8-4
独りぼっちになって、アリーは溜息を吐く。ラインハルトの言うことはわかるし、時間を無駄にできないのは事実だ。しかし、来たこともない、それも歓迎されていない場所で一人きりなのは、やはり心細くてならない。こういう時こそ一緒にいたいのに、呼びかけてもマリアはへそを曲げたままで、出て来ようとしない。
「何だか、寂しいや」
声に出して呟いても、誰かが応えてくれるわけではない。
「大丈夫、お姉ちゃん?」
そう思っていたら、思いがけない方向から声がかけられて、アリーは小さく声を上げ、体が大きく跳ね上がるほど驚いてしまった。
飛び出してしまいそうに高鳴る胸を抑えながら、アリーは振り返る。アリーの反応に驚いたのか、目を丸く見開いた子どもたちがそこにはいた。男の子四人と、女の子三人。多分皆、これから成長していくだろう年頃くらいか。
「びっくりしたなぁ。お姉ちゃんって、結構怖がりなの?」
先ほどの少年が、目をぱちくりさせながら聞いて来る。
「う、うん。私、臆病なんだ。ちょっとしたことでも、驚いちゃうの」
「へえー。キレイなお姉さんなのに、子どもっぽいところがあるんだね」
少し背が高い少女が、意外そうな顔をして言った。
「きれい? 私が?」
「うん。だって、そんなキレイな髪色は見たことないし、お顔だってついついみとれちゃうわ。ねえ、そう思わない?」
一緒にいる二人の女の子が、大きく頷く。男の子も、照れたように顔を赤くしながら遠慮がちに頷く。だが、喋っている女の子が、あんたたちには言ってないわ、と強く言うと、男の子たちはばつが悪そうに笑った。
褒められたアリーは、無性に恥ずかしくて仕方がなかった。子どもが相手とはいえ、面と向かってそう言われた経験はあまりない。顔が熱くなるほどに動揺し、思わず両手で覆ってしまうほどだ。
その様がおかしかったのか、子どもたちからは笑い声が上がった。指の隙間からその様を見て、アリーは心が穏やかになるのを覚えたが、やはり恥ずかしさは消えなかった。
――だけど、うまく打ち解けられた。
思いがけないことだったが、子どもたちとちゃんと向き合えたことは、アリーにとっては大きかった。これから、アリーの質問に答えてくれそうな人を探さなければならなかったのだ。その必要はこれでなくなったし、子ども相手だったら少し話しやすい。かつて、王都にいた時の経験が、ここに来てちゃんと活かすことができそうだ。
「ねえ、みんなに聞いていいかな?」
笑い声がやんでから、アリーは子どもたちを見回しながら言った。
「ここって、どんな村なのかな?」
「この村は、混血児だけが住まう村だよ」
少しだけ目つきの鋭い男の子が、真っ先に答えた。その鋭さとは裏腹に、声には優しげな響きが含まれている。
「混血児だけ、なの?」
「そうだよ。ここは、大昔から混血の人しかいないんだ。どうしてかは大人たちはまだ教えてくれないけど、とにかくこの村には人間族も魔族もいないよ」
「どうしてなのかな?」
「僕が思うに、この村は外の世界と隔絶してきたんじゃないかな。混血児には居場所がなくて、平和に暮らすにはひっそりとした世界で生きるしかなかった。そんなところだと、僕は思ってるんだ」
少し自信ありげに、その男の子は言った。
案外間違っていないようなその言葉に、アリーはちょっと感心した。見たところ、アリーより二つか三つしか違わない気がする。少なくとも同じ頃の自分は、母の死に塞ぎ込んで、何かを考えるのをやめていた。
「すごいでしょ、こいつ?」
助けた男の子が、まるで自分のことのように胸を張って言った。
「ぼくたちの中で、一番頭がいいんだ。たくさん本も読んでるし、考えるのも得意なんだよ」
「そのせいで、近くしか物が見えないんだけどね。この子の目つきが悪いのはそのせいよ、お姉さん」
「よ、余計なことは言わなくていいだろ? それに、僕はそんなに目つきは悪くないぞ」
「はいはい。わかったわかった」
女の子のあしらうような言葉に、また笑い声が上がる。アリーも少しおかしくて、つられて笑ってしまった。
笑いながら、アリーは子どもたちのことを考えていた。
――こんな所でも、この子たちはまっすぐに生きてるんだ。
外界と隔絶し、人との交流が絶えた、閉鎖的な空間。好奇心旺盛な時期であるだろう子どもたちには、それは辛いものであるはずなのに、彼らからはそういったものが微塵も見えない。どこまでも明るく、希望に満ちているその心は、傍で見ているには眩しすぎる。
からかわれていた男の子が一度咳払いし、とにかく、と仕切り直した。
「この村は閉鎖的だけど、平和であるのは間違いないよ。大人たちは人嫌いで誰も入れたがらないし、外の世界に興味を示さないけれど、争いは極力避けようとしてる。だからこの村には、揉め事とかは殆どないんだ」
「だけど、時々退屈になるんだ。変わらない日々に、嫌気を差すことなんかしょっちゅうだよ」
別の男の子が、口を尖らせながら言った。細身で、他の子より頭一つ背が高い。
「でも、僕らはそれを受け入れてる。こんな窮屈な世界が僕らの全てだけど、それでも外と比べたらずっといいんだ。外の世界では、混血児に居場所がないみたいだから」
「うん、そうだね」
自身の境遇やこれまで出会った人たちのことを思い返しながら、アリーは頷いていた。
否定したくても、できない現実はある。どれだけ拒絶しても、それは自分の心の中だけであり、実際に起きていることがなくなるわけではない。
だからこそ、アリーは何も偽らずに肯定した。まっすぐなこの子たちに、嘘の知識を与えたくはない。
そして、それをちゃんと汲んでくれたのだろう。子どもたちは、意外そうな顔もしなければ、その答えに何も返そうとはしなかった。
話題を変えようと思って、アリーは少しだけ考える。すぐに、別の話が頭の中で閃いた。
「そういえば、どうして魔女のことを聞いたら、みんなは驚いたの?」
「ぼくたちには、よくわからないんだ。長様は、魔女様は人々を襲うとても恐ろしい方だとしか、教えてくれなかったから」
「古老様が長様や他のみんなにそう教えたんだって話を、僕は父さんから聞いたよ」
助けた男の子が首を捻って言ったのを、鋭い目の男の子が付け足すように言った。
「古老様」
呟き、長が言ったことをアリーは思い返す。
呪いを解く方法は、古老がよく知っている。もしもそれが本当ならば、その人は一体どのような方法を教えてくれるのか。気になるが、同時に知るのは怖かった。
知ってしまえば、自分が想像する結末を、肯定してしまうことになる。
――でも、どんな方法だろうと、待ち受けるものは多分変わらない。
何であろうと、迎える結末に変わりはないだろう。そうは思っても、やはり怖いものは怖かった。
しかし、それをおくびに出すことはない。折角和やかに過ごしている今を、台無しにするわけにはいかない。
「その古老様って、どんな方なの?」
不安をしっかり押し込め、穏やかに微笑みながら、アリーはそっと聞いてみた。
「えーとね、いっつも寝てばかりの、変わったおじいさんだよ」
「もう長くこの村にいるそうで、僕たちのお爺さんが子どもの頃も、古老様は今のようなお年寄りだったそうです」
「髪も髭も伸び放題で、目元も耳も口の周りさえも、毛むくじゃらよ。だけど、不思議と声はちゃんと聞こえてるみたいだし、聞いたことにははっきり答えてくるの。不審な耄碌爺さん、ってわけじゃないみたい」
ちょっときつい言葉に、アリーは困ったように笑った。他の子どもたちは、顔を引きつらせてその女の子を見ている。
何気なく言ったつもりなのだろう、女の子は全く悪びれた風がない。しかし、自分に注がれる視線があまりいいものじゃないのは気づいているようで、首を傾げながらアリーを見てきた。
「お姉さん、わたし、変なこと言ったかな?」
「そうだね。ちょっとだけ、失礼なことを言っちゃったかもね。気をつけなきゃダメだよ?」
「うーん。そんなつもりはなかったんだけど、気をつける。これじゃ、わたしが悪い子みたいでいやだもん」
「大丈夫だよ。あなたに悪気があったわけじゃないのは、みんなわかってるから」
頬を膨らませて不機嫌そうに言う女の子の頭を、アリーは優しく撫で上げる。ちゃんと手入れされているだろうその背中まである紅い髪はサラサラしていて、触っているととても気持ちがよかった。
聞きたいことを聞き終えて、それからは夕餉になるまで子どもたちと他愛ない話を続けた。
いつもどんなことをして遊ぶのか、この子たちはどういう子なのか、この辺ではどんな生き物が見られるのか。何でもない世間話だったが、それはとても久しぶりのことで、アリーは時間が経つのがあっという間に感じた。
日が暮れ始め、子どもたちが自分の家に帰っていくと、アリーは診療所に向かった。
「……いい子たちだったね、アリー」
その最中で、マリアがそっと隣に現れ、声をかけてきた。さすがに、もう拗ねている感じはない。
「そうだね。私、王都のみんなを思い出したよ」
「王都にも、ああいう子たちがいたの?」
「うん。たくさんの子どもたちがいたよ。いつも私が本を読んでいると、読み聞かせをしてほしいってせがまれたっけ」
王都で過ごしていた日々を思い返して、アリーはとても懐かしい気分になった。
実際は、ふた月そこらしか経っていない。しかし、ここまでの旅はあまりにも濃密で、何倍もの時が流れたような錯覚に陥っている。もう何年もみんなと会っていない。アリーはそんな風に感じていた。
「……また、会いたい?」
マリアがためらいがちに言った言葉に、アリーは首を横に振った。それ以上の答えは返さず、マリアもさらに聞いて来ることはなかった。
何となく話しづらくなって、そこからは互いに無言のまま診療所に行った。
診療所ではまだ処置が続いていて、アリーはその家の一室を借りて休むことにした。薬のにおいがあちこちから立ち上ってきていて少し辛かったが、次第に慣れた。
ラインハルトの手当てが終わるまで、部屋のベッドに座って待っていたら、アリーはいつの間にか眠ってしまっていた。目が覚めた時には掛け布団にくるまっていて、ベッドの上から遠くの空に昇り始めている朝日を見ていた。
アリーはゆっくりと起き上がり、身支度を整えると、すぐに古老がいるという庵を訪ねるために外へと出た。ラインハルトのことは気になったが、もしも治療していたら邪魔になるから、敢えて声はかけなかった。
人里から離れた森の中だからか、広がる空気はとても澄んでいる。あまりに気持ちよくて一度深呼吸すると、気持ちが落ち着いたからか、アリーのお腹が小さな音を立てた。慌ててお腹を押さえ、辺りをきょろきょろと見渡すが、誰もいない。
誰にも聞かれていない、とほっとしかけたが、すぐに小さな笑い声が聞こえてきて、アリーはすぐに顔が熱くなった。
「気が抜けちゃった、アリー? でも、仕方ないか。昨日から、何も食べてないもんね」
くすくすと笑いながら、マリアが隣に現れた。いじわるな、いたずらっぽい笑みを浮かべている。
「もう、からかわないで。ラインハルトだって、きっと食べてないもの。私ばっかり、食べたりするわけには」
言いかけの言葉を遮るように、お腹がまた小さく鳴ってしまい、アリーはお腹を押さえて俯いた。マリアが、また笑っている。あまりにも恥ずかしくて、異様に熱くなった顔を両手で隠しながら、アリーは足早に庵へと向かい始めた。
マリアが待って、と声をかけるが、アリーは気にしないで歩き続ける。と言うよりも、恥ずかしくて誰の顔も見られなかった。
「ごめん、アリー。からかいすぎたよ。だから、口を利いて」
マリアが少し涙声になっていることに気づいて、指の隙間からちらりと横を見る。案の定泣きそうになっているマリアが、アリーを潤んだ瞳で見つめてきていた。
アリーは一度頷いてから、顔を覆っていた手をどけた。まだ顔は熱くて、きっと赤くなっているだろうが、それでもマリアをしっかり見る。
「こんなこと、もういやだからね?」
「うん。ごめんね」
素直に頭を下げるマリアに一度笑みを投げかけてから、アリーは庵を目指した。
日が少し高くなった頃に、アリーは庵の姿を視界に捉えた。
庵の近くまで来ると、そこの前でぼんやりと座っている老人の姿を見つけた。老人の紅い髪は小柄な少年ほどの長さがあり、眉と髭は伸び放題で顔を覆っている。まず間違いなく、話に聞いた古老だ。すぐに近寄ろうとしたが、その隣でお世話をしているだろう人が見えて、思わず身を隠してしまった。何かを話しかけているようだが、古老は反応する風もなく、ぼんやりと空を見上げるばかりだ。
いつものことなのか、その人が一度溜息を吐くと、足早にどこかへと去って行った。
一人きりになっても、古老は空を見上げ続けている。時折何かをぶつぶつ呟いているが、アリーの耳をもってしてもその言葉は聞き取れなかった。
「不思議な人。でも、なんでだろう。何だか、懐かしい気持ちになってくる」
古老を見ていたマリアが首を傾げる。アリーも同じ思いを抱いていたが、理由がわからず、彼を見ているだけではマリアのように首を傾げることしかできない。
意を決して、アリーはその古老に近づいた。警戒させないために、フードは前もって外してある。
アリーが目の前まで来ても、始め古老は、何も気づいた風がなかった。
「初めまして。私は、アリーと言います。あなたは、この村の古老様で間違いないですか?」
アリーがぎこちなく挨拶すると、眉に隠れていた目が、じろりとこちらに向いた気がした。
「おお……」
古老の口から小さな呻き声が漏れ、眉から姿を現すほどに目が大きく見開かれた。何度か小さく呻くと、古老は老人とは思えないほどの素早い身のこなしで立ち上がっては膝をついた。
突然のことに何が何だかわからず、呆然と見つめることしかできないアリーに、古老は深々と頭を下げる。
「本当に、この日が訪れるとは」
ぽつりと、古老が呟く。そして、がばと頭を上げ、涙に濡れる顔でアリーを見つめながら、言葉を継いだ。
「ずっと、お会いしたかった」
嗚咽が混じり、一度言葉が切られる。流れ続ける涙を古老は乱暴に拭い、それでも止まらない涙で瞳を潤ませながら、口を大きく開いて言葉を続けた。
「……マリア様」
嗄れた声で古老がはっきりとそう言って、アリーは思わずマリアと顔を見合わせた。




