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私を忘れて  作者: 千変万化
断章 「ある少女の物語」
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末路の章 6

 都市を去って、どれくらい歩いただろうか。何日過ぎたのかも、よくわからない。

 気づいた時には、マリアは森の中にいた。ラルバが向かったという、北の村がある森だ。無意識のうちに、マリアはそこに辿り着いていた。

 ラルバに会いたい。心のどこかでそんな気持ちがあったのかも、今のマリアにはわからない。頭の中を巡るのは、どこで死のうか、という一念しかない。

 ふらふらと、あてもなく歩き続ける。森の中と言うことで、魔力はエサを見つけた獣のように、生命力を貪り食っている。あれほど衰弱していたのに歩き続けられるのは、皮肉にも魔力が生きる力を与えてくれているからだった。

 そんなことに意味など感じなかったが、それでも足は動いていくのだから、感謝する思いにはなった。今のマリアの望みを叶えるには、自分の足で歩いていかなければならない。終焉の地まで、自分で向かわなければいけない。

 やがてマリアは、少し広い湖のある場所へと辿り着いた。

 そこは、不思議な場所だった。森の木々は、ちょうど真ん中にある湖に気を遣ったかのように少し離れて幹を、枝葉を伸ばし、水面に葉が落ちないような場所に腰を落ち着けている。そのため、水の中がはっきり見えるくらい澄んだ湖には葉の一つさえ浮いてなく、丁度開けている頭上からの陽光を、余すところなく照り返している。

 気づけば、もう夕暮れである。焼けるような夕日を映し出し、その強い光を照り返すその水面は、この世のものとは思えない美しさを醸し出していた。

 マリアは、その湖に吸い寄せられるように近づいていった。近づき、湖の前に立ち尽くし、それからそっと涙を流した。

「どうして、こうなってしまったのだろう」

 胸いっぱいに広がる痛みを少しでも吐き出すように、ぽつりと呟く。

 今見ている景色はこれほどまでに美しいのに、それを素直に受け止めることができない。たくさんの人から幸せを、日常を、命を奪い、それでもまだ奪い取ってしまいたいと思っている。いや、思わせられている。まるでその思いが自分の意思であるかのように、錯覚させられてしまっている。

 目を瞑れば、すぐに思い返せる。苦悶に満ちた顔をしながら死んでいく人々や、焼け落ち、または崩れ落ちていく無数の家々。それを、冷たく見つめながら破壊し、奪い尽くしていく自分の姿。

 その姿が、頭の中に醜く浮かぶ。

「わたしは、こんなことを望んだわけじゃない。こんな未来を、夢見たわけじゃない。わたしは」

 続けようとした言葉が途切れ、代わりに鈍い響きを持った咳がマリアの口から洩れた。少し苦しくなり、マリアは口を押える。咳は、何度も何度も口から零れていった。

 一度、ひと際重い音を持った咳が出た。同時に、熱い何かが喉からせり上がり、堪えきれずに吐き出しては、口を押えていたマリアの手を紅く汚した。

 べっとりとしたものがたくさんついたその手を、マリアは空にかざすようにして見た。夕日に照らされた汚らわしいはずの赤は、紅玉のようにきれいに輝いて見えた。

 しかしそれは、さながら罪の証か。憎悪に身を焦がし、数多の命を奪いに奪ったがゆえに、自身は今、使役し続けた力に蝕まれている。

 その罪が、これまで行ってきたことが現実であることを、悲しいくらいに突き付けてくる。夢であればと願っても、現実に引き戻してくる。

「いまさら何を言っても、遅いよね。もう、過ぎてしまったことなんだ。この現実は、なかったことにはできない」

 呟くように言い、マリアの視界が潤む。頬を涙が伝い、止まることを知らないかのように流れていく。

 声を上げては、泣かなかった。いや、泣けなかった。口から出るのは、これまでしてしまったことへの後悔ばかりだ。

 奪われた悲しみを、怒りを、憎しみを、全てこの国にぶつけた。たくさんのものを壊し、数えきれないくらいの命を奪い、たくさんの恨みを生み出した。奪われる痛みは誰よりもわかっていたはずなのに、非道に次ぐ非道を行って来た。

 一つ一つを思い返すたびに、マリアは胸が痛んだ。数多の罪は、自身を苛ませるには十分すぎた。

 それなのに、心の奥底では依然として憎しみの炎が燃え盛っている。復讐をさせようと、命を奪わせようと、心を焼き尽くそうとしてくる。湧き上がる呪いの力が、自身の意思を奪おうと手を伸ばしてくる。

 その思いに、力に向き合うのに、マリアはもう疲れた。

「……もう、たくさんだよ。わたしは、もう終わりにしたい」

 ふらつく足をゆっくりと進め、マリアは湖に向かって歩いていく。一歩、また一歩と進むたびに、底の見えない水面が迫るが、マリアは構わなかった。

 やがて、足元から大地を踏みしめる感触が消えた。

 代わりに感じるのは、纏わりつく冷たい水の感触と、ゆっくりと落ちていくような、不思議な浮遊感だ。しかしそれも、すぐに感じなくなった。

 冷たい水は、弱り切っていた体からすぐに生きようとする力を奪っていった。意識は、もう遠くなってきている。

 薄れゆく意識の中、マリアはぼんやりと遠のいていく地上の光を見つめた。最期くらいはそれがきれいだと思いたかったが、こんな時でも思い浮かぶのは、消え切ることのない憎悪だった。

 ――どれだけかかっても、復讐してやる。

 それは果たして、自分が本当に思っているのか。蝕む呪いが、思わせているのではないか。それとも、疲れ果ててなお、本当は憎しみ足りていないのか。

 ――多分、どちらも本当なんだろうだね。

 でも、何が真実かなど、もう知ることに意味はない。

 本当の気持ちを覆い隠し、それでも曖昧な気持ちを胸に抱きながら、マリアは意識を手放した。


 それからのことは、よく覚えていない。

 自身の体が死に、それでも意識だけで長らえ続けていたのは、マリアは何となくわかっていた。何故そうなってしまったのかはわからないが、自分がしでかしたことや、ただそこにいるだけで命を奪っていた事実を噛みしめ、絶望していたのは覚えている。ただ、それ以降の記憶は、曖昧でしかない。

 誰か別の人になって、それでも死んだような気がするし、がらりと変わったこの国を見て、憤ったような気もする。いつの間にかリチャードが王になっていて、そのことに激しい憎悪を抱いたようにも思える。

 ただそれは、全て気がする程度の記憶であり、実際にあったことかはわからない。

 マリアが何となく覚えているのは、生まれて間もない混血児の中に、自分が呪いの魔力と共に入り込んでいたことくらいだ。

 混血児と言う強い魔力に引き寄せられ、その力をもってまた悲劇を繰り返そうとしている。身体を奪い、今度こそ復讐を遂げようとしている。そんなことを望んでなどいなかったが、マリアは自分の意思で拒むことはできなかった。

 混血児は、あの頃よりも虐げられた環境にあった。乗り移った混血児の心は冷え切っていて、その意識に語り掛け、体を貰うことに苦労はなかった。

 復讐ができる。そう思って心が躍ってしまったのは、何故だろうか。心の片隅で泣きながらも、復讐のために力を尽くそうとしてしまう自分は、本当は嫌気など差していないのではないのか。

 自身の心はとっくに壊れてしまっていて、何が正しいのかは判断できない。憎悪と苦悩の間に挟まれ、それでいて今度は、新たな苦痛に見舞われた。

 乗り移った混血児が、誰かに命を奪われたのだ。

 意識だけの存在でも、その苦痛はちゃんと感じられた。これで死ぬのか、と思っても、気づけばまた意識だけでマリアは存在していた。

 そこからは、最早繰り返しだった。

 何度も何度も、依り代となる混血児に乗り移り、その度に死んだ。繰り返しの死は、心を憎悪で満たすには十分過ぎていて、嫌になるほど自分の気を狂わせた。

 どれだけの痛みを受け、どれほどの時を憎んでいっただろう。

 気づいた時には、自分の名前など、もうわからなかった。わかるのは、自身が魔女であることと、抱えきれないほどに大きくなった憎しみばかりだ。

 ――復讐してやる。この国を滅ぼしてやる。

 その歪んだ願いを胸に、魔女は生き続けた。永遠とも思える苦しみの中でもがきながら、魔女は己を失いながらも、心のどこかで救われたいと思いながら生き続けた。

 やがて、気が遠くなるほどの時が流れた時、魔女は運命の混血の少女に出会った。

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