8-6
一度咳払いし、ジャンが表情を引き締めて続ける。
「マリア様は望んでいないのに、勝手に力が振るわれている。そう思ったら、あの方は何かをせずにはいられなかった。たとえそれが、仇である国のために働くことだとしても、甘んじて受け入れる覚悟ができる人だった」
悲しげな瞳に、深い闇が滲む。声は、いくらか沈んでいるように思えた。
「グランツ様は、噂でしかない呪いを何とかするために、王国に戻られたのです。反逆者となって久しく、戻れば殺されるかもしれないのに、それでもあの国のために働く覚悟を決めたのです。自身が得た呪いを解く力で、一人でも多くの命を救うために」
「……許されたの、グランツは?」
「過酷な罰を受け、それでいて最前線で呪いに立ち向かうことを絶対の誓いとされ、漸く許されたと聞きます」
「聞いたって、あなたは一緒に行かなかったの? あんなに、グランツを慕ってたのに」
マリアが意外そうな顔をし、言葉を震わせながら言った。
ジャンは、悲しげに首を横に振った。
「行けなかったのです。ぼくはグランツ様から、真の解呪の方法を見つけよと、厳命を受けていましたから」
「真の、解呪……?」
首を傾げるマリアに、ジャンが大きく頷いた。
「先ほども申し上げた通り、グランツ様の力は未完成です。そして、不幸を撒き散らすやり方でもあります。それではマリア様を救うことはできないだろうと、グランツ様は薄々感づいていました。でも、別の方法を自分で探す時間はなく、誰かに任せるしかなかった」
「それで、あなたが一人残って、その方法を……?」
ジャンが頷く。その顔には、悲しげな笑みが浮かんでいた。
「グランツ様が去ってから、ぼくは必死に呪いを解く方法を探しました。この村には古い書物がたくさんあり、寝食も忘れて、懸命に探し続けました。時の感覚がわからなくなろうとも、ぼくはずっと解呪の方法に向き合ってきました」
一度ふらふらと歩き回り、何かを思い出すように、ジャンがまた空を見上げた。
「どれほどの時が流れた頃のことでしょうか。この村に、呪われた混血の子どもの話が伝わってきたのは」
ぽつりと呟くように言った言葉に、アリーはジャンではなく、マリアを見つめた。瞬間、マリアと目が合う。驚きに満ちた互いの双眸が、しばらく交わり合った。
「子どもが一つの村を滅ぼした。唐突に豹変し、強力な魔法を操って、村人の多くを血の海に沈めた。これまで大人しく日々を送っていた子どもが突然、滅んでしまえ、と恨みの言葉を吐いて破壊と殺戮を続けた。その様は、かつての魔女のようだった、と伝わってきました」
「わたしが、混血児の中に入って、その体を貰った時……」
やはり、とジャンが目を瞑って呟く。それでも、話の腰を折って自分の思いを吐き出すことはなく、続きを口にした。
「実際、その子どもは魔女に似た容姿を持ち、得体の知れない魔力を有していた。魔女が持っていた、深く歪んだ呪いのような力を。かつての悲劇の再来を恐れた王は、秘かに始末することを決めたそうです。呪いに対抗できるのは、王の近くには限られている。それが、グランツ様でした」
「グランツが……」
「多くの時が流れ、既に老齢となられていたグランツ様でしたが、思うところあってその子どもを秘かに始末しました」
ですが、とジャンは肩を落としながら言葉を続けた。
「一人を殺めても、事は治まらなかった。またいくらか時が経つと、同じように魔女に似た何かが現れた。多分マリア様が、次の混血児の体に乗り移っていたから」
そうですよね、とジャンが悲しげに言うと、マリアが黙って頷いた。
マリアは、何度も魔力の強い混血児の体に乗り移り、そのたびに宿り主を死に追いやった。アリーがかつて潜った意識の世界で相対したドクロの群れが、そのなれの果てであるから間違いない。それに、アリーが共有している記憶にも、マリアが混血児の体を奪っていった事実が、朧気にだが残されている。
「マリア様の呪いは、たった一人でどうこうできるものではない。グランツ様は、多分そう判断されたのでしょう。だからこそ、己の力を子息に受け継がせ、魔女になりかけた混血児を始末し続けた」
「そんなことができたの?」
「相当の苦痛を伴うそうですが、可能だと聞いています。ただ、強大かつ未完成の力は、能力を引き継がせる際に命さえも渡しかねない。故に、一族の長は死の間際に子息へと力を受け継がせたそうです」
――それって、もしかして。
納得して頷いていたアリーだったが、ふとあることに気づいて愕然とした。グランツは、ラインハルトの家名である。彼が本当にラルバの一族ならば、その力を受け継いでいる可能性がある。仮にそうでなくても、父親がその身に力を宿しているかもしれない。
――もしもそうだったら。
その父親が、アリーを襲ってくるかもしれない。そうなったら、ラインハルトはきっとアリーを守ろうとし、父親が相手でも牙を剥くだろう。多分、互いに手は抜かない。家族で殺し合うなどという悲しいことが、目の前で起きてしまう。
顔から血の気が引いた気がしたが、ジャンは気づかないのか、変わらない口調で話し続ける。
その間、アリーはどうすればいいのかをずっと考え続けた。話の半分を聞き流しながら、思考を巡らした。
「死ぬ前に、絶対の言いつけを彼は遺した。グランツ様の一族が王命がなくても、呪われた混血児を殺めるように」
言葉を切り、ジャンが目を細める。その双眸が、束の間鋭い光を放ったように見えた。
「一時の罪と、今は耐えよ。呪われた混血児を殺めることは、呪いを奪うのと同義である。魔女が現れたらその呪いを引き受け、魔女を助けよ。……そう、己の力と共に、使命を受け継がせたそうです」
その言葉に、マリアがハッとする。
「もしかして、わたしが時々正気を取り戻すことができたのって……」
「グランツ様の一族が、呪いの一部を奪っていったのだと思います。でも、やはり大地の呪いは強すぎた。奪っても奪っても、あなた様を縛り続けている。あなた様を救うには、やはり奪うだけでは足りないのです」
そんな、とマリアが声を引きつらせる。悲しげな顔をさらに歪めて、悲痛に満ちた声を絞り出すようにして言葉を継ぐ。
「じゃあ、徒労だったの……? グランツがしてくれてたことは、無駄だったの……?」
「いいえ、そんなことはありません。グランツ様を始め、代々の方々があなた様の呪いを奪って下さらなければ、意識は永遠に失われていたでしょう。もしそうなっていたら、この国はもう存在していない。ぼくが解呪の方法を探す時間さえ、得られなかった」
「そっか……」
少しだけほっとしたのか、マリアの顔に微かな安堵が浮かんでいた。
「……そういえば、どうやって今の時代まで生きたの? 禁断の魔法って、何なの?」
思い出したように言ったマリアに、ジャンが寂しそうな笑みを見せた。
「自分の意識を、魔力が尽きるまで肉体から切り離す。この魔法は大地の生命力を目いっぱい借りて発現した、呪いのようなものです。ぼくは自前の魔力とその呪われた力によって、自分を意識だけの存在にして、長い時を生きたのです」
「どうして、そんなことを……?」
「グランツ様との約束を、何としても果たすためです」
きっぱりと言い切ったジャンの顔には、これまでに見たことがないほどに強いものが浮かんでいた。
「グランツ様は苦しみながらも、魔女になりかけた子どもを手にかけてきました。ぼくが、解呪の方法を見つけると信じて。その思いに、ぼくは応えなければならない。たとえ、二度と生きた肉体に戻れなくても」
「で、でも、もし見つけたとしても、わたしがここに来ないかもしれないし、またこの世に現れるかはわからなかったんだよ? どうしてそこまで」
「ぼくは、可能性を信じたんです」
マリアの言葉を遮るように、ジャンがはっきりとした声で言った。
「この村で解呪の方法を調べている時に、魔女に似た者の逸話を見つけたのです。ぼくたちが生きていた頃よりもずっと大昔に、魔力に冒された人が蘇ったという話が。ぼくは、それを信じた。異質となったぼくのことに気づいて、マリア様が訪ねてくれるのを信じたんです」
そして、その日が訪れた。ジャンが清々しい顔をしながら、声もなく笑った。
マリアはそれでも何か言いたそうだったが、その前に、アリーは先に口を開いた。
考えは、もう纏まっている。
「見つけたんだね、ジャン」
アリーの言葉に、ジャンが笑みを消して小さく頷く。マリアは信じられなかったのか、驚愕を満面に張り付けながら、アリーとジャンを交互に見ていた。
「はい、アリーさん。ぼくは、見つけたのです。いや、見つけたというのもおこがましいか。ぼくができることは何もないし、何よりもこの方法でいいのか、正直ぼくは悩んでます」
「いいよ、聞かせて。あなたが見つけた、私にしかできない、唯一の方法を」
唯一であることをずばり言い当てられたからか、一瞬ジャンが驚いたような顔をしたが、それもすぐに引き締まり、ゆっくりと解呪の方法を語り出した。
紡がれる言葉に、マリアが小さく声を上げる。しかし、アリーは一切動揺しない。父と別れたあの時から、そういう方法になるのではないかと薄々感づいていた。
その方法を受け入れれば、マリアを永劫とも思える苦しみから解き放てる。そして、ラインハルトに降りかかる悲劇も回避できる。
「それしかないの、ジャン……?」
マリアが目を見開きながら、絞り出すようにして言った。
悲痛に満ちたマリアの眼差しに耐えられなかったのか、ジャンは瞳を伏せてただ頷いた。
マリアもまた、俯いた。ただ、下を向けた顔は全く納得していなくて、それでも無理やり受け入れようと歯を食い縛っている。マリアは頭がいいから、この方法しかないのは理解している。しかし、気持ちがそれを受け入れたくないのだろう。
そんなマリアを、ジャンを慰めるように、アリーは精一杯微笑んで見せた。
「そんな顔しないで。私、嬉しいんだ。こんな私でも、誰かのために役に立てる。それって、とても素晴らしいことなんだよ?」
「アリー……」
今にも泣きそうな顔をしているマリアだったが、二度、三度と顔を横に振ってから、ぎこちなく笑みを返してきた。多分、まだ納得していないのだろうが、アリーの気持ちを尊重してそんな風な表情を浮かべたのだろう。
そのマリアにもう一度笑みを向けてから、次にジャンへと目を向ける。ジャンは顔を上げていて、寂しげなものを顔に浮かべながらアリーを見つめてきていた。
目が合ったジャンに、アリーは深々と頭を下げた。
「ありがとう、ジャン。私、頑張るから」
「いえ、こんな形でも役に立てたなら、本当によかった。でも、ごめんなさい。あなたに、辛い役目を押し付けることになって」
アリーが首を横に振るよりも、寂しげな言葉が空に消え入るよりも早く、眩い光が眼前から発せられる。驚いたアリーが慌てて顔を上げると、ジャンの体が、唐突に淡い光に包まれているところだった。ただでさえ薄い体の色がさらに失われ、体の輪郭もぼんやりとしたものになってきている。
「ジャン!」
事態に気づいたマリアが、ジャンに駆け寄ってはその体に手を伸ばす。しかし、その手はすり抜け、虚しく空を掴むばかりだ。
満面に悲哀を浮かべたマリアが、辛うじて見えるジャンの顔を見つめる。とめどない涙で頬を濡らし、それでも笑みを浮かべた顔がそこにはあった。
「今日になって、ぼくは漸く願いが叶った。あなた様にお会いし、伝えるべきことをあなたたちに託した。もう、思い残すことはありません」
「ま、待って、ジャン!」
今にも消えてしまいそうなジャンの体に手を伸ばし、何度空を掴もうが、マリアは諦めずにその手を伸ばし続けている。
「消えないで、ジャン! もっと、わたしと一緒にいて! お願いだから、わたしを置いて行かないで!」
とめどない涙を振りまき、響き渡るあまりにも悲痛な叫びも、ジャンは拒むように力なく首を横に振って答えた。
「ぼくの時間は、じきに尽きます。いや、もうとっくに尽きているんです。大切なことを伝えるためだけに、無理やり今まで生き永らえたんです。でもそれも、今日で終わりです」
ジャンの体から、さらに色が失われる。姿かたちも、もうほとんど把握できない。けれど、まだ顔だけはぼんやりとだが見える。
涙を流しながらも、精一杯笑顔を作ろうとしている、ジャンの顔が。
「ずっと、寂しくさせてごめんなさい。辛い思いをさせてごめんなさい」
震える声で言ったジャンが、涙を拭ってにこりと微笑んだ。
「大好きでした、マリアお姉ちゃん」
その言葉が聞こえなくなるのと同時に、ジャンの姿が消えた。淡い光は何度か明滅し、やがて周囲の色に溶け込んでいく。
マリアがジャンの名を呼び、その光に慌てて手をやるも、そこにはもう何もなかった。それでもマリアは、何もなくなった場所に手を伸ばし、力いっぱい抱きしめるようにしていた。
アリーは、何も言わずにマリアを見守っていた。声を上げて泣き叫ぶ彼女に、気が済むまでそうさせた。
マリアの近くで、古老が座ったまま項垂れているのが、ふと目に入った。その体に命はなく、既に事切れているのは、確かめなくてもわかった。




