17 ウェンディとリリィ
ここからしばらく、ウェンディ視点です。
時は少し遡り──
「…どうしよう」
レトラ商会を辞めた翌日、私は途方に暮れていた。
別にレトラ商会を辞めたことを後悔しているわけじゃない。それに関してはむしろ今でも「良くやった、自分」と心の底から自分の行動を褒め称えている。
アレクシア・ハーミット男爵令嬢がいなくなったレトラ商会など、柱を引っこ抜かれた木造建築のようなもの。見た目は無事でもいずれ崩れることが分かり切っている場所に、長々と居座る理由はない。
問題は、
「まさかアレクシア様が領都からいなくなったなんて…」
今朝、私は身なりを整えてハーミット男爵家の屋敷を訪れた。
しかし、応対に出てくれた使用人は私が「レトラ商会で商会員として働いていたウェンディ・ロレンスです」と名乗ると眉をひそめ、そのまま扉を閉めてしまった。
考えてみたら当然だ。レトラ商会はアレクシア様を裏切ったダニエルの本拠地。今は無関係だと主張したところで、ハーミット男爵家の人々からすれば私も『敵』以外の何ものでもない。
不審人物ではないと説明したい一心で口にした言葉が一番駄目なやつだった。自分の失態に頭を抱えたくなる。
それでも諦め切れず、私は扉越しに必死に事情を説明した。
私はアレクシア様の下で働きたくて頑張ってきた、レトラ商会と縁が切れてもそれは変わらない、むしろあそこから解放されたアレクシア様の下で改めて働かせてほしい、と。
そのうち使用人は同情してくれたのか、扉を少しだけ開けてくれた。
しかし、そこで告げられたのは、アレクシア様は不在だという事実。どうやら領都から出たようだが、流石に行き先は教えてもらえなかった。
昨日の今日だ、まだ屋敷にいるものだと思っていた。アレクシア様の行動が速すぎる。
そんなところも格好良いし憧れる、流石はアレクシア様──いや、今は悦に入っている場合ではないんだけど。
「…とにかく今は…」
頭を切り替える。
アレクシア様本人は不在。使用人からは行先を教えてもらえない。
ならば、今領都に確実にいるはずのアレクシア様の父君、ザカリー様に直接訊ねることはできないだろうか。
いろいろ噂は聞いているが、何やってんだ放蕩野郎と襟首掴んでがっくんがっくんしたいくらいのダメ親父でも、流石に娘の行先くらいは知っているだろう。
ダニエルとアレクシア様の婚約解消の話はまだ本人が宣言しただけで、両家の当主同士の話し合いまでは終わっていないはず。
となると、レトラ商会の商会長デズモンド・レトラ様と、ハーミット男爵家の当主ザカリー・ハーミット様が顔を合わせる機会が今後巡って来る。
もしくは──ザカリー様はよく夜のお店に通っているというから、その店で待ち構えていれば接触する機会はいくらでもあるはずだ。
レトラ商会を辞めたのが悔やまれる。商会本部に張り付いていれば、少なくともデズモンド様とザカリー様の話し合いのタイミングくらいは掴めたと思うし、その話し合いの後にザカリー様を捕まえるのも不可能ではなかったと思うのだが。
「いやいや、後悔してる場合じゃないんだって!」
頭を大きく振って、明後日の方向へ逸れて行く思考を無理矢理軌道修正する。
一応、デズモンド様のいる商会本部とダニエルのいる本店は別の建物だが、商会員はよく行き来しているので情報は筒抜け。
本部を見張っていて万が一ダニエルに知られたら最悪だし、ここはやはり、ザカリー様の『趣味』の方を見込んで行動すべきだろう。
「よっし、まずは胡蝶通りね!」
胸を張って自分に言い聞かせていたら、道行く人に白い目で見られた。
「胡蝶通りって…」
「最近の若い子は…」
なお、胡蝶通りは繁華街の一区画。主に男性向けの夜の店が立ち並ぶ通りである。
その名を口にする未婚女性がどんな目で見られるかは…お察し、というやつだ。
──まあそれくらい、アレクシア様にもう一度会うためならどうってことないけどね!
そうして一旦家に帰って時間を潰し、夕刻、私は改めて街へと繰り出した。
向かった先は繁華街の胡蝶通り。まだ明るい時分、店の多くは開店準備中だが、人通りはそれなりにある。主に出勤前の女性たちだ。
「うーん、久しぶりね、この空気」
まだ実家の商会の羽振りが良かった頃、父に連れられて何度かここに足を運んだことがある。
未婚の娘をそんな場所に連れて行くなんてと母は大層ご立腹だったが、跡継ぎのための社会勉強の一環だと言われれば止められる者はいない。
実際、夜の店の店員たちは私にも優しく、むしろ妹のように可愛がってくれた。
ここでしか聞けない他商会の裏話や最新の流行、それに彼女たちの話術そのものも、とても勉強になった。何せ彼女らは接客のプロなのだ。
記憶を辿り、通りを奥へと進むと、目的の店が見えた。
店名は『胡蝶の夢』──この通りの名前の由来にもなっている、老舗中の老舗。その店構えは以前と変わらず、煌びやかな一方で不思議と落ち着いた雰囲気を漂わせている。
例に漏れず、『胡蝶の夢』も開店準備中だ。
扉はしっかりと閉ざされ、若い男性がその前をほうきで丁寧に掃き清めている。
「すみません、オーナーはいらっしゃいますか?」
「ん? …ああ」
話し掛けると、男性は一瞬胡乱な顔をして私を上から下まで眺め、すぐに警戒を解いた。
多分、店での就労を希望しているように見えたのだろう。全くの見当外れだけど、勘違いされている方が都合が良いので黙っておく。
「申し訳ありません、オーナーは本日、予定が埋まっておりまして。明日以降でしたら対応可能かと思いますが、いかがいたしますか?」
私みたいな若い女性にも丁寧な態度を崩さないのは、お店の教育が徹底しているからだろう。
しかし困った。この物言い、今日オーナーは店にいないらしい。
不在だと言うと不埒者がトラブルを運んでくる可能性があるから、所用で手が離せないだとか、少なくともその場には居る風を装うのだと昔教わった。
ならば、
「──では、リリィさんはいらっしゃいますか?」
その名を口にした瞬間、男性が片眉を上げた。就労希望者ではないと分かったのか、少しだけ空気が張り詰める。…そんなに警戒しなくても。
私はあえて笑顔を作って一礼する。
「私、リリィさんにお世話になったことがありまして。ウェンディ・ロレンスが会いたがっている、とリリィさんにお伝えいただけないでしょうか?」
そして──
「お久しぶりね、ウェンディ」
程なく私は店の奥へ通され、黒髪の美女と再会した。
『胡蝶の夢』で第1位の人気を誇る『蝶』、リリィ。その美貌は昔から変わらず、いや、むしろ磨きがかかっている。
一見すると近寄りがたいほどの美女だが、ふとした瞬間に見せる笑顔は驚くほど無防備で、そのギャップにやられるお客が後を絶たない、とか。
「ふふ、また会えて嬉しいわ」
まあつまりこの顔である。普段は懐かない黒いケットシーがそっと頭を擦り付けてきた、みたいな。
…くっ、さらに攻撃力が上がってる気がするわ…!
慄く内心を表に出さないよう、私も笑顔で応じる。
「お久しぶりです、リリィさん。相変わらず美人ですねぇ」
「あら、そう? 貴女にそう言われるなんて、私もまだまだ捨てたものではないわね」
「この店のトップが何言ってんですか」
思わず本音が漏れた。捨てたものではないどころか常に全盛期ではないか。
部屋の入り口からこちらを覗く女性陣が、深々と頷いている。リリィの後輩たちだろう、私の知らない顔がいくつも見えた。数年経てば、店の顔ぶれも当然変わる。
その中でずっとトップに立っているリリィは、やはり別格の存在なのだ。
フフ、と余裕の笑みを浮かべ、リリィはゆったりと椅子に座り直す。私もそれに倣って深く椅子に座り、紅茶を一口いただいた。
「──それで、今日はどうしたの?」
リリィが小さく首を傾げた。
「いよいよ、うちで働く気になったのかしら?」
「それも魅力的ですけど、違います」
そういえば、昔はリリィにやたらと「うちの店で働かないか」と勧誘されていた。社交辞令だと思っていたが、実は本気だったのだろうか。
どのみち、今の私には目的があるので断る以外の選択肢はないが。
「リリィさんのお得意様の、ザカリー・ハーミット様に会うことはできませんか? 実は私、娘のアレクシア様の下で働きたくて──」
私は事情を掻い摘んで説明する。
アレクシア様に関する情報は、レトラ商会に在籍していた頃からしっかりと収集してきた。
祖父母である先代男爵夫妻、そして母アリーシャ様とは5年前に死別。以降、ハーミット男爵家が領主様から任されている荘園の管理は兄セドリック様が担っていて、父ザカリー様はハーミット男爵家の爵位継承権がないことなどを理由に、ハーミット男爵代行の仕事を放棄して領都で遊び呆けている。
そして、その『遊び呆ける』先が、主にこの『胡蝶の夢』。中でもリリィがお気に入りで、大金をはたいて指名し続け、自宅に呼び出したりもしているとか。
ならば、リリィの方から呼び出すこともできるのではないか。
説明を終え、期待を込めて見詰めると、リリィの眦がそっと下がり、その美貌が曇った。
「…タイミングが悪かったわねぇ。昨日あの方、ウチの店も近隣の店も、全部出禁になったのよ」
「……は?」
私の計画が、根本から崩れた瞬間だった。
※妙にハーミット男爵家の事情に詳しいですが、ウェンディはアレクシアのストーカーではありません。本当だよ!




