第六章 絶路 chapter01
虎ノ門一丁目の高層ビル、13階。公安部外事第七課のオフィスは、今日もブラインドで閉ざされている。無機質なデスクが並ぶ室内は、緊張感と閉塞感が混じり合い、まるで息を潜める爬虫類の巣のようだった。管理官・野添真一は、ホワイトボードに貼られた「木賎工業」の赤い文字を睨みつけている。机の上には、これまで集めた証拠資料と、経産省の藤堂から渡された青い封筒が無造作に置かれている。中には、木賎のマイクロリアクター「TFCR」が神経ガスを前駆体から完成まで一気通貫で生成可能であることを示す、専門性の高い報告書、木賊を国内企業に吸収させることの正当性が書かれていた。
「木賎工業の経営陣、木賎治と木賎浩志。逮捕状を請求する。MTS法違反、軍事転用可能な技術の不正輸出だ」
野添の声は低く、だが確信に満ちていた。警部・早瀬泰久が頷き、書類の束を手に取った。
「実験データは揃いました。TFCRは、特定の酸性条件下で前駆体から危険物を生成可能。深圳の晨星科技集団との取引記録も押さえてあります。政治的にも、タイミングは完璧です」
南波秀樹がパソコンの画面をスクロールしながら補足した。
「晨星科技の資金源の一部が、隣国の投資ファンドに繋がる可能性を示す資料も確保しました。外務省経由の情報です。MTS法第二条第一項の『特定技術の不正輸出』および第七条『機微技術の国外提供・輸出には経産省の認可が必要』の違反に該当するする根拠は十分です」
会議室の隅で、外務省から出向中の補佐官・三原沙耶香が静かに手を挙げた。
「木賎のリアクターは耐久性が低く、兵器用途には不向きです。実験でも、長時間の連続運転は破損に至りました。出どころ不明の青い告発状も信頼性は低い。裁判での立証は難しくありませんか?」
「三原補佐官、裁判は『可能性』を裁く。短時間でも危険物生成のリスクは十分認められた。国民の安全を脅かす『可能性』があれば、公安の仕事はそれを摘むことだ。木賎の技術が深圳に流れた事実は動かしようがない」
沙耶香の脳裏には、木賎彩花の涙に濡れた顔が浮かんでいた。だが七課の空気は、彼女の疑念を許さない。野添は机を叩き、声を張り上げた。
「我々の課の存在意義は、経済安保の盲点を突く『象徴的摘発』だ。準備は整った。私は検察との連携を急ぐ」
その午後、野添は電話を手に取り、家宅捜索の令状の時と同じく東京地検の公安部副部長室へと繋いだ。
「本日、木賊治および浩志について、逮捕状の請求をお願いしたくご連絡しました」
「容疑は固まりましたか?」
「MTS法違反、機微技術の不正輸出の疑いです。木賊のリアクターは神経ガス生成に耐える性能ありと判断しました。深圳ルートへの中継輸出の疑いもあります。経産省からの資料には、特許内容と技術的な説明も。これで逮捕状の請求は十分かと」
「経産省から直接?」
「経産省経由ですが、情報源は不明です。書きぶりから、業界の競合企業、恐らくアイビー工機あたりが関与しているようです。いずれにせよ、木賎の技術が国外に流れた事実は動かせません」
「分かりました。政治判断もありますし、起訴までは私がやりますが公判担当検事は特捜の誰かになるでしょう」
「ただ、この案件の性質上、やや未確定の部分も含まれます」
なるほど、勾留期間で自白を取ることに賭けるか……一呼吸の間があり、原田副部長は言った。
「明日の朝には裁判所に提出しておきます。東京地裁・刑事部。請求先は多田裁判官だ。公安事案に理解があります」
「……ありがとうございます」
電話を切った野添は、深く息をついた。ここから先は、後戻りできない領域だ。
翌日の朝一番、原田検察官は裁判所を訪れた。刑事部令状係の窓口から多田裁判官の執務室に通された原田は、逮捕状請求書を差し出した。
「木賎治、浩志のMTS法違反は、公安の証拠で裏付けられています。マイクロリアクターの技術が周辺国へ流出した事実は、国家安全保障の危機です」
多田裁判官は証拠や青い封筒の報告書を確認し、即日、逮捕状は公布された。




