第十章 女王陛下の攻城戦 chapter03
葉桜の宣戦布告に、記者たちは一斉にペンを走らせ「青い封筒」「竜崎検事」の文字をメモに刻む。
裁判長が咳払いし、静粛を求める。
「原告代理人は落ち着いて。しかし意図は確認しました。被告代理人、意見は?」
被告代理人が伊吹聡に耳打ちをする。首を横に振る伊吹。立ち上がった弁護士は、声を低く抑えつつも険しい表情だった。
「裁判長、本件は名誉毀損の訴訟です。刑事事件の公判担当検事を呼ぶのは無関係。国家公務員法の守秘義務にも抵触します。竜崎検事が起訴の正当性を語ることはある意味歓迎ですが、聞いたことのないケースですので……」
混乱する被告代理人をよそに、葉桜は一歩進み出て、堂々と声を響かせた。
「確かに異例でしょう」
彼女の視線が裁判長を射抜く。
「被告・伊吹社長はテレビで『技術一流、経営三流』『経営破綻は避けられない』と発言した。木賊工業の社会的評価を著しく傷つけたその発言が力を持ったのは、刑事起訴という〝お墨付き〟があったからこそ。では、その起訴の背後には何があったのか」
葉桜は声のトーンを一つ上げた。
「当職に届いた捜査側内部からと思われる告発状には『検察の手元には、経産省から届いた〝青い封筒〟が存在する』とあります。そこには『木賊製品は兵器転用の可能性あり』と誇張された記載があった、と。検察がこれを補強資料として扱い、起訴の後ろ支えをした結果、被告の発言が可能となった。この件において、刑事と民事は切り離せませないのです!」
アイビー側の代理人が立ち上がる。
「裁判長! 原告代理人の主張は本件の争点を大きく逸脱するものと考えます」
葉桜は畳みかけた。
「民事は刑事と違い、匿名の告発状であっても公益性が認められれば証拠等に採用できます。重要なのは〝誰が書いたか〟ではない。〝その内容〟が〝どう扱われたか〟です。起訴と被告発言の因果関係を明らかにするためには、竜崎検事の証言と青い封筒の存在が不可欠なのです」
裁判長はしばし沈黙し、やがて口を開いた。
「……確かに異例の申請です。しかし、起訴の経緯が本件の名誉毀損と関連するとの原告主張には一理ある。竜崎薫子検事の証人申請を、許可します——ただし、本人の同意を得ることを大前提とします」
法廷がまたしてもどよめいた。彩花は小さく息を呑み、哲也は安堵の息をついた。被告代理人は「面倒なことを」と天を仰いだ。
「原告代理人は竜崎検事の証拠申出書を速やかに提出すること。不同意の場合、この申請は再検討します」
その言葉に葉桜は動じず、勝ち誇るでもなく、静かに一礼した。席に戻り、澄まし顔で前を向く葉桜に、哲也の方も前をまっすぐ見たまま声だけで話しかける。
「『喧嘩を売ってる』なんてあんな挑発紛いのことを裁判所で……。どうなることかと思ったよ」
「ちょっと言ってみたかったのよ。いやあ冷や冷やした。で、どうだった?」
「最高でした」
法廷が閉じた夕刻。
東京地検の執務室。蛍光灯の白い光が、壁に並んだ黒革の判例集を照らしていた。
原田副部長検事は机に資料を乱暴に置き、薫子を睨みつける。
「竜崎検事が証人申請された? 馬鹿な話だ。民事だろうと刑事だろうと、我々がそのような茶番に付き合う必要はない」
薫子は姿勢を正したまま、静かに答える。
「しかし『本人の同意を前提に』とされる以上、裁判所から私に確認が回ってくるのは避けられません」
「同意する必要はない、これは命令だ。検察官が民事の証人席に立つなど前例がない。国家公務員法第100条の守秘義務もある。応じれば、我々組織全体が上からの信頼を損なう」
原田の声にある種の力が込められる。だが薫子は、その圧力を正面から受け止めていた。
ほんの一瞬、彼女の脳裏に葉桜の鋭い視線がよぎる。「正義を軽く考えないで!」と自分が口走ったあの瞬間。しかしあの弁護士は真っ向から反撃してきたではないか。
「承知しました。組織の判断に従います。そんな怖い顔をなさらないで」
原田はその言葉を聞きつつ、書類を閉じた。胸の内に若干のざらつきを感じつつ。
「分かればいい。これは組織としての決定事項だ、竜崎検事」
薫子は静かに立ち上がり、にっこりと笑った後、一礼した。
その3日後。この日、東京地裁にいたのはひかるだけだった。哲也に頼まれて、民事部窓口に来たのだ。
手元の茶封筒には、木賊工業の名誉毀損訴訟に関する複数の書類が入っている。今後の裁判で、木賊側が何をどう主張するのかをまとめた準備書面と、証拠の一覧表である証拠説明書。つまり竜崎薫子検事への「出てこい」というメッセージだ。次回期日までに提出するよう裁判所から指示があり、哲也が急ぎで仕上げたものだった。
「木賊工業事件の原告代理人、九印法律事務所です。準備書面と証拠説明書の提出です」
事務官は慣れた手つきで書類を受け取ると、中身をパラパラとめくり、朱色の受付印を控えの紙の余白にカシャリと押した。ひかるはそれを大切にしまい、少し肩の力を抜いた。
廊下に出た瞬間、さらに深く息を吐く。普段は裏方の事務作業ばかりだが、こうして裁判の流れに直接つながる手続きを担うと、背筋が自然と伸びる。同時に、かつて自分が闘った民事訴訟を思い出していた。
「民事裁判って、地道に一つ一つ、主張と証拠を積み重ねていくんだよね。四之宮さんとかネットで繋がった友達とか、みんないろいろ助けてくれたなあ」
過去の記憶に浸りかけたその時——。
黒いスーツ姿の女性が向こうから歩いてくる。くっと上がった口角、無駄のない足取り——竜崎薫子、その人だった。




