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私を忘れて  作者: 千変万化
八章 「さよなら」
99/125

8-7

 重苦しい空気の中、アリーは庵を後にした。

 しばらく喚くように泣き、涙を流していたマリアも、漸く気持ちに区切りをつけたのか、庵を離れることを促してきた。心配で顔を覗き込んだら、もう大丈夫だから、と強く言ってきたため、アリーはその言葉に従って来た道を戻ることにした。

 大分長く話していたからか、いつの間にかお昼時になっていた。ひんやりとしていた朝の清々しい空気は知らないうちになりを潜め、今は動くと少し暑いくらいである。

 戻る間、アリーはマリアを慰めようと一生懸命話したが、小さく言葉を返してくるばかりで、会話にならない。それだけ、ジャンとの別れはマリアの心に重くのしかかっているのだろう。

 アリーだって、悲しくないわけではない。記憶を共有しているから、マリアの辛さは自分のことのように感じる。しかし、その痛みは結局はマリアのものだ。なんだかんだ言っても、アリーとマリアは違う人なのだ。

 疲れたから眠る。一方的にそう言って、マリアはアリーの中に引っ込んでしまった。それを引き留めることはせず、アリーは黙って受け入れた。ただ、自分ではマリアを慰められなかったと思うと、無性に悲しかった。

 溜息を吐きながら、さらに道を戻る。いつの間にか、村の真ん中にある広場の近くまで来ていた。

 お昼時だからか、そこかしこから美味しそうなにおいが漂って来る。そういえば、昨日から何も食べてない。そのことを思い出したが、不思議と今はお腹が空いていなかった。

「待って貰えぬか、魔女様」

 広場を通り過ぎようとした時に、長の落ち着いた声が背中から追って来た。

 アリーは足を止め、声の方へと振り返る。神妙な面持ちをした長が、ゆっくりとこちらに向かって来るところだった。

 やがて間近まで迫り、長は足を止めてアリーと向き合った。相変わらず歓迎されていないのか、放つ雰囲気は刺々しい。

「何か、ありました?」

 その雰囲気に押されながらも、アリーは努めて平静を装い、穏やかな口調で問いかけてみた。長は軽く首を横に振ったが、依然として難しい顔のままだ。

「少し、話がしたい。わしの家まで、お越し願えぬか?」

 抑揚のない声で、長が言った。しかしその言葉に、何故か悲しみのようなものが含まれているように感じて、アリーは無意識のうちに頷いていた。

 長がゆっくりと踵を返し、アリーはその後を着いて行った。途中での会話はなく、長の家に着くまで気まずい雰囲気は続いた。

 やがて、少し大きめの家に着くと、中にある奥の小ぢんまりとした部屋に通された。部屋の中には長机といくつかのイス、あとは書棚が置いてあるだけである。おそらく、誰かと話し合いをするための部屋なのだろう。

 長が先に座り、イスを指さしながらアリーに座るように促す。少し緊張しながら、アリーは長の正面に座った。いつ用意したのか、机の上には水の入った木の椀が二つ並べられている。

「あの、それで何か?」

 遠慮がちに聞いてみたが、答えはなかった。長は顔をしかめ、少し言いづらそうに口を何度か開閉させるばかりである。少し待っても、それは変わらない。もう一度、あの、と声をかけると、意を決したのか長は目を見開き、訥々と語り始めた。

「本当ならば、この日が来ないほうがよかったのかもしれん。魔女様に抱いていた思いと、向き合うこともなかったであろうから」

「思い?」

「そうだ。魔女様の理想。それが本当に尊いものだったとは、本当はよくわかっているのだ。我ら混血児にとっては、希望そのものと言ってもいい。ただ虐げられるしかない同胞に、希望の光を当てるものだったと、わしは思っている」

「希望? あんなに、たくさんの命を奪ってしまったのに?」

 思い返すだけで泣きたくなってくる、酷過ぎる所業。平等と言う空虚な偽善を振り上げ、その実、ただ復讐するためだけに悪逆の限りを尽くさせた、儚い願い。それをいたずらに抱いたが故に、結果としてマリアは長きに亘る苦痛を余儀なくされた。

 尤も、アリーとしてもその願いをできるだけ否定したくはない。しかし、過去のことがあるだけに、手放しで受け入れることもできなくなっていた。

 だが、長の思いは違うのか、首をゆっくりと横に振った。

「たとえ血濡れた結果を生んだとしても、その理想は混血児にとっては、再び灯った希望だったのだ。おぬしが魔女様ならば、かつてのアルベール王が望んだものを知らぬわけはあるまい」

 当然だと言わんばかりに、アリーは大きく頷いた。人間族も魔族も、混血児さえも平和に暮らせる国にする。ジードの望んだその理想は、なんだかんだ言って得難いものであったのには変わりはなかった。

「居場所を失くし、生きることさえ許されない同胞たちの、最後の拠り所。アルベール王の遺志を継ぎ、立ち上がった魔女様は、まさしく残った希望だったのだ」

 長の言葉が、徐々に熱を帯びていく。興奮してきたのか、顔に少し赤みが差してきていた。

「わしのご先祖様は、魔女様に仕えていた。魔女様の下で、反乱軍として死力を尽くして戦っていた。あの方ならば、我らに再びの居場所をもたらしてくれる。そう信じていたが、わしのご先祖様はある危惧も抱いていた」

「危惧を?」

「うむ。魔女様は人を惹きつけたが、あまりにも苛烈だった。その烈しさのために、いずれ災厄を呼び寄せてしまうのではないかと、ご先祖様は恐れた。反乱軍が瓦解し、この村に逃げて来た時も、その危惧は拭えなかった。そしてそれは、この村でもそうだった」

 一度言葉を切り、長が俄かにお椀へと手を伸ばす。余程喉が渇いたのか、なみなみと注がれていた水は瞬く間に長の口の中へと消えた。

「居場所がなく、このような所でひっそりと暮らさねばならぬ混血児にとって、魔女様の理想は尊いものであったが、同時に危険でもあった。獰猛な獣が住まう森の奥ということもあって、ここは曲がりなりにも平和だったのだ。その平和が、魔女様によって崩されることを、何よりも恐れた」

「どうして? 反乱軍が瓦解した時には、もう魔女はいなかったんだよね?」

「そうだ。だが、意志は残っていた。国を覆すという危険極まりない意志は、まるで植物の種のように、この国の各地に蒔かれていた。当然、それを見逃すほど、この国は甘くはない」

 苦り切った顔で、吐き捨てるように長は言葉を継いだ。

「魔女様の下に集った反乱軍は、講和からしばらくした後に、討伐対象となったのだ。その指揮を執っていたのは、かつてこの村で解呪の法を体に宿した、ラルバ・グランツ。奴はこの村から忽然と姿を消したかと思えば、いつの間にか国の犬になり下がり、数多の人間を殺し回ったのだよ」

「えっ」

 思いがけない名前を耳にし、アリーは小さく声を上げた。

 それに構わず、長は話を続ける。

「我らのご先祖様はそれに怒り、また恐怖した。反乱軍は混血児が多く、ラルバはその者たちを特に仕留めていった。このままでは巻き添えを食ってしまう。そう思ったご先祖様は魔女様の理想に惹かれながらも、敢えてそれを否定し、外界との接触を絶った。決して人を入れず、決して人を出さず。村の形の大本を、お創りになられた」

「だからこの村は、人を、魔女を拒絶するんだね」

「そうだ。この小さな村を世界の全てとし、外から来る者をみな敵とし、それで平和を得られるならばと肯んじた。そうしても、嫌でも魔女様の復活の噂は伝わって来る。否定したはずの淡い理想に心揺さぶられることがあっても、無理やり抑え込んだ。自分たちを守るために、心を閉ざした」

 だが、と長が机を両手で強く叩き、勢いよく立ち上がる。その音に驚き、アリーはびくりと体を震わせたが、長の悲痛に満ちた顔を目にした時、その驚きもどこかへ消えていた。

「わしは、本当はこんなことを望んではいない。魔女様がなしたことも、巫女様であった頃の理想も、わしは受け入れてしまいたいのだ。外界と通じ、人との繋がりを取り戻し、希望ある未来を掴みたい」

 声を極力荒げずに言った長だが、告がれた言葉には圧倒する気迫が籠っている。眦は決し、瞳は鋭い光を放ち、顔は元の色がわからないくらいに紅潮している。アリーが知っている感情にその様はなく、ただただそれに呑まれ、怯えるばかりだ。

 アリーの怯えを感じ取ったのか、長が目を瞑って一度息を吐き、ゆっくりと腰を下ろす。再び開かれた双眸にはさっきの光はなく、今にも消えそうな弱弱しいものが宿っているばかりだ。

「……とはいえ、それも叶わぬことだろう」

 溜息と共に吐かれた声には、気迫のようなものは微塵も残っていなかった。

「今、この国で何が起きているか、魔女様はご存知かな?」

「えっと、私が国に追われてることぐらいしか」

 自信なさげに、アリーはそう答えた。

 これまで逃げるのに必死で、情報収集をする余裕などなかったから、仕方がないと言えばそうなる。唯一腰を落ち着けられた村でも、歓待されるばかりで何も聞けなかったし、何よりも次の朝を迎える前に、その村は滅んでしまった。

 そうか、と長が肩を落としながら呟く。

「ここに来るのに、ためらいがないわけだ。世情に通じておれば、わしらの態度にも合点がいったであろうが、そうであるならば仕方がなかったか」

「どういうこと? この国で、一体何が起きてるの?」

「それはな」

 一瞬ためらい、苦い顔をした長だったが、やがて意を決したのか、訥々と語り出した。

「魔女を探し求めると共に、各地で混血児が捕縛されておるのだ。捕縛されるだけならば、まだよい。奴らに捕らえられた者は、その日のうちに有無を言わさず殺されている」

「そんな」

 それだけを絞り出すのが、アリーには精いっぱいだった。頭の中は、長の言葉がぐるぐる回るばかりで、うまく考えを纏められない。

 嘘であってほしい。ちらりと願ったその思いは、長の次の言葉に容易く砕かれた。

「これは、紛れもなく本当のことだ。村は外界と接触を絶っているとはいえ、何も知らぬのでは村を守れぬ。故にわしは、情報だけは欠かさず集めるようにしておるのだ。確かな筋からの情報だから、この事は間違いなく現実に起きている」

「どうして、そんなことが?」

 恐る恐る聞いたが、本当は聞かなくてもアリーにはわかっていた。ただそれを、自分の想像で結論付けたくなかった。

「王は、魔女を恐れているのだ。過去の反乱を、魔女の呪いを恐れ、その同族たる混血児の命を奪うことで禍根を絶とうとしている」

「私の、せい」

 わかっていたが、誰かから答えを聞いても、辛いものは辛かった。かつてのマリアが生きているだけで周りを苦しめてしまったように、自分も今、魔女であるが故に無関係の命を危険に晒している。

 顔が青褪めていくのがわかるが、アリーは気を強く持った。悲しみ、嘆いたとしても、その現実が変わらないことぐらいは知っているつもりだ。

 ――私が、どうするべきなのかも。

 自分が取るべき道は、もう決めている。この村に入った時から、その意思は固めていた。

 アリーの顔色に気づいた長が、一度水を進めてから、言葉を継ぐ。アリーはほんの一口だけ、水を飲んだ。出されてから少し時間が経っているが、水はまだひんやりと冷たかった。

「おそらく、魔女様を捕えぬ限りは、この非道は続くであろう。国中を探し回り、混血児全てを葬り去ろうとするであろう。そうなれば、いずれこの村にも害が及ぶ」

 そう口にした長が、力なく項垂れた。今にも机に顔がついてしまいそうなほどで、表情は全く見えない。

「……この村は、平和なのだ。誰からも干渉されないことで、平和を保ってきたのだ。わしは、それを崩したくない」

 長は顔を上げず、そのまま言葉を続ける。

「魔女様の目指した真の平和を、望まないわけではない。だが、わしには守るべき者がいるのだ。何があろうとも、守らねばならぬのだ」

 ゆっくりと、長が顔を上げる。その顔は、いつの間にか流れていた涙に濡れていた。

「……魔女様には、できる限り早く出て行ってほしい。この村で過ごす混血児が、これからも平穏に過ごしていくために」

 冷たい言葉だが、それを拒む気など、アリーにはさらさらなかった。

「わかってるよ。私だけは、今夜にも出て行く。私がこの森に入ったことは、追手にばれちゃってるもの。このままここに居座ったら、きっとみんなに迷惑がかかっちゃう」

 寂しげに笑いながら言うと、長はまた俯いた。未だに流れている涙が、机に何度も落ちては黒い染みを作っていく。

 そっと立ち上がり、アリーは長の近くまで歩いていく。それに気づいた長が、涙でくしゃくしゃにした顔をこちらに向けてきた。

「ちゃんと出て行くから、一つだけ、お願いしてもいいかな」

 アリーの言葉に答えるように、じっと長が見つめてきた。

 その目を、アリーはしっかりと見つめ返した。自然と涙が零れ出し、視界が歪んでいたが、構わず向け続けた。

「ラインハルトは、まだ傷ついてる。あの人だけは、このままいさせてほしいの」

 答えはなかった。少し考えているような素振りはあるが、長の口から言葉は出てこない。

 それでも構わず、アリーは言葉を続けた。

「私には、あまり時間は残されてないと思うんだ。私が私であるうちに、全部を終わらせなきゃいけない。けれどね、それにラインハルトを巻き込みたくないの」

 本人には決して言えないことだと思いながら、アリーは話を続ける。

「私が無茶をすると知ったら、ラインハルトはもっと無茶をすると思うんだ。あの体でそんなことをしたら、本当に死んじゃう」

 だから、と一度言葉を切る。いや、こみ上げてきた涙が、無理やり言葉を切らせる。寂しさが、辛さが一遍に押し寄せてきたが、それら全てを押し殺し、アリーは言葉を継いだ。

「だから、ラインハルトのこと、よろしくね」

 その言葉がちゃんと心に届いてくれたのか、長は一度だけ頷いてくれた。

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