8-1
薄暗い森の中を、白馬のイデアルがゆっくりと歩いていく。
その背には手負いのラインハルトと、付き添うようにアリーが乗り、イデアルの隣を魔女のマリアがふわふわと宙に浮かびながらついて来る。
レヴィアの襲撃を退け、ラインハルトの傷を何とかするために村を目指してから、大分時が経った。
とはいえ、まだお昼をいくらか過ぎた頃なのだが、伸びるに任せて伸び放題の木々の枝葉は、頭上を覆ってしまいそうなほどに広がっている。陽の光はあまり届かず、時折吹き抜ける風が木漏れ日を差させる程度だ。
馬上から見える光景は、ほんの少しずつしか動いていかない。ラインハルトを気遣ってか、イデアルは一歩一歩をゆっくりと噛みしめるように進めている。のんびりとした牛の歩みよりもそれは遅く、アリーが長い話を終えても、思ったより先に進んでいなかった。
アリーが過去に起きた話を終えてから、少しの間は皆、言葉もなかった。
覗き込んだラインハルトの顔は目を深く瞑り、眉間に皺を寄せたままであり、マリアははっきりと思い返してしまった過去に、顔を俯けて大粒の涙を流して泣いていた。アリーはその二人を、ただただぼんやりと見ていることしかできなかった。
アリーとしても、過去のことは胸に突き刺さっている。マリアと記憶を共有しているから、彼女みたいに泣きたい気持ちにもなる。しかしそれは、やはり自分のものではなくて、アリーは去来する思いをどうすればいいのかわからず、持て余していた。
誰も何も言わず、イデアルの規則正しい足音が、何よりも大きく聞こえるほど、静かな時が流れていった。
「……少し、気になることがあるのだけど」
荒い息を吐きながらラインハルトが口を開いたのは、それからまた少し経ってからのことだった。
ラインハルトの言葉に、マリアが反応して顔を上げた。もう泣き止んでいるが、目の周りは真っ赤で、少しだけ腫れたようになっている。
「君たちの、過去に関わっていた、ラルバ・グランツの、ことなんだ」
ラインハルトが、少し苦しそうにしながら途切れ途切れに言う。やはり傷が重いのか、顔は青白く、額には脂汗が浮いている。
あまり喋らないで、とアリーは言えなかった。そのことは、秘かに気になっていたことでもあったからだ。
「グランツのことが、どうかしたの?」
何も気づいていない風のマリアが、小首を傾げながら言った。
「僕の古い先祖に、ラルバの名がある。僕の家の名は、グランツだから、多分その人に違わない。そう思うのだけれど、解せないんだ」
「……何が?」
さすがに不審に思ったマリアが、表情を曇らせた。
「僕の家は、代々リチャード陛下の王家に仕えている。ラルバの代から、ずっとね。でも、君たちの話を聞く限り、ラルバは国から離れ、マリアに従い、さらには呪いを解くために、君の許も離れた。なのに」
言いかけたラインハルトが右手で口を押え、二度、三度と咳をする。一度、何かを吐き出したような鈍い音が鳴り、アリーがハッとして覗き込むと、ラインハルトの右手は紅く汚れていた。
アリーは声もなく驚き、マリアもまた同様にしていた。口を揃えて大丈夫、と問いかけると、ラインハルトは青い顔に苦笑を浮かべながら頷き返してきた。
ラインハルトは何かを言おうとしているが、荒く乱れた息が邪魔をしてなかなか言葉が出てこない。アリーは心配しながらも、ラインハルトの口が動くのを待った。
「……どうしてラルバは、王家に仕えていたのだろう?」
ひと際大きく息を吐いてから、ラインハルトが意を決したように言い切った。
ふとした疑問に、また誰もが言葉を失う。
ラルバ・グランツ。かつての王、ジード・アルベールに仕えた王国騎士団長で、ジード亡き後は魔女となったマリアに付き従い、数々の凶刃を振るった男。そして、呪われたマリアを救うべく、解呪の方法を聞きつけてマリアの許を去った人。
記憶の中のラルバは、卑怯とは縁遠い人物だった。打算も野望もなく、ひたすらに誠実で、しかし少し真面目過ぎるきらいがあった。
だからこそ、信じられなかった。あれほどマリアのために尽くしていた人が、国を倒すことを肯じた人が、元の鞘に収まっているなど思いたくなかった。
しかし、どう足掻いても覆せない事実である。ラインハルトはそのラルバの子孫であり、グランツの家は代々王家を守っていると言う。疑いようもなかった。
「……どうしてなんだろ、グランツ。どうして」
寂しそうに呟くマリアは、また泣き出していた。それでも、声まで泣き声で満たしてはいない。
「わたし、知らないや。グランツが、あの後どうしていたのか。辛くて、知ろうともしなかった」
涙を目にいっぱい浮かべたマリアが、ラインハルトの顔を覗き込む。ラインハルトはあまり動じず、ただ目っ直ぐにその目を見返している。
「ねえ、あなたの家には何も伝わってないの?」
「残念だけど、ラルバのことについては、名前以外は。僕の家のことは、家督を継ぐ時に、一緒に伝えられるんだ。僕はまだ継いでいないから、父さんから何も教わっていない」
「そう……」
残念そうに俯きながら言ったマリアは、見るからに落ち込んでいた。
「本当に、どうしてなんだろ? 何か事情があったのかな?」
アリーが問いかけてみても、誰も何も言わない。それぞれがそのことについて考えているのか、二人とも難しい顔をしていた。
いくら待っても答えがなくて、諦めてアリーもまた考え事をした。ただ、頭の中に浮かべたのは、自身の魔力のことだ。
レヴィアを退けた時に発現した、アリーの魔力。大切なものを守るためにと強く願うことで発現した、マリアとは真逆の力。
――あの時は、無我夢中だった。
ラインハルトが止めを刺されてしまいそうな時、アリーは自分に守る力があれば、と願った。それまではレヴィアを止めたい、何とかしたい、もしくはラインハルトを救いたいなど、どこか攻撃的な願いばかりだった気がする。
救いたいと願った時も、確かに魔力は反応した。反応したが、表に出てくるほどの力ではなかった。あの時は何故、と思ったが、今ならばわかる。襲われている人を救う場合、襲っている人を攻撃しなければならない。微かにだが確かにあるその暴力的な意思は、アリーの力にそぐわなかったのだろう。
アリーの守る力は、他者を傷つけないためにある。あの一瞬だけしかまだ使っていないが、体に流れる穏やかな魔力がそう告げているのを、アリーは感じていた。
――でも、この力も乱用はできない。
穢れのないこの魔力も、使い過ぎればいずれ呪いに冒される。マリアに今なお残る大地の呪いは、常に息づいている。今は父が分け与えた魔力でおとなしくしているが、それが尽きればマリア共々、アリーの魔力を奪おうとしてくるのは明白である。大地の呪いは、強い魔力に惹かれる。いずれアリーの力を狙ってくるだろう。
――そうなる前に、終わらせないと。
秘かに決意を固め、少しだけ手を強く握る。抱いた思いに応えるかのように、体の中では魔力が、ほんの一瞬だけ強い力を発した。




