第八十七話『滾る汚泥』
「ゲッゲッゲッ!」
涎蝗が跳躍する。
そこへ青駕来が紫黒色の光を放つ。
「当たるかよぉ!」
ビュンビュンと飛び跳ね回避する涎蝗。
それに串間兄弟も攻撃を放つ。
「君たちは逃げてくれていい」
そんな二人に青駕来が言う。
「なんだと?」
鞭を振りながら、怪訝な表情で英一が言葉を返す。
「アレは僕が相手をするから君たちはさっさと出ていくといいと言ってるんだ」
「いらねえ気遣いだ」
「気遣い?」
青駕来が鼻で笑うと、馬鹿を見るような目で英一を見る。
「足手まといは消えてくれとハッキリ言わなければ分からないかな?」
「んだとテメェ!」
炎の鋏でバッタを引きちぎりながら英二は視線だけを青駕来に向け激昂する。
「テメェこそ引っ込んでろ! 俺らだけでぶっ殺してやるからよお!」
「やれやれ。身の程知らずもそこまでいくと感心するね」
青駕来の言葉を無視し英二は涎蝗に突っ込んでいく。
「ゲッゲッゲッ! 威勢の良い奴は好きだぜぇ!」
ファイティングポーズを取る涎蝗。
英一が援護射撃的に放つ蛇にはバッタを当て、自身は英一と格闘戦を行う。
手数は四本腕の涎のほうが上だが、英二は炎の鋏を大きくしレンジを広げることで対抗する。
高速で繰り出される涎蝗の拳を二本の鋏でなんとか受ける。
その隙間を縫って炎の尾での攻撃も行う。
「へぇ」
それを見た青駕来はやや感心した様子。
「戦闘経験を積んで多少はマシになったかな? ま、無駄だけどね」
「があああああああああっ!」
「兄貴! クソッ!」
バッタに噛みつかれ、絶叫をあげる英一。
英二はバッタを蹴散らし、駆け寄る。
「兄貴!」
「ぐ……英一……俺を薪にしろ……」
「なに言ってやがんだ!」
「もう俺は助からねえ……やれ!」
「ぐっ! 分かったよ」
英二は英一を丁寧に横たわらせ、尾を刺す。
そして持ち上げ、腹部に出現した口に入れた。
「兄貴……ぜってぇアイツはぶち殺すからよ!」
英二の身体が燃え上がり、巨大な炎の蠍へと変貌した。
「泣けるね」
その一部始終を棒立ちで眺めていた青駕来は言葉とは裏腹の嘲笑を浮かべている。
「ゲッゲッゲッ。もう良いか?」
「ぶち殺してやらぁ!」
英二が猛スピードで突っ込む。
涎蝗は腹部の産卵管をカウンターの要領で突き出す。
「ご……お……?」
産卵管で胸部を突き刺された英二は大量の血を噴き出す。
涎蝗は産卵管を突き刺したまま横に振り、そのまま英二を投げ飛ばした。
「ゲッゲッゲッ! 突っ込むしか能がねえ奴はこうなる!」
「時間の無駄だったな」
高笑いの涎蝗に青駕来がゆっくりと歩み寄る。
「"泥濘れ"」
「ゲッゲッゲッ!」
青駕来から粘性を帯びた紫黒色の光が放たれる。
涎蝗から放たれたバッタたちが光に触れると、ドロドロと腐り落ちていき汚泥となる。
「ゲッゲッゲッ! おっかねえ力だ!」
笑いながらさらに大量のバッタを放つ。
「ちまちまやり合っても無意味だな……」
青駕来は溜息を吐く。
「最初から全力でいこう」
そう言って右手で刀印を組む。
「"掛祀禍終"──"蓮迄溷腐端正"」
青駕来の背後に八つん這いの体勢をとった三面六臂の阿修羅が顕れる。
「ゲッゲッゲッゲッゲッゲッ!」
涎蝗からこれまでで最大量のバッタが放たれる。
「"蓮迄溷腐端正・婆稚"」
腐端正の姿が変容する。
足と六本の腕がなくなり、全身を縄で雁字搦めにされていただるまのような姿に。
そして三つの口から紫黒色の煙が噴き出される。
進軍するバッタの群れはそれに触れた個体から腐り落ちて、汚泥と化していく。
「ゲッゲッゲッ! こりゃマズイ!」
涎蝗は笑いながら、左手で刀印を組む。
「"逆垂加"──"涎蝗凄餐啖嚥"」
涎蝗は逆垂加を発動。
身体が肥大し巨大な漆黒のバッタと化す。
巨大な胴体が縦に裂けて口のようになっており、前額からはさらに細い胴体が生え下の胴体よりも巨大な翅を広げている。
その下の口で煙を吸い込む。
すると涎蝗の身体が青駕来の擬神のように汚泥で穢れる。
「なんだ?」
「ゲッゲッゲッ!」
涎蝗が突撃。
青駕来は腐端正に煙を吐かせる。
涎蝗はそれに突っ込み、そのまま直進。
身体にはなんの変化もない。
「なに!?」
接近する涎蝗。
婆稚の状態では文字通り手も足も出ない。
大急ぎで元の形態へ戻そうとする青駕来だが、
「ひゃあ!」
「ぐあああああっ!」
汚泥で穢れた足で蹴り飛ばされた。
蹴りの衝撃はもちろん、足に付着している汚泥に触れ、左半身が軽く爛れるなど少なくないダメージを負う。
「ゲッゲッゲッゲッゲッゲッ! この状態になった俺は喰ったもんに適応する! お前の力はもう効かねえよ!」
自慢気に言う涎蝗。
勝利を確信しているのか、追撃はせずに青駕来が立ち上がるのを待っている。
「適応……ね」
青駕来は立ち上がると、再び刀印を組む。
「"蓮迄溷腐端正・佉羅騫駄"」
腐端正が再び変貌を遂げる。
六本を腕に刀や槍を携え、足が四本に増えて馬のような下半身に。
そして音速を越える速度で突進。
「うおっとぉ!」
それを軽く跳躍してかわす涎蝗。
音速を越える佉羅騫駄状態の腐端正の動きにも容易くついていけるようだ。
しかし、青駕来が気になったのは別のこと。
「避けた?」
──奴は捕食したものに適応すると言った。それにより攻撃も無効化できる。刀を食えばそれにも適応し無効化できるはず……。
涎蝗の能力を分析する青駕来。
その間にも腐端正が刀や槍を振るうが、涎蝗はそれに防御が回避を行う。
一方で汚泥による攻撃はどちらも行わず無防備に受ける。
「なるほどね……」
腐端正の口から大量の汚泥が放たれる。
「ゲッゲッゲッ! 分からねえ奴だなぁ!」
涎蝗はそれを下の口で吸い込む。
「返してやるよぉ!」
かつて天平にやったように敵の攻撃をそのまま相手に返すこともできる。
涎蝗は自身の霊力も混ぜ合わせ、青駕来が放った以上の威力の攻撃を見舞うつもりだ。
しかし青駕来は笑みを浮かべている。
「"修羅くら"」
「うっ!? んんんんんんんんんんんんっ!?」
突如として涎蝗が悶え苦しみだす。
それを見て青駕来は高笑いをあげる。
「君の適応とやら、同時に一つしか出来ないんだろう? 修羅くらは汚泥を沸騰させる技だ。言うなれば、君の体内には今、マグマが吹き溜まっているわけだ」
のたうち回る涎蝗を見ながら青駕来は得意気だ。
「辛いなら適応したらどうだ? まぁ、その瞬間、修羅くらを解除させてもらうが」
嘲笑を浮かべ言う青駕来。
彼の言う通り、涎蝗は二つ以上のものに同時に適応することは出来ない。
いま自分を苦しめている沸騰した泥に適応したら、青駕来が修羅くらを解除した瞬間に体内から腐り落ちる。
そこから汚泥に適応しても、青駕来はまた修羅くらを発動する。
汚泥を体内に取り込んだ時点で涎蝗は蟻地獄にはまってしまった。
「ヴォエエエエエエエエエエエエエッ!」
汚泥を吐き出す涎蝗。
ボトボトと落ちる汚泥はジューと音を立てて地面を焼く。
「吐き出したいのか? 手伝ってやろう」
一心不乱に汚泥を吐き出す涎蝗に腐端正が斬りかかる。
「ぎゃああああああああああっ!」
袈裟斬りを浴び絶叫する涎蝗。
血とともに汚泥が噴き出す。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
涎蝗はたまらず逆垂加を解除して逃げ出す。
翅を開くが飛ぶことすらままならず、フラフラと走る。
そこへ、
「おらあっ!」
「ぐぼっ!?」
血まみれの英二が現れ、炎の鋏で涎蝗を挟む。
「て、てめえ……まだ生きて……」
「死ねやぁ!」
「や……ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
英二は最後の力を振り絞り鋏を閉じる。
涎蝗は真っ二つに切断された。
「やったぜ……兄貴……」
涎蝗が消滅したのを見届け、英二も倒れ込む。
「はっ。死にぞこないが。おいしいところだけ持っていったな」
そこへゆっくりと歩み寄る青駕来は虫けらを見るような目で英二が死んでいるのを確認し、その場を立ち去った。




