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私を忘れて  作者: 千変万化
八章 「さよなら」
95/125

8-3

 こういった敵意を向けられるのは、何度目だろうか。

 この旅を始めてから、幾度もそういうことがあった。だからだろうか、アリーは悲しい気持ちにこそなりはするが、激しく動揺することはなかった。

 ただ、ラインハルトは少し違うらしく、素早くイデアルから降りると、ふらついた足取りながらも剣に手をかけ、低く身構えた。村人たちもその姿勢に反応し、俄かに殺気立ってくる。

「ダメだよ、ラインハルト。力じゃ、何も解決しない」

 ラインハルトの傍に寄って、右の袖を引きながら、アリーはそっと囁くように言った。ラインハルトは尚も村人を睨みつけていたが、剣からは手が離れた。

 村人たちは、それでも警戒心を解かない。特に最前列の男たちは槍を構えたままで、放ってくる殺気はさらに強まっている。

 その人垣が、不意に割れた。真ん中から頭髪の薄い老人の男が、杖を突きながら歩み出てきた。気づいた若い男たちが、槍を天に向けて直立し、老人に向けて一礼する。その様子から、この老人が長のような人物なのだろう、とアリーは思った。

「おぬしら、ここに何用か。この村は、滅多に人が近づくことはない。もしも迷い込んだというのであるならば、案内を一人つけてやる。早々に、ここより立ち去れ」

「違うよ。私たちは、迷い込んでなんかいない。ここに用があって来たんだ」

「ならば、尚更受け入れられん。人間の言葉など、信じるに値せん。人間など、二度と信用する気はない」

 冷たい双眸に暗い光を宿しながら、長は吐き捨てるように言い放った。

 あからさまな拒絶に怯みそうになったが、アリーは怯える心を奮い立たせて、何とかその瞳を見つめ返した。アリーだって、ここで引き下がるわけにはいかない。

「せめてラインハルト、この人だけでも入れて貰えないかな? 酷いケガをしていて、ちゃんとした手当がすぐに必要なんだ」

「人間ごときがどうなろうと、知ったことではない。どこぞで、勝手に野垂れ死ねばよいのだ」

「そんな。そんなこと、言わないで」

 あまりにも冷たい言葉に、アリーは胸が妙にざわつくのを感じた。いや、正確にはマリアの魔力、と言うべきだろうか。意識が表に出るようになったとはいえ、アリーの体は魔女のそれと合わさっているのに等しい。感じる思いだって、共有できてしまっていた。

 ふと視線を右にずらすと、怒りで顔を真っ赤にしたマリアの姿が見えた。握られた両手の拳はわなわなと震え、体も心なしか、小刻みに揺れている。

「マリア、抑えて」

 頭の中で、アリーはそっと囁く。身体を共有しているために誰にも聞かれずに話せるから、こういう時は便利だ。

「わかってる、わかってるよ。だけど、見逃したくない。同じ混血児なのに、あの人の理想を否定するようなことを言うのは、許したくない」

 マリアの魔力が、少し澱んでいくのを感じる。抑えている呪いが滲み出し、マリアの心を汚していくのが手に取るようにわかる。

 このままではまずい。内心で少し焦り、アリーは人目も憚らず魔力を解放した。頭に思い描いたのは、人の心に少しの余裕をもたらすこと。その思いに応えるように、眩い白い光が数瞬の間、辺りを照らし出した。

「こ、これは!?」

 長の驚いた声を筆頭に、村人の動揺した声がさざ波のように立つ。

 やがて、光が視界から消えた。

 マリアの魔力の乱れは、何とか落ち着いていた。ただ、村人たちを見たくないのか、知らないうちにマリアはアリーの中に引っ込んでしまっていた。

「な、何だったのだ、今のは……!」

 首を傾げて辺りを見回していた長が、アリーと目が合った途端に絶句した。驚きのあまり手から杖は離れ、鈍い音を立てて大地に落ちた。

 その様に異様なものを感じたのか、村人が怪訝な顔をしてアリーに顔を向けてくる。途端に、人々がざわつき始め、その場は騒然としだした。

 魔女。何が何だかわからないアリーの耳に、その言葉が鮮明に聞こえた。ハッとして頭に手をやると、被っていたはずのフードはしっかりと脱げていた。銀と赤の混ざった異様な髪色が、惜しみなく彼らの前へと晒されている。

「お、おぬしは、魔女様であったのか……!?」

 震える声で、長が何とか声を絞り出した。

 戸惑いながらもアリーが頷くと、長は人目も憚らずに狼狽え始めた。

「だったら、尚のことだ! 魔女様を、村に入れるわけにはいかん。帰ってくれ、この村のためにも、帰ってくれ!」

「どういう、こと?」

 戸惑うアリーをよそに、長はただ動揺して帰れと言うばかりだ。その様が異様で、さすがに村人が止めようとしていたが、聞く耳を持たない。

 どうしようもなくて困り果て、アリーはラインハルトをちらりと見る。ラインハルトは、諦めたように首を横に振った。アリーは肩を落とし、少し寂しい思いを抱きながら背を向けようとした。

 その時、

「入れてあげてよ、長様」

 思いがけない言葉と共に、無数の小さな影が、村人たちをかき分けて現れた。

 高めの子どもの声に、誰もがそれのした方へと目を向ける。狼狽える長の真後ろで、何人かの子どもが必死な面持ちで立っていた。その中に、先ほどアリーが助けた少年がいる。

 子どもにしては、随分と落ち着いた声音である。そのためもあってか、長はいくらかの落ち着きを取り戻し、子どもたちに向き直った。

「な、何を言っておる。この村の掟を、忘れたのか? 誰も、この村には入れてはならぬ。そう厳しく教えたであろう?」

「うん。でも、このお姉ちゃんは、さっきぼくを助けてくれたんだ」

「な、なに? いや、しかしだな、その人は魔女様であって、物凄く恐ろしい方なのだぞ?」

「えっ、でも、狼を話すだけで追っ払っちゃうすごく優しい人なんだよ? そんなお姉ちゃんが、ぼくたちに酷いことをするなんて思えないよ」

 ねっ、と周りの子どもたちに少年が言うと、次々に賛同する無邪気な声が上がった。

 刺々しいものを孕んでいた村人たちの気配は、あっという間に毒気が抜かれたようなものになり、どうすればいいのかわからないと言ったように困惑していた。皆が皆、縋るように長へと視線を注いでいる。

 その長も同じように困り果てながら顔をしかめていたが、観念したのか一度息を吐き、アリーへと向き直った。

「……おぬしらは、何をしに来たのだ? 聞くだけは、聞こう」

 長の言葉にアリーはラインハルトと顔を見合わせ、互いに戸惑いながらも大きく頷いた。アリーが一歩前へ進み出て、長に言葉を返す。

「この騎士の手当てと、私が知りたいことの手がかりを見つけるため。ここに来た目的は、その二つだよ」

「知りたいこと、とな?」

「うん。呪いの魔力を、解く方法を」

「なっ!?」

 長が驚きで声を上げ、もう一度、場がざわつき始めた。子どもたちだけは何のことかわからず、ただきょとんとしている。

 驚いた顔をしていた長が、長く伸びた髭を手で弄びながら、思案顔を見せる。しかしそれは長くはなく、少しも待たずに溜息と共に消えた。

 代わりに浮かんだのは、さっきと同じの何かを諦めたような顔だった。

「……仕方あるまい。少しの間だけ、この村にいることを許そう。だが、できるだけ早く、出て行ってほしい。そう、その騎士の手当てが終わり、動けるようになったら即刻去ってくれ」

「待って。呪いを解く方法は? その間に見つからなかったら、どうすればいいの?」

「そこは案ずることはない。この村に住まう古老がよく知っているはずだから、聞けばすぐに知ることができよう。だが、今日はもう眠っておられる。話すのならば、明日の朝だな」

「眠ってる?」

「そうだ。もう、明日まで目は覚まさぬ」

 ふと、空を見上げる。森の中とは違って頭上の枝葉は切り払われていて、空の色がよく見える。未だ日は高く、日暮れはまだ少し先だと思えるのに、もう眠っているというのはなかなか信じがたい。

 ただ、嘘を言っているようには見えなかったから、アリーは黙って頷いた。折角入れて貰えることになったのに、いらざることを言って藪蛇になってしまっては、本末転倒だ。

 長が村人に解散を命じ、ざわざわと声を上げる村人たちがあちこちに散らばっていく。子どもたちもその雑踏に紛れてどこかに走って行き、あっという間に姿を消した。

 ぼんやりと立っているアリーとラインハルトに、長が着いて来るよう促してきた。

 イデアルを引きながら、アリーはラインハルトと共に長の後を追いかける。

 やがて、ある小ぢんまりとした家屋の前に案内された。

 家は窓が開け放たれていて、薬の苦いにおいがツンと鼻をつく。時々、自然と涙が出てしまうような、目に沁みるものも漂って来ていて、ここが医師の住まう場所だというのは何となく察した。

「ここが、村の診療所だ。そこの騎士、ラインハルトと言ったか。傷を見てもらうよう、わしが口添えするから着いて来い」

 ラインハルトを一瞥し、長はすぐさま診療所の扉を開けてさっさと中へと入ってしまう。ラインハルトが苦笑し、近くにあった木製の柵にイデアルを繋いでから、ゆっくりとその背を追っていく。

 扉に手をかけたところでラインハルトが立ち止まり、優しい笑みを湛えながら振り返った。

「アリー、少し時間がかかるかもしれないから、好きにしてもらって構わないよ。僕に付き添って、時間を無駄にする必要はない」

「えっ、でも」

 アリーの心配を、首を横に振って否定し、ラインハルトは少し真剣な顔をした。

「君には、大切なことがあるんだろう? それも、疎かにしては駄目だよ」

「わかった。ありがと、ラインハルト」

 少し寂しげに言ったつもりだったが、ラインハルトはそれでも笑みを浮かべて頷き、扉の奥へと消えていった。

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