、アレクシア」
心配を見透かしたように、兄が口の端を上げた。
「この商会で取り扱うのは、うちの家が深く関わる品だ。むしろ多少なりとも出資しないと、格好がつかないんだよ」
その言葉を待っていたように、ウェンディが目を輝かせて別の書類を指し示した。
「この荘園で生産されている、生糸を取り扱う予定なんです」
生糸──絹の材料になる高級繊維。
確かにそれならば、ハーミット男爵家が商会設立に関わっている方が自然だ。しかし、
「…うちの荘園の生糸は、全てレトラ商会に卸していたわよね…?」
私とダニエルの婚約後、荘園で生産される生糸は全てレトラ商会が買い取っていた。
生糸の取引については婚約の書類には特に何も書かれていなかったが、婚約が商取引にも影響を与えていたのは間違いない。
だからですよ、とウェンディがとても悪い笑みを浮かべた。
「まだ正式には決まっていないようですが、婚約解消はほぼ決定のようなものでしょう? なら、これ以上レトラ商会と関わる理由はないはずです。っていうかむしろ今後一切取引しないって線引きする方が自然です。だってあっち有責ですもん」
「私も元々、その方向で考えていてね。ただ、レトラ商会との取引をやめた後、うちの生糸を買い取ってくれる商会が見付かるのかというのが懸念点だったんだ。新しい商会を設立すれば、問題が一気に解決する」
兄がにこにこと補足する。
背中に黒いものを背負っているように見えるが、指摘しないでおこう。
金額的には、うちの荘園が管理する生糸の買い取りはそれほど大規模な取引ではない。
だが、『貴族の管理する荘園で生産された生糸』を取り扱っているという事実は、貴族を顧客に取り込みたいレトラ商会にとってかなり重要な意味を持っていたはずだ。
それを、打ち切る。
──なるほど。
「なかなか面白い方向性だと思うわ」
「だろう?」
「ですよね!」
にやり、口の端が上がる。兄とウェンディもなかなかに悪い顔になっているが、多分私も今、似たような表情になっているだろう。
意趣返しではない。当然の流れだ。
「生糸の卸先については、エイベル工房を考えてます」
「エイベル工房…カミラさんの所ね」
「はい」
エイベル工房は、領都にある織物工房だ。
カミラは10年以上前に夫を亡くして以降、息子夫婦と弟子たちと共にその工房を切り盛りしている。
特に絹織物が美しいと評判で、規模こそ小さいがその技術は確かなもの。主な納品先は貴族の顧客の多い老舗の商会、そしてレトラ商会だ。
レトラ商会がエイベル工房の絹織物を取り扱う権利を得たのはつい1ヶ月ほど前。レトラ商会がエイベル工房に納品した生糸の品質がおかしいと、カミラが商会に乗り込んできたのがきっかけだった。
面倒がったダニエルが私に対応を丸投げしたため、私がカミラに面会し──話し込んでいるうちに、『今までは生糸を購入するだけだったが、今後は出来上がった絹織物の一部をレトラ商会に買い取ってもらいたい』とカミラから打診を受けた。
多分、一応貴族令嬢なのに生糸の生産や養蚕に関する話ができるのを面白がられたのだと思う。昔荘園で得た知識が役に立った。
「エイベル工房のカミラさんはアレクシア様のことを信頼していますし、新しい商会を立ち上げるって説明すれば多分あっさりレトラ商会を切ると思います。生糸の納品に関しては他にも取引してますし、レトラ商会じゃなきゃいけない理由はありませんからね」
エイベル工房は、複数の商会から生糸を仕入れている。だからそのうちの一つを切り替えたところで大した問題はない、ということのようだ。
「私としては、将来的には絹織物の方も取り扱いたいところですけど」
ぼそり、ウェンディが呟いた。緋色の目がきらりと輝いている。
エイベル工房の絹織物は貴族の婚礼に使われることもある超高級品。気持ちは分かるが、
「そちらは追い追いね。今の私たちじゃ、まとまった数を購入する資金が無いわ」
「ですよねー…」
商品を仕入れるのにもお金が要る。そして兄から資金提供を受ける以上、商会の経営を安定させつつ、そちらを返済するのが先だ。
レトラ商会から取引相手を奪う形になるが、レトラ商会の生糸の仕入れ先と納品先は元々複数あったはずなので、ダニエル有責の婚約解消の余波として、1ヶ所ずつ減るくらいは許容してもらおう。
「そうなると…一応、レトラ商会の商会長にはご説明差し上げておいた方が良さそうね。お父様はきちんと婚約解消手続きができなかったようだし、そちらの決着をつけるのも兼ねて」
ダニエルから阿呆な宣告を受けて以降、父ザカリーは何度かレトラ商会と連絡を取り、婚約解消について商会長のデズモンドと話し合いを重ねていた。
が、どういうわけかなかなか話が進まず、延々と平行線を辿っていたらしい。一体何をどう話したらそうなるのか。
私が呟くと、兄が眉を寄せた。
「アレクシア、婚約解消の件は私が交渉に行こうと思っているんだが…それに、レトラ商会に出向いたらダニエルと出くわす可能性だってあるだろう?」
「ええ。でも直接話しておいた方が、後腐れもなさそうだし」
商会立ち上げの挨拶と、生糸の取引の打ち切り連絡、エイベル工房との取引開始の連絡──これはエイベル工房の了承が必須なので、事前にカミラに根回しが必要だが。そして、婚約解消の正式手続き。
やるべきことを数えていると、ダニエルと直接対面する可能性があるということも大した問題ではない気がしてくる。
むしろ、そろそろ一発くらいやり返しても良いのではないかとすら思う。
ウェンディがぽんと手を打った。
「それじゃ、全員で行きませんか?」
「全員?」
「はい。新しい商会の立ち上げとその取引先についてはアレクシア様と私が当事者、生糸の取引停止についてはハーミット男爵家新当主のセドリック様が当事者、婚約解消の件については…アレクシア様は当事者、セドリック様は責任者みたいなものでしょう? あと、ダニエルが近付いてきてあることないこと文句言ってきたら私が盾になって言い負かしてやります。声の大きさには自信があるんですよ!」
胸を張るウェンディが、大変頼もしい。
私は小さく笑みを漏らし──もう一つ、デズモンドに要求できそうなことを思い出した。
「そういえば…婚約解消になることだし、私の3年分の労働に対する対価もいただけるかしら」




