12 回顧と悔恨
アレクシア様がゾフィーに支えられ、執務室を出て行った後。
「ジョージ…アレクシアのことだが、どう思う?」
セドリック様は低い声で私に問うた。
その表情は、歴戦の傭兵でも裸足で逃げ出しそうなほど鋭い。殺気立っている、と言い換えてもいい。
涙を流した後、アレクシア様が顔を上げなくて幸いだった。
いや、この顔を見られたくないからこそ、セドリック様はアレクシア様の頭を撫でて誤魔化し、この部屋から退出させたのだろうが。
ともあれ、未来のご当主に問われたならば、正直に答えねばなるまい。
私は直立不動の体勢を少しだけ崩し、苦々しく首を横に振った。
「この3年、ただでさえアレクシア様は商会のお仕事と領都の屋敷の采配で息つく暇もございませんでした。肉体的な疲労が溜まっていて当然かと存じます。さらに、突然の婚約解消にご当主様の軽率な言動…昨日の時点で、心労で倒れていてもおかしくはなかったかと」
そんな状況にもかかわらず、アレクシア様はご自分の足でレトラ商会から屋敷に戻り、お父上であるザカリー様に婚約解消の旨を自らご報告し、さらにはだらしのない生活を送っていたザカリー様を叱責し、夜の店の店員と直接交渉し、やるべきことを全てやり切った。
あのリリィという店員がザカリー様ではなくアレクシア様を気遣っていたのも、その心労を察してのことだろう。
客に呼び出されたからとはいえ真昼間から貴族の屋敷にやって来る夜の店の女を快く思わない使用人は多かったが、ザカリー様への啖呵を聞いて、多くの者はその評価を翻した。
プロとしてやるべきことをやり、その上で真に重責を背負っている者を気遣う姿勢に、深く共感したのだ。
──つまりは、リリィに初見で理解されてしまうほど、アレクシア様の境遇はひどいものだった、ということだが。
使用人として、忸怩たる思いである。
先代ご当主様の時代からお仕えさせていただいている身だというのに、ザカリー様の愚行を止めることもできなければ、アレクシア様を満足にお支えすることもできなかった。
「…セドリック様の前で弱音を吐けたことは、不幸中の幸いでございました」
「不幸中の幸い? あれが?」
私の言葉に、セドリック様がさらに一段、視線を鋭くする。どうやら何か誤解しているようだ。
「婚約解消──いえ、それ以前に、アレクシア様が婚約者だからといってレトラ商会で過大な要求をされていた件については、私も全く納得しておりません。ご当主様の振る舞いについては、ここでは言及を避けますが」
名目上、今の主はまだザカリー様だ。本人に苦言を呈するのならともかく、そのお身内に陰口を申し上げるのは主義に反する。
「お嬢様は、ご自分の心情を吐露することができた──まだ完全には、心折れていない証拠でございます。十分な休養を取った後、きっとまた、ご自身の足で立ち上がることでしょう」
それは、半ば願いのようなものでもある。
セドリック様は私の言葉を吟味するように暫し瞑目し、やがてゆっくりと頷いた。
「…そうだな。私も、そう信じている」
顔はいまだ険しいままだが、刺々しい空気は幾分和らいでいる。内心胸を撫で下ろしていると、セドリック様は真剣な表情で話題を変えた。
「──さて、今後の予定だが」
「はい」
私も姿勢を正して応じる。
「まず、アレクシアにはゆっくりと休んでもらう。心労については…そうだな、頼りになりそうな者がいるから、私の伝手で手配しよう」
「承知いたしました」
この5年、荘園で采配を振るっていたセドリック様には、既に独自の伝手がある。私は頷き、続きを待った。
「ゾフィーはアレクシアの傍に付いていてほしいのでこちらに残す。構わないか?」
「勿論でございます」
「レトラ商会のデズモンド様へは内々に婚約解消を了承する旨の書簡を送る。ついでに、ハーミット男爵家の当主がじきに代替わりすることも教えておこうか。父上の動向に関しては──ジョージ、見張りを頼めるか?」
「はい、承ります。それから、領都のお屋敷の管理もお任せくださいませ。アレクシア様が全体の流れを整えてくださっておりますので、半年程度であれば私どもの方で管理が可能です。帳簿は毎月、こちらへ持参いたします」
「助かる。私もなるべく、そちらへ顔を出すようにする」
皮肉なことだが、アレクシア様はいつご自分がレトラ家に嫁ぐことになっても良いよう、屋敷の仕事の采配や年間の予算組みなどを我々使用人にも共有してくださっていた。
昨日、アレクシア様が荘園の管理館へ移ると決まった時点で、屋敷の使用人たちも皆覚悟を決めている。
なお、屋敷の管理に関して、当主であるザカリー様は最初から指揮命令者として認識されていない。長年の積み重ねが原因である。
「──爵位移譲の命令書が届き次第、担当者と共に領都の屋敷に出向き、父上から爵位を貰い受ける。屋敷の使用人たちにも周知しておいてくれ」
「承知いたしました。その日を心待ちにしております」
その他細々とした打ち合わせを終え、私は執務室を辞した。
これからしばらくの間、アレクシア様はこの管理館で静養となる。領都に戻る前に様子を伺おうと部屋に出向き、そっとドアをノックすると、ゾフィーが静かに顔を出した。
その態度と表情で状況を察し、念のため声をひそめて問う。
「お嬢様は…?」
「つい今しがた、お休みになりました」
ゾフィーは素早く廊下に出てドアを閉め、緩く首を横に振った。
「緊張の糸が切れたようです。昨晩も、ろくに眠れていないご様子でしたし…」
「うむ…眠れたのならば良かったと思うべきか」
声に苦渋が交じった。
アレクシア様がずっと努力してきたのは、我々が一番よく知っている。
私はアレクシア様が生まれる前からハーミット男爵家に仕えているし、ゾフィーも十年以上前にメイドとして採用されて以降、ずっとアレクシア様の専属メイドとしてお傍に控えている。
無邪気に母を慕い、父に懐き、兄の背を追っていたご令嬢には、元々努力家の気質はあった。負けず嫌いと言い換えてもいい。
兄にできるなら自分にもできるはずだと──冷静に考えると、子どもの4歳差は大きいので、セドリック様に敵うはずはないのだが。
5年前に祖父母である先代男爵夫妻とご母堂──アリーシャ様を相次いで亡くされ、その努力家の気質はさらに強くなった。
失意に沈む父ザカリー様を頼るのではなく、ご自身が母の代わりを務めるのだと、屋敷で采配を振るうようになった。
──それができてしまったのが、ある意味で失敗だったのかも知れない。
どこから話を聞きつけたのか、優秀なご令嬢を是非次期商会長の嫁に貰い受けたいとレトラ商会がザカリー様に打診し、気付いたら婚約が調っていた。
どう考えても意に添わぬ婚約であるというのに、アレクシア様は文句の一つも言わず、「お父様が決めたことだから」と微笑んで受け入れ、レトラ商会からの無茶な要求にも努力で応え続けた。
その結果が、今のこの状況。私にできることはなかったのか、悔やんでも悔やみ切れない。
「──私はこの後、領都の屋敷に戻る」
後悔を胸の奥に押し込め、私は表情を整えてゾフィーに告げた。
「ゾフィーはこちらに残り、アレクシア様のお世話を頼む、とセドリック様からご下命があった。あちらのことは気にせず、アレクシア様のことを第一に考えるように。──頼んだぞ」
「はい、お任せください」
ゾフィーは真剣な表情で応えた。
私とゾフィー、出自も年齢も性別も立ち位置も違う。
一つだけ確かなことは──共にアレクシア様のことを心から敬愛し、心配しているということ。
これ以上に心強い味方はいない。私は頷きを返し、領都へ戻るために歩き出した。




