16 出会い頭の土下座
私とブランが持ち帰ったナマズは管理館の料理人の手で丁寧に調理され、その日の夕食のメインディッシュ、白身魚のムニエルになった。
身は分厚く脂が乗っているわりにふんわりとした食感で、口に入れるとほろほろと崩れる。
それを引き締めるのは、表面にまぶして焼き目を付けた小麦粉の香ばしさとレモンをベースにした特製ソース。バターでまろやかになりつつも爽やかな酸味がたまらない。
「これは美味しいな」
久しぶりに一緒に食卓を囲んだ兄が、目を輝かせてムニエルを口に運ぶ。
今まで、私は自室で食事を取っていた。しかし、「獲物を分け与えるなら一緒に食べるのが礼儀というものじゃ」というブランの謎理論により、今日の夕食は半ば強制的にダイニングルームで食べることになった。
当然、私の隣にはブランもいる。下味をつけずにムニエルにしたナマズを、とても満足そうに咀嚼している。
《水がきれいじゃったからのう。泥臭さも全くないわい。低温で熟成させても身が柔らかくなって美味いんじゃが、まあ我慢できるわけないの》
館に帰った時に出迎えてくれたゾフィーが腰を抜かした程度には大きいナマズだったが、使用人たちにまで行き渡らせればメインディッシュ1食分。熟成させる分など残るはずがなかった。
…熟成させたナマズの味、気にならないと言えば嘘になるけれど。
《明日あたり、熟成用のナマズも獲ってくるかの?》
私の内心を見透かしたように、ブランがちらりと見上げてくる。私は一瞬息を詰まらせ、無理矢理口の中のムニエルを飲み込んでから応じた。
「あのサイズのナマズが、2匹も3匹もあの川にいるとは思えないわ」
《むう…初手から欲張り過ぎたか》
荘園内を流れる川は、それほど大きくない。川幅は大人の歩幅で10歩分くらい、水深は一番深いところでも膝くらいまで。
勿論大雨などで増水すればその限りではないけれど、印象としては『川』というより『小川』と呼んだ方がしっくりくる、そんな大きさだ。
今はムニエルになってみんなに美味しくいただかれているこのナマズがあの川にいたこと自体、驚くべきことだと思う。
そんな会話をしながら、きっちりデザートのレモンゼリーまで堪能する。
外に出て、さらには魔法も使って身体が疲れていたからか、昨日より随分と食欲があり、最後まで美味しく食べられた。
食後の紅茶をゆっくり味わっていると、ふと兄が真面目な表情になる。
「アレクシア」
「はい」
「──今日、領主様より、爵位移譲の命令書が届いた」
「!」
ティーカップがソーサーに当たり、硬質な音を立てる。
構わず、私は兄の方をきちんと向いて背筋を伸ばした。
「いよいよ、なのね」
「ああ」
兄も姿勢を正し、深く頷いて、
「私は明日、領都の屋敷に出向いて父から爵位を譲り受けようと思う。アレクシア、お前はどうする?」
爵位の移譲に関わるのは、当代の当主もしくは当主代理と、次代の当主、そして見届け人として領主が任命した文官。次代の当主の妹である私は、その場に立ち会わなければいけないというわけではない。
私は少し考える。
勿論、兄が当主になる瞬間を見届けたいという気持ちはある。あるが──
「私はここで、お兄様の帰りを待つわ」
口にした結論に、兄は軽く眉を上げた。先を促す動作だと理解して、私は言葉を続ける。
「私の婚約解消と慰謝料の件、まだ結論が出ていないのでしょう? であれば、私が領都へ出向いた場合、レトラ商会の関係者が押し掛けてくる可能性があるわ。…爵位の移譲は我が家にとって大切なこと。外部の人間に邪魔をさせるわけにはいかないわ」
ここで言う『レトラ商会の関係者』とは、主にダニエルのことである。
あの男のことだ。私が領都にいると知ったら、また私にタダ働きをさせるために強引に面会を申し込み、口から出任せで適当なことを言い、丸め込もうとするだろう。
こちらの体制が整うまで、距離を置くのが一番だ。
…あと、正直、今はまだ、万が一にもあの男の顔を見たくないし声も聞きたくない。切実に。
私のそんな内心はお見通しだろう。兄の表情が緩んだ。
「そうだな。私も、留守番を頼もうと思っていた」
《ほうほう。ならば、わしはセドリックについて行こうかのう》
ぺろり、油のついた口元を舐めながら、ブランが耳をピンと立てる。
《領都の怠惰なネズミを捕まえるのも一興じゃて》
そうして翌朝早く、兄とブランは荘園の馬車で領都に向かい──その日の午後、予定通りに帰って来た。
…のは、良いのだが。
「この度は、大っ変、申し訳ありませんでした──!!」
管理館の応接室、毛足の短いカーペットの上。
両膝を揃えて足を折り畳んで床に座り、上体を深々と前屈させて頭の前で両手をつく、東の国の最上級の謝罪を意味する動作──所謂『土下座』を出会い頭に披露され、私はドアを開けた姿勢のまま固まった。
平身低頭しているのは、鮮やかなピンク色掛かった赤い髪の女性。白い肌に小柄な体格、謝罪を叫びつつも華やかさが隠し切れない声。
思い当たる人物は一人しかいない。
「……ウェンディ、さん?」
ダニエルに勝手に「婚約する」と宣言されて真っ青になっていたレトラ商会の商会員、ウェンディ・ロレンス。
何故、彼女が、管理館の応接室で土下座しているのだろうか。呆然と名前を呟いても、理解できるはずもない。
窓際にブランが寝そべっているのが目に入った。
しかし、ウェンディの謝罪の叫びにも全く反応せずに目を閉じたまま、垂れ下がった尻尾をゆらゆらさせるばかり。
日差しを浴びてきらきらと輝く真っ白い被毛は美しく、目を閉じた顔は笑っているようで、何だか微妙に腹立たしい。
一通り見渡して、私は理解した。
この状況について説明を求めるべき相手は一人だ。
──ちょっとお兄様! 一体どうなってるの!?




