末路の章 5
ラルバがいなくなってからも、戦いの日々は変わらなかった。
既に旅立つつもりだったのか、戦闘部隊の指揮は後任の者に引き継がれ、ラルバがいなくても指揮系統に乱れは一切なかった。これまでと変わらない動きで敵と対峙し、相手を圧倒してくるのも変わらなかった。
対してマリアは、拠点である都市の家に引き籠っていることが多くなった。体の調子が思わしくないのもそうだが、できる限り人に近づきたくない。生命力を奪ってしまう自分の呪いへの、せめてもの抵抗だった。
しかし、抵抗しても人が死ぬことに変わりはない。一日、一日過ぎていく度に、この拠点から人の数は何人か減っていく。以前のように傷を治した者からといったことはもうなく、誰彼構わず死んでいく。その報せを聞くたびに、マリアは部屋の中で塞ぎ込んだ。
そんなマリアに、ジャンは甲斐甲斐しく世話を焼いてきた。食事を作ったり部屋の掃除をしたりと、まるで召使いのように働いている。ただ、召使いと違って、ジャンは遠慮なくマリアに接してくる。マリアを寂しくさせないようにとの配慮だろうが、申し訳ない気持ちを抱く半面、嬉しくもあった。
しかし、危惧がないわけではない。彼自身が魔力の扱いに長け、マリアの呪いを魔法で防いでいるからと言って、それがいつまで持つかはわからない。現にジャンは、マリアから見えないところで時々辛そうにしているように思える。このままではジャンの命を奪ってしまうかもしれなくて、マリアは怖くて仕方がなかった。
怖いと言えば、もう一つある。
ラルバからの音信が、途絶えて久しいことだ。
旅立ってからひと月は、決まって報告書のようなものが届けられたものだ。しかし、日が経つにつれてそれは徐々に回数を減らし、ふた月が過ぎた今はまったくのなしのつぶてだった。
ラルバに何かあったのか。思っても、口には出せなかった。口に出してしまえば本当になってしまいそうで、マリアはどうしても口にするのは憚られた。
それは、ジャンも同じだったようだ。マリアと過ごす間は朗らかな笑顔を見せるも、ふとした時に寂しそうな顔と不安に満ちた顔も見せる。ラルバを慕っていたこともあり、ジャンもまた心配でならないのだろう。
悲しそうなジャンの顔を見ていると、マリアは胸が痛くなってくる。マリアの世話とラルバを探しに行きたい気持ちで揺れているジャンを見るのは、どうしても悲しみが心に突き刺さってくる。
そんな彼を見ていられなくて、マリアはある決断をした。
「グランツを探しに行って、ジャン」
その日、唐突にそう口にした。
本当は、ジャンを傍から離したくはなかった。ラルバさえもいなくなってしまった今、心の支えはもうジャンただ一人だ。ジャンの健気なほどの優しさは、マリアの暗い心に微かな光を当ててくれている。
他に、マリアを支えようとしてくれる人がいないわけではないが、慕って来る反乱軍の人々はマリアが近づけば死んでしまうし、ジャンのように気軽に接してはくれない。
それに、ジャンだっていつ呪いに負けて、生命力を奪われてしまうか知れたものではない。そんなことになったら、マリアはもう、心を呪いに明け渡さなければならなくなる。自分への憎しみで身を焼いて、二度と自我を取り戻せない気がしていた。
ジャンは驚き、頑なに首を横に振ったが、マリアは優しく諭した。
「グランツのことだから、無事についたけど魔力についてわからないことが多くて、苦労してるに違いないよ。それに、あの人は変に意地っ張りだから、ちゃんとわかるまで居座っているのかもしれない。そんなグランツを助けられるのは、きっとあなただけだよ、ジャン」
そう言っても渋るジャンに、マリアは言いたくない言葉を突きつけた。
「お願い、わたしの傍から離れて。これ以上、わたしに心配させないで。あなたが傍にいたら、わたしはいっつも怖くなるんだ。知らないうちに、あなたを殺してしまうんじゃないかって、夜も眠れない時があるんだ。だから、もう離れて。わたしに、もう近づかないで」
その言葉は、ジャンを深く傷つけてしまったのだろうか。彼は愕然としながらマリアを見据え、その双眸にいっぱいの涙を溜めた。何か言いたそうに口を動かしていたが、結局一言も言葉にしないまま、ジャンは逃げるようにマリアの許から駆け去った。
ジャンの後姿を見送りながら、マリアはこれでよかったんだ、と自分に言い聞かせるように呟いた。視界を潤ませ、何もかもがぼやけてしまうほどの涙が流れたが、それでもマリアは、心のどこかで安心していた。
しかし、ジャンがいなくなると、日々の生活は難儀した。
これまで体が弱っているマリアに代わって、ジャンがありとあらゆることをこなしてくれていたのだ。炊事に掃除、入用なものの調達など、全部任せていたと言っていい。ジャンがいないことで、マリアがそれら全部をこなさなければならず、苦痛に顔を歪めながら何とか日々を過ごした。
さすがに、反乱軍はマリアの不調に気づいている。大半が不安に思い、中には世話をしてくれようとする者もいたが、マリアは敢えて突っぱねた。これまで少し無理をし過ぎたから。静かに休めばすぐよくなる。そう強がりを言って、一人の時間を求めた。弱っていても、鋭い眼光くらいはできる。大抵の者は、それで引き下がった。
しかし、身体の調子を取り戻すほどの生命力は、あまりなかった。以前ならば戦いの場に出て、殺した敵の力と憎悪と憤怒、そして自然の命を糧にしたものだが、今はじっと引き籠っている。この都市の中にいる非戦闘部隊の人々の命を知らぬ間に摘んでいるとはいえ、体が元通りになるほどではなかった。マリアが意図的に距離を取っているからと言うのもあるが、自身の本来の魔力で、無理やり抑え込もうとしているからでもあった。
呪いに対抗していると、体の元気はさらに失われる。マリアは、一日に何度も喀血してしまうようになっていた。顔色はより悪くなり、食欲もどんどんなくなっていくから、体はさらに痩せ細った。
それでも、呪いは変わらず暴れようとしていた。マリアに憎悪を思い出させ、揺れ動く心をそれで満たそうとしてくる。あくまで拒絶していると、体に痛みを与えてくる。何が何でも、マリアに殺戮と破壊をさせようと、躍起になっているようだ。
とはいえ、抗う元気はないが、憎しみを強く抱く余裕も体を動かす元気もない。呪いの好きにさせることなく、少しの間だがマリアは安心して過ごすことができた。
だが、安心していられたのも、次のひと月が過ぎるまでだった。
反乱軍の拠点の中で、唐突に死ぬ者が急増したのである。人々は流行り病を疑って戦々恐々としていたが、マリアだけは自分のせいだと青褪めていた。
人々の憎悪も怨嗟も得られないと悟ったのか、マリアを蝕む呪いは、近場の人たちを無差別に襲ったのだった。負の感情を餌にしていた見えない魔物のようなものは、満足に食べられないことから、どんなものでもいいから餌を求めようとするようになってしまっていた。
マリアがそれに気づいた時には、非戦闘部隊の半数が死に絶えていた。
生き残っている人も、皆ひどく憔悴していた。明日を迎えれば、また何人かが息を引き取っているかもしれない。そう感じさせるほど、彼らからは生気を感じられなかった。
――わたしがいるせいだ。わたしが、生きているせいだ。
呪いのせいだとしても、自分が生きているだけで他の人がこの上ない不幸に見舞われる。
たった一人になってしまったのは、もしかしなくても失敗だった。誰も頼る人がいない今、弱みを見せて気持ちを落ち着けることができない。寂しさと苦しさがない交ぜになり、いつしかマリアの心は、生きる気力を失っていた。
心残りがないわけではない。復讐もしたいし、ラルバに待っているとも言った。だが、マリアはもうこれ以上、この世にいたくなかった。
ただ、この場で命を絶つことは、憚られた。ここにいる反乱軍は、マリアが受け継いだ理想を拠り所にしている。それを一方的に奪うことだけは、どうしてもしたくなかった。
そんな時に、都合の良いものが現れた。王国からの、講和の使者である。
以前のままだったら話を聞いただけで、その使者を焼き殺した。しかし今回は、マリアはそんなことはしなかった。
使者は、マリアの生まれた村の村長だった。最後に会ったのがいつかは覚えていないが、村長は昔の心優しい人のままだった。それだけに、マリアの所業に心を痛めているように思えた。
悲痛に顔を歪めた村長が持ってきた話は、互いに矛を収めるというものだった。まだ半年も経たないうちに、この国は多くの人材を失い、村などに至っては王都から西の方はほぼ壊滅と言っていい。生産力なども大分落ち、国としても立ち行かなくなりかねないことを危惧し、王国は今一度の講和を求めてきたのだった。
勿論、侵攻を受けている王国側が、不利な条件を申し出ている。魔族や混血児を解放し、さらにはマリアの生まれた集落を先王の頃と同じように扱い、絶対不可侵の地とすることを誓ってきている。
それが政治的な判断によるものだと、マリアは見抜いている。思えば、反乱軍の首魁であるマリアの生まれ故郷が無事であることは、おかしい話なのだ。報復で村を滅ぼされてもおかしくないのに、今の今までそんな報せは一度もなかった。
おそらく、この国を襲った反乱が、思いの外反響を呼んだのが原因だろう。人間族も魔族も、混血児もこの国に大きく抗った。それを抑えるには、寛容な態度で接するしかない。魔族や混血児を蔑視するリチャードとはいえ、国が立ち行かなくなっては本末転倒と、苦渋の決断で彼らを認めるような決定を下したと言ったところか。
相変わらず汚い奴だ、と思いながらも、講和自体はマリアとしてはありがたい話だった。講和どころか、解散を命じるつもりであっただけに、今回の話は渡りに船と言っていい。
その話を受け入れ、マリアは村長に返書を託した。勿論、ただでリチャードを信じる気はない。条件を守らなかった場合に備えて、マリアは渾身の力を込めて、その返書に炎の魔法を潜ませた。炎の魔法はいわばマリアの意思であり、約束を守らなかった場合、その炎が破裂してリチャードを襲う。それには殺傷するほどの力はないが、少なくともマリアの幻影に怯えさせて、行動を抑制することはできるはずだ。
村長が去ってから、マリアは反乱軍を全員呼び集めた。
集まった人々は、一様に暗い顔をしていた。マリアの具合が思わしくないことと、講和の使者が無事に帰ったことから、何かしらの不安を抱いているのかもしれない。
その不安を払拭するために、マリアは精一杯胸を張り、万全だった時と変わらない声音で言葉を告いだ。
「皆もわかっていると思うけど、ついさっき、講和の使者が来たわ。互いに矛を収め、荒れた大地を何とかしたいそうよ。このままだと、国そのものが立ち行かなくなるから」
「魔女様は、それを受け入れられたのですか……?」
不安な面持ちで、若い男が言った。
マリアが小さく頷くと、あちこちから声が上がった。マリアの決定を信じられない声が多く、中には微かに非難の響きを含んだものもあった。
その彼らを、マリアは一度殺気を込めて睨んだ。悲しくも、魔女として過ごした時間はあまりにも濃密で、相手を圧することには慣れきってしまった。睨まれた人々はぴたりと黙り込み、怯えた目をマリアに向けた。
「本当は嫌よ。わたしは、どうしてもこの国を許せないし、間違っている奴らを滅ぼし尽くしたい。でも、わたしにはもう時間がないことぐらい、あなたたちにもわかるでしょ?」
自分の細くなった腕を見せながら、マリアは言った。誰も何も答えようとしないが、マリアが弱っていることを知っているだけに、ただただ俯くばかりだ。
本当は、時間がないというのは嘘である。呪いの魔力は身も心も壊していくが、ある程度以上は傷つけないのを、マリアは気づいた。痛みも病のような症状も、マリアがそれに負けるために仕向けているだけに過ぎない。マリアが呪いに屈したら、底知れぬ憎悪に任せるまま、殺戮を繰り返すだろう。そうなれば、マリアは生きるための糧だけは得続けられる。そこにマリアの意思がなくても、呪いにずっと生かされ続ける。
「悔しいけど、今のわたしは、もう戦えないわ。戦えない主なんて、この場にいる価値がない。わたしは、ここを去ろうと思う」
「そんな! 我らを見捨てるのですか!?」
「そのつもりはないけど、どうしようもないのも事実よ。このままでは、わたしはあなたたちを無駄死にさせてしまう。それでは、本当に終わってしまうわ。別の体にでもならない限り、わたしたちの願いを叶えることはできない」
「別の体にさえなれば、いずれ魔女様はまた立ち上がって下さるのですか?」
耳ざとく聞きつけた一人が、恐る恐る聞いてきた。
そんなのはごめんだ。そう言ってしまいたかったが、マリアの口は真逆のことを言っていた。
「そうね。わたしがちゃんとした体を得られれば、あなたたちの前に戻って来れるかもね。この体だって、元々はもっと貧相だったから」
「……確かに、魔族には記憶をそのままに、生まれ変わる者がいるという言い伝えがありますな。現に、魔王ルシフェルとは別の、この国を古くから支配していた魔王は何代もいますが、実は一人の魔族だったのではないかと噂されています。支配の仕方も統治の方法も、強大な魔力さえも寸分違わぬほどでしたから、魔女様が同じように生まれ変わる可能性もなくはありますまい」
魔族を率いる隊長の男が、思い出したように言った。
場がざわつき、真偽を確かめ合う声が聞こえる。当然、誰も答えを知るはずがなく、堂々巡りにしかならないから、場は少しうるさくなってはすぐに静まった。
マリアとしてはそういうつもりで言ったのではなかったが、変に解釈して貰えたのならば好都合だった。その男の言葉を引き継ぎ、マリアは自分に都合のいい言葉を並べたてた。
「その者の言う通りよ。わたしは、いずれ必ず次の体を手に入れ、仲間であるあなたたちの許に戻るわ。醜いこの国を滅ぼし、私たちの居場所を作るために。だから、命じるわ」
一度言葉を切り、一同を見渡してから、マリアは言葉を継いだ。
「わたしがここを去り、講和がなってしばらくしてから、反乱軍を解散して身を隠しなさい。汚いあの男のことだから、約束を守るとは思えない。そうした場合の手は打ってあるけど、わたしがいないとわかったら、一気に鎮圧にかかってくるわ。そうなったら、わたしが帰ってくる場所がなくなってしまう」
どこかから、すすり泣く声が聞こえてきた。呻くような声も、耳に届いて来る。
それが、マリアの胸を衝いた。
――こんなわたしでも、慕ってくれる人はいたんだね。
殺戮と破壊ばかりしかできず、恐れられていたと思っていただけに、感慨深いものがある。
しかしそれを、マリアは敢えて押し殺した。これから死のうとしている自分が、こんなことを喜んで、未練に思うわけにはいかない。
泣きたいのを堪え、マリアは毅然とした態度で高々と言い放つ。
「皆、生きよ。わたしがいなくなっても、必死に生きよ。そして、またわたしの下に集え」
その言葉を最後に、マリアは人々に背を向けた。魔女様、と呼ぶ声が背中に突き刺さるようにかけられる。都市を去るまで、ずっとずっと、それは聞こえ続けた。
マリアは、一度も振り返らなかった。振り返ってしまえば、溢れる涙を見られてしまう。
涙はとめどなく流れて頬を伝い、顎の先から地面に滴り落ちていく。昼下がりの陽光が、皮肉なほどにその雫をきれいに輝かせた。
その煌めきは、日が陰るまで消えることはなかった。




