第七章 ひかりとやみ chapter05
3月14日の午前10時過ぎ。彩花が訪れた先は、第三東京弁護士会館ではなく、九印法律事務所だった。葉桜の姿はなく、哲也が話を聞いてくれた。
「少し整理していきましょう。昨年秋に、木賊工業さんに警察の家宅捜索が入ったところから始まるんですね」
「はい。以前、父は経済産業省で輸出ガイドラインを決める会議にも出てたのに、新しいMTS法が作られて、いきなり『軍事転用できる技術を輸出した、法律違反だ』と」
「それで秋から春にかけて、社員の皆さんが警察で事情を聞かれ、先日、ついに相談役と社長……おじいさんとお父さんが逮捕された、ということですね」
「はい、3日前の朝に。会社では取引先の対応に追われて。昨日、弁護士さんが来て『早めに専門の弁護士に依頼した方がいい』と……」
「警察官から名刺などは受け取りましたか?」
「いえ……警視庁公安七課の早瀬という人の名前は覚えています。事情聴取も、その、犯人と決めつけられて」
「分かりました。3日前……」
哲の表情は少し重い。相談者のテーブルにコーヒーを運ぶひかるは、そのことに気づいていた。事務所のドアが開いたのは、その時だった。
「あら、お客様?」
「ええ、藍原さんが、偶然。で、ちょっといいかな」
葉桜はひかるにバッグを預け「奥?」と無言で執務室のドアを指差した。人差し指と親指を直角に開いた形が美しい。しかし哲は奥へ引っ込まず、彩花とひかるの前で淡々と事件の説明を続けた。相談者を不安にさせないためだ。
「先月ニュースで出てたね、覚えてるわ。逮捕されて4日目? まずい長期勾留に入る! ひかる、バッグお願い! 哲、当番弁護士に連絡後、接見手配! 行ってくる!」
がちゃ! 葉桜は長いシャツコートをひらめかせ、事務所を飛び出していった。
がちゃり。のぞき込む葉桜の顔。
「どこだっけ?」
「原宿署!」
ばん!という音を残し、今度こそ葉桜は扉の向こうに消えていった。
それを見届けた哲也は原宿署への電話を済ませ、彩花に向き直った。
「見ての通り、うちの葉桜が接見に行きました。今日は無料相談という形で気楽に考えてください。ただ、この件は本当に急いだ方がいい」
葉桜の慌てよう、そして哲也の表情を見た彩花はひかるに視線を送った。たった数時間前に会ったばかりなのに、頼れるのは彼女しかいなかった。
「私の時もこんな感じだったよ。この人たちを信じよう、って一発で決めちゃった」
彩花の迷った時間はほんの数秒。
「お願いします。木賊を助けてください」
「全力を尽くします」
無実の町工場。公安、東京地検、そして、世論。九印の苦戦は、哲也にはすでに見え始めていた。
彩花を送り出したひかるは、別件に取り掛かっている哲也におずおずと話しかけた。
「4日目っていうと、検察が勾留を決めたってことですよね?」
「そう。逮捕後48時間、だから3日目には木賊の2人は検察に送られ、裁判所の決定を経て昨日あたり原宿署に戻されたはずだ。腰縄、手錠、無実を訴えている人にとって、これがどれほどのダメージになるか」
「それで葉桜先生は飛び出して行ったんですね」
「浩志さんと治さんがどんな取り調べを受けているか、そしてどう答えているか。それ次第で裁判の行方は簡単に変わってしまうんだ」
「なんて答えればいいんですか? 無実なんだから、あの事情はこうだ、その事情はこうだ、と警察に説明を尽くせば」
「藍原さん、きみは炎上事件に巻き込まれたよね。その時、会社やネット民、テレビ局に『本当はこういう事情なんです』って説明して、伝わった?」
「全然。藍原が犯人だ、と決め打ちで。誰も理解なんて」
「それです。犯人が定まったら、もう決め打ちなんです。それがたとえ警視庁や東京地検が絡む事件であっても」
「そんな。捜査とか、本当のこととか……じゃあ20日間、どうしろと……」
「黙秘。それしかないんです、今の日本の司法では」
「そんなバカな。でも葉桜先生なら戦うんじゃ……」
葉桜先生は原宿署に着いただろうか。哲也は壁の時計を黙って見つめていた。葉桜は、すでに朝の取り調べを終えた治に接見していた。
「木賊治さん。つらい20日間になりますが……黙秘してください」
葉桜も、苦渋の決断をしていた。




