エピソード1「勇者からの伝言・前編」
エピソード1
「はは、信じられねぇ……」
勇者タイスケスの声には、興奮が隠し切れていなかった。
それは無理もないだろう。重い扉を開いた彼らの前に現れたのは、紛れもない宝物庫だった。
松明の火に照らされるのは、黄金製の像や杯。箱を開けば色とりどりの宝石と金銀に輝く装飾品の数々。
王宮の宝物庫にしては広いとは言えないが、四方の壁を埋め尽くす黄金の煌めきは見る者を圧倒するにじゅうぶん過ぎるものだった。
「やったね、タイスケス!」
守護戦士ゼスタシアは感極まった様子でタイスケスに抱き着いた。
「……」
その様子を、聖女ハルマはじっとりとした瞳で見つめていた。
やはり、この二人に出会うのではなかった。このままでは、二人の功績は後世まで称えられ、自分はみじめな敗者として人々から忘れられていくのだろう。
(ごめんなさい)
その言葉を、聖女は寸でのところで飲み込んだ。
謝罪など、偽善だ。これから自分が犯す行為の前では。
興奮状態で財宝に魅入る二人に気付かれないよう、聖女は徐々に後ずさった。彼らが財宝に目を奪われている、今この瞬間しか機会はない。細心の注意を払って、短剣を手に取る。
「ハルマ?」
ゼスタシアが振り返った。さすが、獣人の耳は鋭い。
その瞬間、聖女ハルマは宝物庫の外に跳び退り、扉を閉めにかかった。
「おい!?」
タイスケスの声が突き刺さる。これが彼の声を聞く最後になるなんて。
「さよなら!」
聖女は叫び、扉を閉めた。分厚い石の扉を通して、ドンドンと衝撃が伝わる。だが無駄だ。この扉はしまった瞬間に錠がかかる。それは勇者自身が説明してくれたことだ。
『勇者からの伝言・前編』
「泥棒だ!」
男の叫びは市場の喧騒にかき消されてしまったかのように思えた。
「どっち!?」
だが、その声を聞き逃さなかった青年がいた。
「あっちだ! この子の物だ!」
地べたに尻もちをつき、茫然としている少女がいる。
「君、大丈夫?」
「いいから! 追え追え追え!」
「あ、そっか!」
青年は駆け出した。駆けたというより、真横に跳躍したというべきか。その勢いを見た者は、誰もが放たれた矢を連装したことだろう。
「そら!」
逃げる男はすぐに組み伏せられた。
「暴れんな! 窃盗の現行犯だ!」
「違う! これは俺の物だ!」
地面に押し付けられた男は、革袋を抱えるようにして奪われまいとした。
「嘘つけ! その袋からあの女の子の匂いがするぞ!」
泥棒を抑え込むのは、灰色の毛並みをした犬の獣人だった。三角に尖った耳と長めのマズルに並んだ牙は獰猛な印象を与えるが、澄んだ琥珀色の瞳にはどこかあどけなさが残っていた。
「何が匂いだ! そんなもんが証拠になるかよ! 誰か助けてくれ! コイツ、強盗だ!」
「はぁ?」
泥棒から強盗呼ばわりされ、あっけにとられる獣人の青年。だが――
「おいポディ、ちんたらしてねぇでとっと連行しろや」
そこへ、粗野な言葉遣いに似合わない、甲高い声がした。
「?」
男は声の主がわからず、地べたに押し付けられた顔の代わりに目を必死に動かす。
「どこ見てんだ。ここだよ間抜け」
声の主は、身長50センチほどの可憐な顔立ちの少女だった。背中の翅がかすかにブーンという音をたて、細い体が虚空をふわふわと浮いている。
風精族――かつては妖精と呼ばれた種族の少女だった。クセのある紅色の髪を両サイドでまとめている髪型は愛らしいが、にやにやと笑う口元からはギザギザの歯が並んでいる。
「おうオッサン、その荷物アンタの物だって?」
「そ、そうだ! 俺は泥棒なんかじゃねぇよ! それこの犬野郎が因縁をつけてきやがって!」
「じゃあ、その中身を言ってみろ」
「え……」
青ざめる男。
「や、これはその、借りもんでよ! 俺も中身は――」
「御託はいらねぇ。10数えるまでに中身を言えなければぶん殴る。はいいーち、にーい、あーもう我慢できねえ! 10だ!」
少女の小さな手から炎が勢いよく噴き出した。
「げえ! ちょっと待て! 待て待て待て――」
「爆ぜろバカ野郎!」
……。
一瞬後、そこには白目をむいて失禁する泥棒がいた。
「やりすぎだよ、メリッサ」
「寸止めしてんだろ。コイツの胆がちっせぇんだよ」
そこへ、荷物をひったくられた少女がトテトテと走ってきた。
「はい、取り返したよ」
「あ、ありがとうございます! えっと、犬のお兄さん!」
「……気を付けてね」
ぺこりと頭を下げながら走り去る少女に肉球のある手を振りながら、青年はこっそりとぼやいた。
「狼なんだけどなぁ、俺……」
「威厳が足りねぇんだろ。こんなザコに言い負かされやがって。ほら、さっさとぶち込むぞ」
「……おしっこ臭いなぁ。やっぱやりすぎだって」
「よう、ポディにメリッサ。今度はちゃんと捕まえてくれたんだな」
最初に「泥棒だ!」と叫んだ男がのっそりとやってきた。「うめぇ! 肉!」と書かれた派手な前掛けを着けている。
この泥棒も彼の前掛けに注意していれば、小便を漏らすことはなかったかもしれない。
「んだよ。まるでウチらが普段はコソ泥も捕まえられねぇみたいに言うじゃねぇか」
「そうは言ってねぇよ。いつもコソ泥くらいしか捕まえてくれねぇって言ってんだ。お前ら夜巡り隊はよ」
「悪かったな、穀潰しで」
時計塔の水時計が満ち、鐘が鳴った。正午の合図だ。
「さっきの娘がお礼だとよ。持ってけ。どうせ安月給でろくなメシ食ってねぇだろ」
「あはは、ごっちゃんです」
干肉の塊を受け取り、ひらひらと手を振るメリッサに、泥棒を担ぎながらすまなそうに頭を下げるポディ。
彼らは、夜巡り隊と呼ばれる組織の一員だった。
夜巡り隊とは、この世界における史上最初の警察組織である。
◆ ◆ ◆
「巡回終わったぞ!」
コソ泥を牢屋に放り込んだメリッサとポディが戻ったのは、詰所と呼ばれるほったて小屋だった。
「お帰りー」
そんな2人を間延びした声で迎えたのは、緑色の肌をしたでっぷりと太った巨漢。
頭髪の無い頭の頂点には小さな角がちょこんと生えている。鬼人である。
鬼人の中でも、肥満体系と子豚を思わせる丸い鼻を持つ、豚鬼と呼ばれる種族だった。
「ハーブ茶、入ってるよー」
太った鬼人の青年はブートンという名だった。一般的に鬼人は気性が荒く、他種族との共存を好まない。巨大な体躯にものを言わせた略奪行為を働く嫌われ者が多い中、ふっくらした頬に微笑みを浮かべて学問を好むブートンは異質な存在と言えた。
狼獣人特有の嗅覚と俊足で、逃走犯の追跡を得意とするポディ。
全種族で最も小柄な風精族でありながら、風と炎の魔法を操り凶悪犯の制圧を得意とするメリッサ。
頼りになる巨体と細やかな気配りで、一般市民の相談役を担う鬼人のブートン。
この3人が、水の都とよばれる都市国家「カルキノス」の治安を守る夜巡り隊、北区詰所のメンバーである。
「あ、そうだ」
一同がお茶と干し肉で一服していると、ふとブートンが声を上げた。
「終身執政官から僕ら全員時計塔に来いって言われてるんだった」
「早く言えバカ!」
お茶を噴き出しながら、彼らは詰所を飛び出した。
都市国家カルキノス。
この都市が「水の都」と呼ばれるのは、ウーラ湖という広大な湖の水上に建設されているからである。
湖という天然の要害に囲まれたうえ、都市じたいも四方を城壁に囲まれている。北の城門から伸びる大橋が陸地との唯一の接点であり、この鉄壁の防御力が蟹――カルキノスの由来と言われている。
市民の人口は約3万人。数百あると言われる都市国家の中では中堅どころの規模である。
また、、大橋のより北のウーラ湖畔には、およそ5万人の農奴たちが働く農地が広がっている(この時代、奴隷制は都市国家の社会基盤だった)。湖に流れ込むイソファゴス川をはじめとしたいくつかの河川がもたらす土壌は農耕に最適であり、都市の経済は他所に比べて豊かで安定していた。――その分、常に侵略の危険にさらされているとも言えたが。
そんなカルキノスの最大の名物は、時計塔と呼ばれる建造物である。
それは高さ20メートルにおよぶ巨大な天然水晶でできている水時計と、それを取り囲むようにコの字型に建てられた3階建ての石造り建物だった。
人々はこの水時計に合わせるように生活する。そんな人々の日々の中核を担う時計塔の最上階に居るのが、都市国家カルキノスの実質的な最高権力者。終身執政官クローコスである。
「お呼びっすか、ボス」
執務室に並ぶメリッサ、ポディ、ブートン。表情は三者三様で、メリッサは若干不貞腐れたように顎を上げ、ポディは反対に顎を引いて口元を硬く引き締め、ブートンは眠そうにたたずんでいる。だが、3人とも背筋がピンと伸びているのは共通だった。
「遅かったな」
机の上にピタリと揃えて積み上げられた書類の向こうに鎮座している、シャープに整った顔立ちをした壮年の男性。
淡い金色の長髪と白い肌、そして長く尖った耳は典型的な森人の特徴である。
「特にポディとメリッサ。お前たちの取柄は速さでなないか?」
鋭い眼光はもちろんのことだが、それ以上に眉間に深く刻まれた一本のしわが冷たい威圧感を放っている。
終身執政官クローコスは、小さなため息とともに立ち上がると、本題に入った。
「勇者タイスケスと守護戦士ゼスタシアが行方不明となった話は聞いているな?」
「確か、遺跡の探索に行ったきり帰ってこないんでしたっけ?」
「そうだ。彼らが滞在していた宿屋が言うには、帰還する予定日からすでに10日経っている。食料も尽きて久しいだろう」
「探索に出た冒険者が帰って来ないなんて、いつものことじゃねぇですか?」
メリッサの問いに、クローコスは首を振った。
「勇者となれば放っておくわけにもゆくまい。このカルキノスの面子に関わる」
「つっても、本物の勇者かどうか。――ってか絶対に偽者でしょ。魔王戦争なんてウチらの親のさらに親の代の話っすよ? 平地人ならとっくに死んでるかよぼよぼのジジイでしょうよ」
「獣人なら死んでるね、間違いなく」
けたけたと笑う若者たちを、クローコスは咳払いで制する。
「彼らが本物の勇者であるかどうかはこの際問題ではない。彼らが勇者にふさわしい功績をこの都にもたらしていることが問題だ。半年前にここを訪れてからというもの、彼らはキマイラをはじめ厄介な魔物共を討伐し、遺跡から貴重な宝物をいくつも持ち帰って来た」
深く頷いたのは、学者肌のブートンである。
「恩知らずは都市国家にとってもっとも恥ずべき評である。我々は全力を挙げて勇者を捜索しなければならない。そこで評議会は少数精鋭の捜索隊を組織することになった。お前たちも参加しろ」
「捜索隊て……、ウチら今までコソ泥とか野良魔物しか相手にしてないんすよ?」
「万が一の時に替えが利くのも立派な長所だ」
「……」
ポディの獣人の聴覚が、「いつかブッ殺してやる」という囁きをとらえたが、彼は聞こえなかったことにした。
「で、その少数精鋭というのはどういう人たちなんです?」
取りなすように話を進めるブートン。
「勇者の生存を信じる冒険者と、都市の名誉を守らんとする職業軍人からの志願者たちだ」
「……」
ポディの獣人の聴覚が、「ゴロツキとヒマ人の集まりじゃねぇか」という囁きをとらえた。
「種族は?」
「今回の件には関係あるまい」
「……そりゃ、そうですけど」
この時、メリッサの中にモヤモヤとした嫌な予感がした。
だが、この時の彼女にはそれを明確に言語化することができなかった。
◆ ◆ ◆
北の城門を出て大橋を渡り、農村地域を抜ける。その先にあるのは、未開拓の荒野が地平線の向こうまで広がっていた。
捜索隊は支給された馬車に乗り込み、西の遺跡を目指す。吟遊詩人いわく、そこはかつて旧王国の王宮だった。
勇者タイスケスとその仲間たちの活躍により、魔王戦争に勝利した王国だったが、長きにわたる戦乱は貴族や兵士の間に派閥を産み、やがて内乱により焼け落ちたという。
捜索隊はまる1日かけて荒野を進み、ひと晩野宿した後、早朝から遺跡に足を踏み入れた。
遺跡の地上部分は風化しかけた瓦礫が散らばっているのみだったが、地下には少なくとも3層にのぼる空間があることが判明している。これまで、魔物の巣窟となり果てたこの地下空間を調べる余力は人々にはなく、せいぜい一攫千金を狙う酔狂な冒険者が入り込んでは命からがら逃げかえったり、帰って来なかったりする場所となっていた。
そんな状況にあって、今回の勇者タイスケスと名乗っていた冒険者は、少なくとも自称に釣り合う実力と精神を持っていたのは確かだった。
「何か、拍子抜けするほど順調だな……」
メリッサのつぶやきに異を唱える者はいなかった。
通路の分かれ道には目印が描かれ、罠とおぼしき場所には床に適切な迂回路をしめす矢印が彫られていた。
また、所々に転がっている大型魔物の死骸は、血が抜かれ、内臓が取り出されて腐敗が遅れるように処理されていた。
魔物の死骸の状態から見て、これらが時期的に勇者たちの仕業であることは間違いないと思われた。
彼らの目的が盗掘でないことは明白で、純粋に遺跡を調査し、後に続く者たちのことまで配慮しているのが感じられた。
はじめは軽口をたたき合いながら捜索をしていた一団だったが、しだいに口数は少なくなり、背筋が伸びて行った。
「もしかして、本物の勇者だったんじゃ……」
「――にしては若すぎただろ」
勇者タイスケスと守護戦士ゼスタシアを名乗る冒険者コンビが、都市国家カルキノスを訪れたのは半年前だった。
2人とも、二〇代半ばの若者に見えた。
タイスケスは、体は引き締まっていたが、小柄で色白でどこかひ弱な印象を与える黒髪の平地人だった。普段は物静かだが、話をする時はどこの地方のものにも似ない、独特な訛りがあったという。
ゼスタシアは、相棒とは対照的に小麦色の肌と淡い茶色の髪をした野性的な美女だった。細身ながら鋭く鍛え上げられたしなやかな筋肉をしており、特に発達した下半身からシカのような草食系の獣人と思われた。
「だが、魔王を倒した英雄だぞ? 100年くらい若いままでもおかしくはねぇ」
やがて、2つめの階段が現れた。そのそばには真っ黒な灰が盛り上がっている。
「何だこれ? やけに魔力を感じるな」
「ああ、それは……」
メリッサの疑問に、ベテランの冒険者が得意げに説明した。
魔物を仕留めた際に抜き取った血と内臓は、魔法の炎で浄化するのである。
死骸の肉や皮は動物や他の魔物が食べてくれるが、血や内臓は手早く浄化しないと残留魔力が呪詛化し、一帯が汚染されてしまうのだ。
「3層目まで行ってるな、こりゃ」
ポディの鼻がぴくぴくと動く。
「どうしたポディ?」
「……魔物の気配がする。ほとんどがネズミとコウモリ」
「群れか?」
「いや。密集はしてないし数も多くない。でも……、毒の臭いがする。多分毒蛇」
「こういうときは獣人は便……頼りになるな」
誰かの言葉に、メリッサの片眉が跳ね上がったがそれ以上の反応はしなかった。
彼はきちんと言い直したのだし、これから捜索が本格化することを考えると、仲間割れをするべきではなかった。
階段を下り、慎重に進む。空気がにわかに重くなったように感じられた。
道中、何体かの魔物と交戦したが、ポディの言う通り魔物化して群れをはぐれた大ネズミやコウモリであり、脱落者は出なかった。
「何か、臭くねぇか?」
誰かがそう言った時には、すでに一帯はむせかえるような刺激臭に満たされていた。
「おい! やばくないか!?」
「大丈夫!」
一団に動揺が走る前に、ポディが叫んだ。
「これは魔物の死体の臭いだ! 多分、大型の毒蛇! 毒の臭いもするけど、ガス毒じゃない!」
「ポディは狼だ。臭いに関してコイツに敵うヤツはいねぇ!」
狼獣人の言葉とメリッサの合いの手により、捜索隊は落ち着きを取り戻した。
臭いの原因は3層に踏み込んでしばらくしてから判明した。
「多頭蛇か……」
それは、魔物化した大蛇の死骸だった。
本来、魔物とは体内を巡る魔力が暴走してしまった動植物の成れの果てである。魔物化が進行中の動物が産む子供は大型化したり奇形となることが多く、特に魔物化した蛇からは多頭化した個体が生まれる可能性が高いと言われている。
つまり、多頭蛇はそれほど珍しい魔物ではない。だが、だからと言って油断していい相手でもない。
「死んでるな。間違いなく」
蛇の魔物はすべての頭がカチ割られていた。死後、かなり時間が経っているらしく、周囲の血はすっかり乾いている。
「念のため、近寄らないようにしよう。毒や呪詛が怖いからね」
ブートンの言葉に、冒険者が慌てて飛び退いた。
こっそりくすねようとしていたのであろう、短剣が床におちてチャリンと高い音を立てた。
やがて、彼らの前に重々しい石の扉が現れた。
「コイツの向こうって気がするよなぁ……」
メリッサの力のないつぶやきは、この場にいる者たちの総意だった。
野盗や魔物が横行し、都市国家間の紛争が絶えないこの時代において、この場に居る者で人の死体を見たことがない者はいなかったが、だからと言って好き好んで見たいわけではないのである。
「あ、開けるよ……」
この中で最も膂力があるのは鬼人であるブートンだった。彼が扉に体重をかけると、扉はゆっくりと開き始めた。
「う……っ……」
扉の隙間から、耐え難い死臭が漏れ出してくる。
「まあ、そうだよな……」
メリッサは自分を納得させるように無念を吐露する。この結末は予想できた。
――だが、直後の展開は彼女の予想を超えていた。
「見ろ、金だ……」
冒険者の誰かがつぶやいた。その刹那――
「お宝だぁーッ!」
「なッ?! ちょっと待て――」
「ダメだよ! まずは中を確認して……」
「うるせえ! どけェ!!」
男たちはブートンの巨体を押しのけ、中に殺到した。
◆ ◆ ◆
「――で、宝物庫は荒らされ、中の物は略奪された、と」
終身執政官クローコスの顔に表情は無かった。ただ、眉間のしわがいつにも増して深かった。
「すんません……」
夜巡り隊の3人はがっくりとうなだれた。3人とも、全身が生傷だらけだった。
「遺体が傷つかなかったのはせめてもの救いだな」
もし戦場だったら、戦死者は装備品の奪い合いによって死体がバラバラになってしまうことも珍しくない。
多勢に無勢で勇者たちの遺体を守り切っただけでも、本来彼らは賞賛されるべきだった。
「……ボス」
しばらくして、メリッサが顔を上げた。
「ウチらの失態は認めます。その上で言わせてもらいますが、こうなることは予想できたんじゃねぇですか?」
「どういうことだ?」
「ウチは聞きましたよね。捜索隊の種族。で、ボスは関係ないと言った」
「そうだ。彼らは勇者の捜索という目的のために志願した者たちだ」
「あん時はウチも何でモヤモヤしたのかうまく言えなかった! でも今ならわかる! 平地人の金に対する執着はハンパねぇ! あいつら、金のためなら何でもかんでもお構いなしだ!」
「そんなはずはない。人命救助と都市国家の一員としての栄誉、たかが金細工など比べるべくもない。今回の件についてはもっと別の要因が――」
「無いんですよそんなもん! ウチらもボスも金属が大嫌いな種族だからわかりませんけどね! 平地人は金を前にしたら恥も名誉も無くなるんだ! ――ピンと来いやァ!」
ついにメリッサは床に火球を叩きつけた。
「落ち着け! 魔法はマズイって!」
「そうだよ。ボスが他人の心に疎いのは今に始まったことじゃない」
「ふむ。メリッサの指摘は記憶にとどめておこう。勇者たちの遺体だが、創世教団が引き取りを申し出ている」
「はい。勇者たちが創世教徒だってことは裏が取れています」
「結構。遺体と遺品を教会に引き渡したら、今日はもう休んでよし」
ポディとブートンは一礼すると、まだ怒りの熱が冷めないメリッサをなだめながら執務室を後にした。
◆ ◆ ◆
「勇者様、守護戦士様……。おいたわしいこと……」
聖女ハルマは悲し気に目を伏せ、冥福を祈った。
それは本心だった。
ハルマは両手に創世教の数珠を巻き付けると、両手を祈りの形に組んだ。
3人の夜巡り隊員によって教会に運び込まれた2人の遺体は、魔法で氷冷された後、樹脂をしみ込ませた包帯を巻いて固められた上で、防腐効果のある薬草と腐臭を紛らわす香草が敷き詰められた棺に納められたとのことだった。
「遺体は腐敗が激しいので、くれぐれも激しく動かさないでください」
「心得ています」
状況を説明したのは、太った鬼人の青年だった。教典では凶悪な鬼人の中でも特に醜く卑しい種族と記されている豚鬼だったが、ブートンと名乗った青年の目は穏やかで知的で、子豚を思わせる丸い鼻は可愛らしいとさえ思えた。
ハルマが2人の遺体の前で平常心でいられたのは、もしかしたら彼の愛嬌なる容姿と落ち着きのある声のおかげかもしれなかった。
「お2人は、その、どのような亡くなり方を……?」
ハルマの問いに、夜巡り隊の3人は困惑したように顔をそむけた。
「おそらく、遺跡の探索中に宝物庫に閉じ込められてしまったのだと思います」
「そんな……」
「わかる範囲だと、勇者タイスケスはまず、守護戦士ゼスタシアの心臓を剣で刺したと思われます」
「え――?」
聖女の顔が青ざめた。
「冒険者や傭兵の間では常識なんですよ」
灰色の毛並みをした狼獣人の青年が説明した。
「極限状態になったら獣人を殺せ。俺たち獣人は色々と敏感だから、閉じ込められたり遭難したりした時は、真っ先に精神が壊れちゃうんです。だから、他種族とパーティを組む時から、獣人はそのことを覚悟する」
「あぁ……」
ハルマは腰の力が抜けるのを感じた。自分は、なんて残酷な手段をとってしまったのだろう。
「それから、勇者の手には紙が握られていました」
ブートンは棺の傍らにある小さなテーブルに置かれた遺品を指さした。
「紙、ですか?」
「勇者タイスケスは自分の冒険を手帳に記録していたんです。紙は、その手帳から破り取ったものでした」
それは、とても薄い紙だった。教会の書物でもこれほど薄い紙は使われない。
(あの人は、道具にこだわっていましたね……)
「でも、どうして紙を? 見たところ何も書かれていないようですが……」
「さぁ、そこまでは」
遺品は、彼らが身に着けていた服と革鎧、道具袋。タイスケスの剣と革の表紙の手帳、そして手に握られていた数枚の白紙。ゼスタシアのものと思われる短剣。それだけだった。
「あの……、遺品はこれで全部でしょうか?」
「すんません」
聖女の問いに、リーダー格と思われる風精族の少女がぺこりと頭を下げた。背中の翅でふわふわと浮いていなければ視界に入らないではと思えるほどに小さな体。これは多くの人々の告解を聞いてきた聖女の勘だが、彼女の風精族特有のキラキラ光る瞳には、深い絶望を味わった者特有の色があった。
「遺体は、その、略奪に遭っちまって、遺品も奪われちまった可能性があります」
「そうですか……。でも、皆さんが気に病む必要はないと思います。あなたたちは守ってくれたのでしょう?」
彼らが答えないのは、恥じているのだとわかった。
「タイスケス様とゼスタシア様に代わって、お礼を申し上げます。2人を創世神様のもとへ返していただき、ありがとうございました」
◆ ◆ ◆
教会を出た夜巡り隊は、今もなお重苦しい空気を引きずっていた。
「ああもう! これ以上落ち込んでいてもしょうがねぇ! 切り替えていこうぜ、なあ!?」
「……」
「……」
メリッサの言葉は、他の2人の耳に届くことなく霧散してしまったようだった。
「何だよぉ。聖女様だって励ましてくれたじゃん。嫌味くらい言われるかと思ってたけど、いい人で良かったじゃん! つーか、いい女だったじゃん! 何つーか、儚げでさ、守ってあげたくなるって言うかさ、お前ら的にどうよ?」
「ごめん。ちょっと気になることがあってさ……」
メリッサの空元気を遮り、ブートンは神妙な面持ちで切り出した。
「遺品の中に短剣があっただろ? あれ、すごく気になるんだ」
「あ? 何で? 勇者が剣を持ってたんだから、短剣は女の方の得物だろ? それか勇者の武器のスペアか」
「いや、あの短剣は、武器じゃない。僕もたまに遺跡や洞窟を探索するから知ってるんだ。あれは扉の隙間に挟んで使うんだよ」
「扉? 何で?」
「宝物庫の扉にはちょいちょいあるんだ。勝手に閉まるように細工された罠がさ。だから冒険者はああいう扉を開いた後は、必ずあの手の短剣を扉と床の隙間に噛ませるんだ」
「ただの短剣とどこが違うんだ?」
「全体的なつくりとしか言えないけど……、ああ、そうだ、床に落ちたりこすれたりすると、刀身の振動が鍔や柄の空洞に共鳴して甲高い音が鳴る」
「でも、お前さっき、落としたりこすったりなんかしていなかったぞ?」
「思い出したんだ。遺跡の中で冒険者が多頭蛇の死骸の近くであの短剣を拾っていた。僕が呪詛や毒に触れるかもって言ったら、落として、その時に聞いたんだ。独特なチャリン、って音が」
「……待て」
ブートンの言わんとしていることに、メリッサも気が付いた。
「だとしたら、どうして扉が閉まった?」
「僕でさえ知っていることをあの勇者みたいなベテラン冒険家がおろそかにしているとは思えない。もし、あの短剣で扉が閉まるのを止められなかったとしても、最低でも音は鳴ったはずなんだ」
考えられることは、誰かが短剣を外して扉を閉めた。
そして、短剣が宝物庫の外にあったことから、中に居た2人のどちらかが無理心中を図って短剣を外したとも考えにくい。
「つまり、あそこには3人目の人物がいて……」
「勇者タイスケスと守護戦士ゼスタシアを殺して逃げた」
「――ほう、興味深い話をしているな」
慌てて振り返ると、そこには全身を鈍く光る金色の鎧に身を包み、フードを深めにかぶった女性がいた。
「勇者の捜索をした夜巡り隊だな?」
「誰だテメェ、全裸で都を歩きやがって、連行してやろうか?」
顔を見合わせるポディとブートン。だが、メリッサはお構いなしで続ける。
「火竜族だろアンタ。この都じゃ珍しい種族だから知ってるよ。名前はたしか……、兵団の偉い人だろ」
「私の名前を知っているのではなかったのか?」
よく見ると、彼女の体を覆っているのは金属の鎧ではなく、光沢のある鱗だった。頭にかぶっているフードに見えるものも、細かい鱗に覆われた首の皮の一部がたるんだものである。
本来、火山の火口付近に住んでいる火竜族は、このフード上の皮をすっぽりとかぶることで溶岩の中でも活動できるのだった。
「タメタタピュシカだ。斥候兵団の副団長を務めている。それより今の話だ。勇者は殺されたというのか?」
メリッサは舌打ちをしてブートンのお尻を蹴った。
「憶測だよ……、ただの思いつきで、何の根拠もない」
タメタタピュシカはにやりと笑った。その口にはギザギザの歯が並んでおり、隙間から赤い炎が散った。
「斥候兵団としては今の話は捨て置けない。ちょうど貴様らには我が兵団の者が迷惑をかけたことを詫びるつもりだったのだが……」
「じゃあとっとと土下座して、何も聞かなかったことにして去れ」
「土下座はしない! 聞かなかったことにもしない! 我々は即刻遺跡の再調査に向かう! 任務失敗の汚名を返上し、ついでに貴様たちより早く事件を解決してくれるわ!」
言うが早いか、タメタタピュシカは彼らに背中と長い尻尾を向けて走り出した。背中の鱗は炎のように赤かった。
「待てコラ! タメなんとか全裸女ァ!」
メリッサの顔からさっと血の気が引いて行った。
「これ、やばくね?」
「やばいね、メッチャやばい」
「――そしてポディ、テメェは何でだんまりこいてんだこの野郎!」
話を振られ、ポディの耳がピンと立った。
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「この状況で? 限度があるだろ! あれか、女か! おしとやかな聖女にいかれたか? それともあの全裸痴女か?」
「全裸痴女!?」
「今更探すんじゃねぇムッツリ野郎! ――ってことは聖女か。守ってあげたいか襲ってやりたいかどっちだコラ」
「そういう性的ないじりはよくない」
「うるせえ! すまん! で?」
イライラとまくしたてるメリッサ。こういう時は、自分のペースを保って間をとるのが長い付き合いで体得した対処法である。
「聖女様の臭いが気になるんだ」
「……獣人ジョークじゃねぇみてぇだな」
ポディは頷き、人差し指をくいくいと動かす。顔を近づけた2人に、彼は告げた。
「あの遺跡でも、聖女様の臭いがしたんだ。多分あの人、宝物庫の中にも入ってる」
「何だと?」
「えーっと、それってつまり……」
「創世教団の聖女様が、勇者様を殺したかもしれねぇってことだ」
◆ ◆ ◆
「報告を」
クローコスの鋭い視線が夜巡り隊に向けられる。
一部始終を聞き終えると、クローコスの眉間のしわは深みを増した。
「――つまり、お前たちは勇者が殺されたと見立てたところを、兵団の幹部に聞かれてしまった。兵団は勇者殺しの犯人を突き止めるべく遺跡へ向かってしまった、と」
しょんぼりとうなだれるポディ。その姿はさながら、散歩中に粗相をしてしまった大型犬のようだった。
「だが、お前たちが有力な犯人候補として聖女ハルマに目を付けたところまでは聞かれていない。そこはお前たちが一歩先んじているワケだ」
ポディの顔が少しだけ上がった。
「その後の捜査はどうなっている?」
「勇者タイスケスと守護戦士ゼスタシアについて、酒場や賭博場で聞き込みをしてきました」
2人が都市国家カルキノスに現れたのは半年前。創世教徒だった彼らはまず教会に向かったという。恐らくそこでこの都について教わったのだろう。酒場の一角にある冒険者の組合に顔を出し、喧嘩で実力を示した。
「どちらも滅法強かったそうです。タイスケスは剣技も魔法にも隙が無く、ゼスタシアは格闘が得意だったと」
通常、どの種族も戦闘力に関しては筋力は男性が、魔力は女性が優位と言われている。そういう意味でも、2人は異色の存在感を持っていた。
「その3日後、2人はキマイラの討伐を成し遂げました」
キマイラは、巨大な獅子と山羊、そして蛇の頭を持った魔物だった。いつからかは不明だが、西の遺跡周辺を縄張りとし、収穫期を狙って農村地域を荒らして回る。かつて、兵団を差し向けて討伐を図ったが、失敗に終わった。
「彼らは何年も前からキマイラの生態を調べていたそうです。そして冬の間は遺跡の内部で冬眠する習性を突き止めた。だから冬眠から覚める直前、頭は寝ぼけ、お腹は空っぽの瞬間を狙って仕留めた。彼らはそう語っています」
「……」
「そのころから、彼らが酒場で語るときは聖女ハルマも同席するようになりました。聖女はもともと布教のために酒場を訪れることがありましたから、はじめはそれほど違和感はなかったそうです」
だが、しだいに彼らの間に噂がささやかれるようになった。
聖女ハルマはキマイラを討伐した勇者に興味を抱き、やがてそれは好意に変わっていった。
「でも、勇者タイスケスには、吟遊詩人の伝承にもある通り、伴侶であるゼスタシアがいます。表立った敵対はありませんでしたが、3人の関係は周囲の関心の的になっていたようです」
「つまり、お前たちは聖女の横恋慕がタイスケスとゼスタシア殺害の動機だと考えるわけだな?」
普段、人の心に無関心だと思われていたクローコスが「横恋慕」なる言葉を使ったことに、3人は内心密かに戸惑った。
「そして聖女は、遺跡の探索に出かけた勇者たちを追って、彼らに気付かれないよう単身で遺跡に入り、勇者たちを宝物庫に閉じ込め、1人でカルキノスに帰ったと?」
「や、それは……」
ブートンは困った顔でメリッサを見る。
「聖女が3人目のパーティとして勇者たちに同行したとは考えられませんかね? 確か、教会の聖女は癒しの魔法を使えるはずだ」
近年、魔法に関してはこれまでの火、水、風、雷の4属性に加え、傷や病をいやす「治癒」を加えた5属性説が通説となっている。だが、治癒魔法の使用法については創世教会が資料を独占し、世間からは少なからぬ非難を浴びていた。
「秘匿された治癒魔法の使い手は、勇者たちにとっても魅力的だったんじゃ?」
「私の疑問の半分しか答えられていないな。『行き』はそれでいいとして、『帰り』はどうする? 聖女は1人で遺跡を出て、1人で荒野を抜けたのか?」
「遺跡を抜けることはできたかも。入り口から宝物庫までの道筋は、勇者が整えてくれていた。魔物も駆除された直後でそういう意味では一番安全だったとも言えます」
言いながら、メリッサ自身が自分の言葉を信じていなかった。問題はそこではなく、馬車で丸1日かかる荒野なのである。
これが屈強な豪傑か大魔導士であれば、野盗や魔物の群れに遭遇してもゴリ押しできるかもしれないが、聖女はそのどちらでもない。
「しかも証拠は、ポディの鼻の記憶だけだ。それでは民衆裁判には勝てない」
「……」
民衆裁判。それはカルキノスをはじめ多くの都市国家で採用されている裁判制度である。
主に殺人事件において、被害者遺族や親しい者が犯人と思しき人物を訴え、双方が互いの主張を述べた後、民衆の投票によって有罪か無罪かが決まる。
カルキノスでは、あらかじめ500人の投票者がくじ引きで決まっており、さらに500人の市民が自由に参加できる。
ここで重要なのは、万人を納得させる理論である。
「『獣人の鼻』は知っているな?」
「……うす。裁判において、『獣人の鼻』は証言として認められない」
『獣人の鼻』はたとえ話である。広義には、「少数種族が彼らにしか知覚できないものを証拠や証言とは認められない」という制度である。歴史的に、少数種族は結束が強いため、彼らにしかわからないものを証拠に口裏を合わせられると、彼らに訴えられた者は反証することができないため、この制度が定められた。
獣人の他には精霊族(火竜族や風精族)の魔力探知も挙げられる。
逆に言えば、民衆裁判に勝つには、この地で最も数が多く特殊な感覚器官を持たない平地人をいかに納得させられるかが重要となる。
「無理筋っすね。今回はいっそ未解決に――」
「それはできない」
クローコスの意外な語気の強さに、メリッサは一瞬気圧された。
「この都は狭い。すでに勇者が殺されたらしいという噂は広がっていることだろう」
「つーかもう、酒場はその噂でもちきりでした」
その上、夜巡り隊が勇者と守護戦士、そして聖女の三角関係を掘り起こしてしまったため、噂が過熱するのは時間の問題と言えた。
「こうなったからには、何が何でも夜巡り隊が事件を解決しなければならない。それも民衆が納得する形でだ」
「いっそ、兵団に任せちまえばいいんじゃねぇすか?」
「都の治安を守るのは夜巡り隊でなければならない。兵団に治安を任せることは、魔王戦争の悲劇を繰り返す最初の一歩となりうるのだ」
「いまいち、ピンと来ねーんですけど?」
メリッサは指先でイライラとこめかみを掻いた。
「……ボスの理想はウチも嫌いじゃねぇですけど。実行力が伴ってなきゃただの妄言じゃねーすか?」
ポディとブートンがこっそりメリッサの服を引っ張り、「言い過ぎだ」と警告する。だがメリッサは止まらなかった。
「ウチら、普段はコソ泥の相手か税金の取り立てしかしてねーんすよ? ボスに拾われた命ですから、都のドブさらいでも嫌われ役でも何でもやりますけど、でも……」
言葉が止まった。まただ。言いたいことは喉元まで出かかっているのに、肝心なところで言葉にできない。モヤモヤしたものがメリッサの小さな体に溜まっていく。
「……わかった」
しばしの沈黙の後、クローコスは告げた。
「夜巡り隊に、頭脳をやる。民衆裁判に勝つための力をやる。だが、忘れるな――」
◆ ◆ ◆
聖女ハルマはするべきことを終え、2つの棺の前に座った。
許しを乞おうとは思わない。誰が何と言おうと、これは聖女ハルマにとっての己の存在意義を賭けた戦いだったのだ。
(いいえ、戦いはまだ続いている)
最近、夜巡り隊があちこちで自分たちのことを聞きまわっているという。
もっとも、彼らが何を調べ、噂がどのように盛り上がったところで、自分の地位が揺らぐとは思えない。だが……。
――楽勝だと思った時こそ、全力を尽くせ。本当の敵は、そんな自分の心なのだから――
「そうですよね、勇者様……」
教会の扉が開いた。
「うーす、聖女様」
夜巡り隊の3人が入って来た。そう。戦いはまだ、終わっていない。
ハルマは腕に数珠を巻き、祈りの手を組んだ。
「今日はどうしました? 改宗でしたら大歓迎ですけど」
「んにゃ、今日は別件っす」
メリッサが取り出したのは、終身執政官クローコスの印が入った令状だった。
「実はウチらもよくわかってねぇんですけど、聖女様にこれを見せればいいってボスが」
『教会公認不死人第6番ヴェルヴェーナの再動を命ず。後見者クローコス司教の名において』
(なるほど、そう来ましたか)
どうやら夜巡り隊は――いや、終身執政官クローコスは、この都に正義をもたらす為に手段を選ばないことにしたようだ。
捨てたはずのかつての地位まで引っ張り出して。
「こちらへ」
ハルマは夜巡り隊員を導き、教会の地下へ降りて行った。
「創世教会にこんな地下があるなんて……」
ブートンが感嘆の声を上げた。
「これでも王国時代は国教でしたから。建物だけは立派なんです」
だが、創世教の勢いは魔王戦争中がピークだった。戦後、人々は徐々にかつての四竜信仰に戻り、今では総本山を除けば、人口の3割が創世教徒である都市国家すら珍しくなっている。
そして、ここカルキノスはそんな珍しい都市国家のひとつだった。
「だから、今も創世教徒がでかい顔してるわけか」
「メリッサ!」
「お気になさらず。事実ですから」
過去の栄華にしがみ付く空虚な傲慢さが、どういうわけか若い世代に引き継がれてしまっているのは憂慮するべきであると、聖女ハルマも常日ごろ感じていることだった。
やがて、彼らは目的の部屋にたどり着いた。
そこはレンガの壁と石畳と、暗闇以外に何もない部屋だった。否――聖女が紙燭を掲げた時、部屋の中央に何かが浮かび上がった。その場に居た者は皆、都市国家カルキノスの中心部にある、巨大水晶の水時計を連想した。
「いや、違う。これは……棺……?」
それは、水晶でできた棺としか言いようのない代物だった。その中には、1人の女性が眠っていた。
「彼女がヴェルヴェーナ。この世界に12体あると言われる、教会公認不死人の1人」
ヴェルヴェーナは裸体だったが、首から下の大半は飴色の樹脂がしみ込んだ包帯に覆われていた。
包帯の隙間からのぞく肌は薄い青灰色で、髪は艶のある黒だった。手足のすらりとした長身だが、森人のように目を奪われるほどの均整ではない。多少の混血はあると思われるが、生前はおそらく平地人と思われる。
「これが不死人……吟遊詩人の作り話だと思ってた……」
ブートンが茫然とつぶやく。
「魔王の眷属の中でも、いっちゃんヤベー奴らだって聞いてたが……」
メリッサの瞳に、警戒の光が浮かぶ。
「……」
ポディは困惑したように立ち尽くしていた。
ふと、聖女ハルマは、守護戦士ゼスタシアの他愛もない話を思い出した。獣人は匂いで相手を推し量る。
密封された水晶の棺からはヴェルヴェーナを判断する材料が無いから、不安を感じているのだろう。
(匂い……。そうか、最初に私に目を付けたのは彼か……)
妙な納得感を覚えながら、聖女ハルマは今の自分の仕事に意識を戻す。
「ヴェルヴェーナは魔王戦争を生き抜いた大魔導士だと聞いています。残念ながら、生前の彼女の性格については私も知りません。まあ、クローコス様が後見人なのでそのあたりは大丈夫だと思いますが……」
「ボスだからなぁ……。逆に性格が心配だ。つーか今更なんだけど、教会公認不死人って何?」
聖女はクスリと笑った。
「その名の通りです。本来、一度亡くなった方を蘇らせるのは創世神の教えに反します。特に魔王戦争時代に兵力の補充に使用された不死人を生み出す技術は禁忌とされました。しかし、何らかの事情で――まあ、取り繕っても仕方ないですね、生きていれば教会に多大な利益があるとする方を、司教以上の地位を持つ者が後見人として責任を負うことを前提に不死人として蘇らせた。それが教会公認不死人です」
冷たい水晶に触れる。この向こうに居る存在が、聖女ハルマの運命をどのように動かすか。
「メリッサ様、でしたね。この棺に触れて、魔力を流してください」
「え? 何でウチが?」
「不死人は、ご遺体に血液の代わりに魔力を流して生命活動を強引に再開させた者です。ひと度魔力が通れば、あとはヴェルヴェーナ自身が自分の魔力で生命活動を維持するでしょう。ですが、やはり最初に流す魔力は量も質も良い方がいい。ここにいる者の中では、風精族であるあなたの魔力が最も優れています」
「ウチの魔法は火と風だぞ。大丈夫か?」
「かまいません。魔法をもって棺を破壊すること、それが不死人を再動させる儀式ですから」
「わかった。全員下がってな」
メリッサは小さな手を水晶にかざした。
「なるほど、確かにコイツはちょいと本気でやらねぇとだな」
地下室に突風が起きた。聖女ハルマは慌てて髪を抑える。横凪のつむじ風がメリッサの手に平に集中していく。圧縮された風の塊が見えるようっだった。
「今からウチの言うことをしっかり聞けよ! 床に伏せろ! 口を開けろ! 目を閉じろ! 耳をふさげ!」
「爆ぜろオラァ!」
凄まじい風圧が頭上を吹き抜けた。
恐る恐る目を開けると、そこには爆風のあおりを受けた水晶の破片がキラキラと舞っていた。
その中央に、彼女がぺたりと座り込んでいた。その両手には、メリッサの小さな体が抱かれていた。
「……痛い所はありませんか?」
それが、不死人ヴェルヴェーナの最初の言葉だった。
「あ? 何?」
それが、ヴェルヴェーナに対するメリッサの反応だった。
「はい? 何か言いました? 大丈夫ですか?」
「え? あんだって?」
「?」
聖女ハルマは立ち上がった。爆風の中心地にいた2人の耳に治癒魔法を施すために。




