15 どうしたいのか、という言葉の意味
案の定、魔法はあらぬ方向へ飛んで行き、ナマズ1匹を仕留めるのに恐ろしく時間が掛かった。
「や…やっと当たった…」
無駄撃ちした魔力弾、実に20発以上。
一番簡単な攻撃魔法だが、元々魔力の少ない人間が数を撃てば疲弊もする。私は安堵と疲労が入り交じった溜息をつき、河原にへたり込んだ。
《おお、予想以上の大物じゃのう!》
ブランの弾んだ念話が響く。
ようやく魔力弾が頭部に命中したナマズは、力なく水面に浮いていた。多分、暴れた拍子に空気でも飲み込んでいたのだろう。
腹だけでなく全体的に丸々太っていて、確かに大きい。頭から尻尾の先まで、体長だけならブランを超えるのではないだろうか。
そのナマズが、ふわりと宙に浮いた。…そういえば、ケットシーも魔法を使えるのだったか。
「…ねえ、魔法が使えるなら、ブランがナマズを気絶させれば良かったんじゃないの?」
私は思わず渋面になった。
的に当てるのが苦手な人間に任せるより、魔法に長けたケットシーがやった方が絶対に早かったと思う。
私の恨み節に、ブランは素知らぬ顔で尻尾を一振りする。
《わし? いやいやまさか、若い頃ならともかく、ナマズを気絶させるほどの威力の魔法なんぞこの老体に撃てるわけなかろうて》
魔法の威力に年齢は関係ない、むしろ年齢が上がれば上がるほど魔力操作が研ぎ澄まされて魔法が上手くなるというのが通説である。
あと、ケットシーは魔法で狩りをしたり身を守ったりする生き物なので、相応の威力の攻撃魔法を使えるはずだ。
私のジト目をきれいに無視して、ブランは河原にナマズを着地させる。
ヒレがぴくぴく動いているから完全に死んではいないようだが、暴れるほどの生命力は残っていないようだ。無表情な目がこちらを凝視しているようで微妙に怖い。
「…これ、どうするの?」
訊くと、ブランはもっふんと胸を張った。
《管理館の料理人に料理してもらおうかの。皆に振る舞ってやれば良い》
食べたいと言っていたわりに、独り占めする気はないらしい。少しだけ感心していると、ブランは座り込んだままの私を見上げ、首を傾げた。
《で、調子はどうじゃ?》
「え? それはもう…疲れているけれど」
ほぼ魔力切れ状態なので当然だ。ブランはすんすんと鼻を鳴らし、うむ、と頷いた。
《良い『流れ』じゃな。ちょっとはすっきりしたのではないか?》
「…言われてみれば」
そっと胸に手を当ててみる。
胸の奥にわだかまっていた泥のようなものが、洗い流されたように軽くなっている。疲労はしているが、頭の中も不思議とすっきりしていた。
指先で触れる服の感触も、指先から胸に伝わる熱も、薄皮一枚隔てたような感覚ではなく、きちんと感じられる。
《魔力は、使わんでいると体内で淀んでしまうからの。そうすると、思考が鈍くなったり無駄に思い詰めたり、まあロクなことにはならん。適度に使って適度に発散させるのが一番じゃ》
ブランは得意げにヒゲを震わせ、さてそれでは帰るとするかの、と再び浮遊魔法でナマズを持ち上げた。
まさか、私にナマズを仕留めさせたのは、魔力を消費してその淀みを解消させるためだったのだろうか。
確かに、私はここ数年──5年以上、魔力を使っていなかった。
そもそも、日常生活では魔石を動力として動く便利な魔法道具があるし、街の中は安全なので、一個人が魔法を使う必要性自体がなかったのだ。
だがまさか、魔法を使わないでいることで不利益があるとは。
…自分の『ノーコン』さに絶望せずにきちんと魔法を学び続けていれば、そういうことを知る機会もあったのだろうか。
過去の自分の行いを反省しつつ、ブランに内心で感謝する。
魔法に長けたケットシーで、兄の友でもある彼は、私のためを思ってこんな突拍子もない無茶振りをしたのだろう。
《うーむ、この大きさだとまずは塩焼き…フライ…いや、ムニエルも捨てがたいのう!》
…いや、やっぱりナマズを食べたかっただけな気がする、この自称ご老体。
そう悟って思わず平坦な表情になり──数秒後、何だかおかしくなってきた。
「…ふふ…」
私が笑い声を零すと、ブランが尻尾をくねらせて振り向く。
《やーっと笑いおったか》
「え?」
《ずっと辛気臭い顔しおって、そのうちキノコが生えてくるかと思ったわい》
言うに事欠いて、キノコ。
「人間にキノコが生えるというのは、聞いたことがないけれど」
《比喩じゃ比喩、わしも人間に生えるキノコは知らん。冬虫夏草でもあるまいに》
大体じゃな、と、ブランは訳知り顔で続けた。
《誰かに言われるまま、誰かのためだけに頑張り続けておったら、疲れて当然じゃろ。そりゃ辛気臭い顔にもなるわい、自分の意思がないんじゃからな》
「自分の意思がない」
《あったか? 今まで》
問われて、これまでの自身を振り返る。
求められるまま、頑張ってきた。努力を重ね、次の要求が来れば応えるためにまた努力し──
「…なかった、のかしら…」
特にダニエルと婚約して以降、私がやりたいかどうかではなく、必要かどうか──それも、他者から求められているかどうかで判断して、動いていた気がする。
ぽつりと呟くと、ブランが半眼になった。
《そうじゃろうて。──お主はもう少し、我儘になった方が良いのう》
「我儘なんて」
それは最もいけないことだ。私はそう思ったのだが、ブランの言い分は違った。
《他人のためではなく、自分のために動けということじゃ。己の興味のあること、やってみたいこと、楽しいと思えること──無論、法に触れるようなことや無為に誰かを傷つけるようなことはダメだがの。まずは、誰から何を言われても、己の意思を優先せい。それが巡り巡って誰かの利になるなら万々歳、己以外の利にならずともそれはそれで良し、自分がすっきりするからのう。お前さんみたいなクソ真面目で自己犠牲を良しとする人間は、それくらいで丁度良いんじゃよ》
何だかひどいことを言われているような気もするが──
「自分のために、動く…」
ブランの言葉を反芻して、少しだけ視界が晴れた気がした。
誰かのためじゃなくて良い。求められているかどうかも、考えなくて良い。
──アレクシア。お前は、どうしたい?
この荘園に来た日、兄に訊かれたこと。あの時私は、何も答えられなかった。
婚約解消を言い渡され、父にも責められ、自分が何を求められているのか、分からなくなっていたから。
でも──違うのだ。『どうしたいのか』は、『何を求められているのか判断しろ』という意味ではない。
単純に、純粋に、私が、何をしたいのか。これから先の人生を、どう過ごしていきたいのか──いや、多分そんな壮大な話ではない。
例えば、今日の夕飯に何を食べたいのか決める、とか。
己の意志を優先するというのは、きっとそういうことだ。
「…そう。そうよね」
己の手を見詰め、握りしめる。冷たかった指先に、熱が戻っている。
「私の人生だもの。私の好きに生きて、良いのよね」
《うむ》
ブランがヒゲを震わせて笑った。
《少なくとも、セドリックは全力で応援するじゃろうて。あやつは妹に甘いからのう》
「それは…何より心強いわ」
自然と笑みが零れ、私は立ち上がった。
深く息を吐き、思い切り吸うと、川辺特有の湿り気を帯びた空気が胸を満たす。それだけで、別の意味でも胸が一杯になる。
それを誤魔化すつもりで、私は浮遊するナマズを見遣った。
「とりあえず、ナマズはムニエルにしてもらいましょう。脂が乗ってそうだし、フライは胸焼けしそうだわ」
《おお、良いの。食べるのが楽しみじゃ》
ブランが上機嫌に尻尾を立てる。
そうして私は、ナマズを空中浮遊させたブランと共に、疲労で重くなった足を引きずりつつ、けれど晴れやかな気分で管理館へ帰還した。




