第六章 絶路 chapter04
「よーし、これがあなたの言い分をまとめた調書だ。サインしてくれるか」
この日の締めくくりだ、という気分か、後頭部をさすりながら早瀬が治への書類を提示してきた。
被疑者氏名:木賊 治
年齢:56歳
職業:木賊工業株式会社 代表取締役(逮捕時)
罪名:機微技術管理法違反(無許可輸出)
逮捕年月日:令和〇年3月〇日
弁解の要旨:
被疑者は、令和〇年11月頃、同社が製造した「小型化学反応装置」を、経済産業省の許可なく国内の商社を通じてチェコに輸出したと主張している。輸出先企業がさらに第三国へ転売した可能性については「把握していなかった」と供述——。
「あなたたち木賊工業は、チェコの他数カ国にマイクロリアクターを無許可で輸出した。これが規制に掛かったわけだ。それをまとめてある」
治は理性に霞のかかった状態で、文章を黙読した。「反省の態度があれば」「被害者を生み出す前で良かったじゃないか」という早瀬の物腰柔らかな雑談に集中力が削がれていく。
「被疑者は『規制対象と認識していたものの、誓約書を取る形でコントロールするつもりだった』と主張し、MTS法に違反する行為と知りながら——」
それでも、この一文に目が止まった。
「もっと正確に記録してくれ。私たちの言い分が通ってないじゃないか」
掠れた声の治に対し、自身の優位を信じる早瀬の口調は柔らかい。
「サインしないのか。そうかい、じゃあ『当方の提示した供述調書の記載内容に事実と異なる点があると主張し署名・指印を拒否した』と入れることになるな。裁判所の心証は保証できないからな」
翌日も取り調べは続く。この時点で送検の期限まで残り24時間。
「木賊浩志さん、輸出手続きの実務を担当していたのは彩花さんですね。書類の偽造、虚偽申告……共犯の疑いが出てきます」
江藤が冷静に続ける。
「ただし、あなた方経営者が全面的に責任を認めれば、彩花さんの立場は変わってくるかもしれません。経営者が計画的に不正を行った、というのであればね」
浩志は俯いたまま話さない。というより話せないでいた。逮捕からたった24時間、すでに取り調べは8時間を超え、精神は大きく削られている。
「トクサのリアクターは、度重なる実験の結果、化学反応に耐えた。よくできてますな」
「私と治は輸出管理のガイドラインに沿って……」
「あなた方はガイドラインを熟知していたにもかかわらず輸出に踏み切った。なのに浩志さんにも治さんにも責任がない、そう主張し続けますか?」
「兵器に使えるなんて——」
「じゃあお前の孫も挙げるぞ! ああ!?」
だん! 机の上、調書に手のひらが叩きつけられる。立ち上がる一連の動作だったと言わんばかりに、江藤は浩志の頭上から静かに言った。
「浩志さん、国どころか孫まで売るつもりか? あなたが全部を認めてくれれば、家族にこれ以上の負担をかけずに済むんです。わかりますよね?」
——お前の娘を挙げてやる。別室では、治にも同じことが告げられていた。
「3時間たったか。午後からやり直しにしましょう」
房に戻され、冷めた薄味の弁当が配られる。コロッケ、千切り大根の煮物、言い訳程度の卵焼きが添えられている。
冷めて固い飯……。自分たちはまっとうに働いてきたつもりだ。仕事の合間、昼休みの食事を社員たちと語らいながら……。どうしてこうなった? 逮捕? これが逮捕か? 俺は罪人なのか。味、匂い、温かみの消えた無彩色の世界。治は、涙が止まらなかった。
この場に彩花がいなくてよかった。あの花は、ここではたやすく枯れてしまう——。
1時間ほどの中断の後、木賊の男たちはそれぞれ、取調室にいた。治に相対する早瀬が笑いながら問う。
「さあ、あんたはどうだ。家族を売ってまで言い逃れするのか」
「彩花は関係ない……」
「そうか、関係あるのは自分たちということか。ではこの供述調書だ」
細かいニュアンスまで咀嚼することは、もはやかなわなかった。読み取れたのは、以下のもの程度であった。
供述調書
今回問題となっている機器の輸出に関しては、私、木賊治と相談役の木賊浩志の2人で、最終的な判断を行いました。
私たちは、輸出先や用途の確認について一定の懸念はありましたが「問題ないだろう」と判断し、許可申請を行うことなく出荷しました。当該製品が軍事転用の可能性を含んでいることについて、ある程度の知識や情報は得ていましたが、社内では慎重な議論は行いませんでした。
第三者の意見や専門機関への相談もせず「このくらいなら大丈夫だろう」という判断で進めました。これらの決定は、外部からの圧力や指示によるものではなく、私と木賊浩志の判断に基づくものであり、自社の責任において行ったものです。
親父さんは今ごろサインしてるぞ
息子さんは今ごろサインしてるぞ
原宿署の離れた取調室。自白について2人の木賊は……サインを拒否した。そしてこれが、一つの運命の分かれ道になるのであった。




