20 ウェンディとの再会
ここからアレクシア視点に戻ります。
目の前には、見本かと思うほど綺麗な土下座の姿勢を披露するウェンディ。
助けを求めて視線を巡らすと、私に続いて入室しようとしていた兄セドリックと目が合った。
「アレクシアに会いたいと言う者がいたから、領都から連れて来た」と、それが誰なのかも告げずに私をここに案内したのは兄だ。軽く目を見張っているが、口元が笑んでいる。
この顔は…この状況を予想していたわね…。
「お兄様」
私がスッと目を細めると、兄は肩を竦め、私の横をすり抜けて部屋に入った。
「ウェンディさん、アレクシアが驚いているから、それくらいで」
「は、はいっ!」
弾かれたように立ち上がる、その顔はやはりウェンディ・ロレンス本人だ。夢でも幻でもなかった。
兄に促されるまま、私たちはそれぞれソファーに座る。私の隣に兄、正面にウェンディ。
「ええと…お久しぶりですね、ウェンディさん」
紅茶を飲んで一息ついても、兄は隣でにこにこするばかりで話を進める様子がない。
どうやら私が動くのを待っているらしいと察して切り出すと、ウェンディがはいと背筋を伸ばした。
「お久しぶりです、アレクシア様。あの…その節は、大変なご心痛をおかけして申し訳ありません」
それがいつのことを指しているかは明らかだった。深く頭を下げるウェンディに、私は緩く首を横に振る。
「顔を上げてください。ウェンディさんこそ、全く身に覚えがないのにダニエルに突然あのような宣言をされて、大変だったのでは?」
「え? あの、私がアイツのことを好きなわけじゃないって…」
「顔を見ていれば分かりますよ。心底驚いて、愕然としていたでしょう?」
あの時のウェンディの表情はよく憶えている。
馴れ馴れしい態度を取るダニエルに辟易し、『心から愛する人』のくだり以降は、絶句しつつも否定しようと必死に首を横に振っていた。
私が指摘するとウェンディは目を見開き──その肩が一気に脱力した。
「よ、良かった…!」
へにゃりと表情が崩れ、心の底から安堵したような顔で胸に手を当て、
「誤解されてたらどうしようかと…! かくなる上は、あの斜め上勘違い野郎の髪の毛全部毟ってアレクシア様の前で土下座させるしかないかなって」
「斜め上勘違い野郎」
「あ、年中お花畑野郎の方が良かったですか?」
「ブフッ!」
兄が吹いた。もはやどこから突っ込んだら良いのか分からないが、
「流石に次期商会長の髪の毛を全部毟ったら、ウェンディさんの商会員としての立場がなくなるのでは?」
「それは大丈夫です」
すっかり緊張が解けたのか、ウェンディはとても良い笑顔で応じた。
「私もう、レトラ商会辞めたので」
「え?」
「具体的には、アレクシア様が婚約解消を了承してお帰りになった直後に辞めました」
そう言われて思い出す。
そういえばダニエルの執務室を出た直後、部屋の中からものすごい剣幕の罵詈雑言が聞こえたような…。
「…あの叫び声、気のせいじゃなかったのね…」
「あ、聞こえてました?」
やだ恥ずかしい、などと頬を染めている姿からはとても想像できないが、あの時の声の主はウェンディで間違いないらしい。
そして、それを向けていた相手は恐らく、いや確実に、ダニエル──。
「…ふふ」
その時彼は、どんな顔をしていたのだろう。考えたら、少しだけ胸がスッとした。きっと大層面食らっていたに違いない。
目の前のウェンディはにこにこしていて、後悔している様子は見受けられない。ならば、同情も慰めも不要、むしろ失礼というものだ。
ただ──気になることはある。
「でも…ウェンディさん。レトラ商会を辞めて、本当に良かったのですか? 確か、ご実家の商会を立て直すために仕事をしていたのでは?」
ウェンディの実家が経営していたロレンス商会は、2年前、ウェンディがレトラ商会に入った時点で既に経営難だと言われていた。
商会長が安易に手を出した新規事業が詐欺同然だったため、多額の損失を計上していること、家計を助けるためにレトラ商会に入ったこと。いずれもウェンディ本人の口から聞いている。
「憶えててくださったんですね!」
ウェンディはぱっと顔を輝かせた。そしてあっさりと、
「実家の商会についてはもうどうにもならないし、あともう少しで全ての始末がつくらしいので良いんです」
すごい割り切り方だ。
「私個人の方は──ええとですね」
ここで初めて、ウェンディは言い淀んだ。一瞬見えた躊躇いを振り切るようにキリッと表情を改め、お願いがあります、と真剣な目で私を見詰める。
そして、
「──アレクシア様、私と新しい商会を立ち上げませんか? 商会長になってほしいんです!」
「新しい…商会?」
私はぽかんと口を開ける。
完全に予想外の単語、予想外の申し出だ。しかし、咄嗟に見遣った兄は平然としている。どうやら既に説明を受けていたらしい。
その上でウェンディをここに連れて来た、ということは──
「本気、ですか?」
「はい」
「私は商会業務はともかく、商売に関しては素人ですが」
「そんなことありません」
全て予想済みであるかのように、ウェンディは即答する。ムスッとした顔で身を乗り出し、
「レトラ商会の本店で3年も仕事を取り回して、商談の場にも同行して、実際に複数の取引を「アレクシア様ならば」なんて理由で成立させてる人を、どこの誰が素人呼ばわりするんですか」
「ダニエルが」
言った瞬間、ウェンディの目が剣呑な光を帯びた。
「あンのクソボンボン…やっぱりもう2、3発殴っとくんだった…」
とても不穏な単語が耳に入ってきた気がしたが、気のせいということにしておこう。
…『もう2、3発』ということは既に最低1発は殴って──いや、私は何も聞いていない。そのはずだ。
「ええと、アレクシア様」
コホンと咳払いして、ウェンディは再度表情を整える。
「アレクシア様は間違いなく、既に商会を切り盛りできるだけの手腕をお持ちです」
「でも私は、帳簿の中身の精査もできませんし…」
「それは商会長じゃなくて会計士の仕事じゃないですか。──っていうかアレクシア様、誤解してません?」
ウェンディの胡乱な目が私を捉える。
「商会長になってほしいとは言いましたけど、全部をアレクシア様に頼りっ切りにするつもりなんかないですよ。必要な部分では専門家の手を積極的に借りますし、将来的には人も雇います。でも当面、日常の細かな業務は私がやります。任せてください!」
ウェンディは目を輝かせて言い切った。そして、照れたように頬を染める。
「白状するとですね、私、ずーっとアレクシア様の下で働きたかったんですよ」
「え?」
「だから人事権を持ってるダニエルに『ちゃんと仕事ができます、アレクシア様の下に付けるのに最適ですよ』ってアピールして…結果ああなったわけですけど…」
ズン、と表情が重くなる。なかなかに忙しい。
しかし、ようやく謎が解けた。明らかにダニエルを毛嫌いしているのに、ウェンディが仕事の手を抜かなかった理由。
…私の下で働きたかったから、なのね…。
そこまで私のことを評価してくれていたのかと思うと面映ゆいが、素直に嬉しい。
多分、昨日までの私だったら『そんなことを言われても』と困惑するばかりだっただろう。
だが、昨日外を歩いてブランと話をして、久しぶりに魔力も使って疲労し、ぐっすり眠って起きた今日、胸は軽く、頭はすっきりしていて、明らかに気分が上向いている。
──『自分のために動け』という、ブランの言葉。私の好きに生きて良いのだと、そう背中を押してくれた。
そして今、ウェンディは、私が既に商会を切り盛りできるだけの手腕を持っていると言ってくれた。
それが本当かどうか、正直自信はないけれど──私の3年間は、無駄ではなかった。
目に見えるものは何も残らなくても、私の頭の中には積み重ねた3年分の知識が確かに残っていて、こうして評価してくれる人もいる。そう、気付くことができた。
──私は、どうしたいのか。
その自問に、迷うこともなく、答えは出た。
「商会を作るといっても、具体的にはどのように?」
「!」
呟いた瞬間、ウェンディがぱあっと顔を輝かせた。
「はい! それはですね──」
横に置いてあったカバンから、書類の束を取り出す。
比喩ではなく、『束』である。辞書を優に超える分厚さだ。ウェンディがそれをローテーブルに置いた瞬間、ズン、という擬音が聞こえた気がした。
「あ、これ、私が書いた事業計画書です。セドリック様にも内容はご確認いただいています」
「なかなか興味深い計画だった」
とても明るい声でウェンディが説明し、兄がしたり顔で頷いた。
見るからにとんでもない量なのだが…一体いつから用意していたのだろうか。
レトラ商会を辞めてからだったら物量がおかしいし、前々から準備していたのだったらそれはそれで怖──いや、いずれにせよ情熱のあらわれだ。そういうことにしておこう。
私は考えるのをやめた。
ここでようやくあらすじに追いつきました…!(笑)
お話は丁度、折り返し地点です。後半もどうかお付き合いください。




