末路の章 4
「……憶測でしか、ないのですが」
ジャンが顔を上げてそう言ったのは、机の蝋燭が半分の半分程度も削れてからのことだった。
「マリア様の魔力が、生命力を奪っているのではないと思います。寧ろ、マリア様の心を守っている。あなた様を蝕み、苦しめているのは、もっと別の大きな力。魔力によってぼくたちが失われていると思っていたものこそ、本当の元凶」
「だからもったいつけて言うな、ジャン。お前の悪い癖だ。わかりやすく説明しろ」
ラルバの叱りつけるような言葉にも、ジャンは物怖じせずに受け止めている。頷き、気息を整えて言葉を継ぐ。
「……大地の生命力。その力が、マリア様を苦しめているのだと思います」
「ふむ。確かに、この大地の力ならば計り知れないものがあるだろう。強すぎる力に体が耐え切れなくなっていくのも理解できる。だが、何故だ? 本来ならば、魔法を使うことによって犠牲にしてしまう大地の生命力が、何故逆に生命力を奪おうとするのだ?」
「それは、この国の大地が、あまりにも穢れているからです」
きっぱりとした口調で、ジャンが言い切った。
「この国の大地は、数えきれないほどの争いによって、数多の屍を抱え、夥しいほどの血を啜ってきています。多分、恨みや憎しみといった負の感情も、一緒に。それは毒のように大地を冒し、いつしか呪いとなってこの国に広がってしまったのだと思います。……いや、そうとしか思えない。そうじゃなかったら、大地が生命力を望む理由なんて付けられない」
一度言葉を切り、ジャンが続ける。
「ずっと、おかしいと思ってたことがあるんです。大地が死ぬのを目の当たりにしながら、魔族が戦いをやめなかった理由です。それは多分、魔法を使い過ぎて呪いを身に受けた魔族が、奪うことを強いられたからではないでしょうか。現に、戦い続けることで数多の血が流れ、多くの憎悪と怨嗟が大地に蔓延した。そして、死んだはずの大地は、それらを養分としたかのように、いつの間にか蘇っていた」
ラルバがハッとし、マリアもまたそのことを思い出した。
ジャンの言うことは、確かかもしれない。魔族同士が争い、砂色が目立つようになった大地は、争いが終わってからしばらくした後に、いつの間にか緑が芽吹いていた。植物など育たなそうな不毛の大地だったのに、突如として蘇った緑のことは、在りし日のジードを不審がらせたものだ。
「争いがなくなって、大地の呪いは次の標的を求めたのでしょう。自分に命をもたらしてくれるための存在を。それが、マリア様だった」
「お前の言うことはわかる。大地の呪いも、呪いを受けた者のことも、信じられんが理解できる。だが、何故マリア殿なんだ? マリア殿がその呪いを受けることになったきっかけなど、魔女になった時ならばいざ知らず、その前にあるとは思えない」
「いいえ、あります。たった一度だけ。それがあったために、マリア様とその力は結びついてしまった」
「たった一度……? まさか」
一瞬考えこんだラルバが、次の瞬間に声を上げる。
マリアにも、それが何かはすぐにわかった。ただ、ラルバのように驚くことはしない。話を聞いていて、うっすらとそのことは感づいていた。
「魔力を抑え込むまじないをした、あの時か……!」
「おそらく。マリア様のお力は、やはり常軌を逸したものだったのです。ぼくが感じた通りの、深い闇のような異質な力は、まじないの時に大地の呪いを呼び寄せてしまったのでしょう。マリア様、あの時何かを感じませんでしたか?」
話を振られ、二人の焦れた双眸がマリアに向けられる。
マリアは、ゆっくりとあの時のことを思い返した。思い返すと胸が痛くなるが、それでも丁寧に記憶を紐解いていった。
魔力を吐き切り、命を削って小瓶一杯の雫を作り、まじないを施した時、確かに何かがあったのをマリアはふと思い出した。
「……空になったはずの魔力が、一瞬湧き出した気がする。すぐに消えちゃったから、忘れてたけど」
「やはり。その時に、マリア様は呪いを受けてしまったのでしょうね。そして、皮肉にもその呪いを発現してしまう出来事が、起きてしまった」
言っている意味が一瞬理解できなかったが、少し考えるとマリアはすぐにわかった。
「……もしかして、ジードが死ななかったら、わたしが魔女になることもなかったの?」
「そうだと思います。マリア様の力は、呪いさえも呑み込んでしまうほどに強かったのでしょう。あのまま平穏な時が過ぎていれば、呪いなど関係なかったはず」
「やっぱり、リチャードのせいなんだ」
一瞬憎しみが湧き上がりかけたが、マリアはそれをすぐに萎ませた。原因は、きっとそれだけではない。
「でも、それだけじゃない。わたしたちが浅はかだったのも、いけないんだ」
吐き出すように言った言葉は、少し震えていた。
「わたし、今ならわかるよ。穢れ切った大地の力を借りたせいで、この国は誤ったまじないに覆われてしまったんだ。人々の心を安らかにするはずが、荒んだものを植え付けてしまった」
真の平等のために借りた力は、己の我欲を増幅させるための呪われたものだった。今更それに気づいても、遅すぎた。
「ただ目の前のことしか見てなくて、わたしたちはそれが間違いだって信じて疑わなかった。その間違いを正さなきゃって、思い込んでた。その思い込みのせいで、みんな死んじゃって、わたしは多くの命を奪ってしまった。わたしたちだって、同じくらい悪かったんだ」
涙が自然に零れ、拭っても拭っても止まらなかった。それでもマリアは、何度も何度も涙を拭った。
ラルバもジャンも、マリアが泣き止むまで何も言わずに待っていてくれた。
「……そういえば、グランツはどこに行ってたの? さっきの言い方だと、遅れて参戦したみたいだけど」
しばらくして涙が止まり、少し気持ちを落ち着けてから、マリアは気になっていたことを聞いた。
話を唐突に振られたラルバは、珍しく少し焦っていた。
「僕か? 僕は、別件で離れていたんだ。少し、気になることがあってな」
「それって、わたしの呪いのこと?」
ずばりと言い当てられたからか、一瞬言い淀んだラルバだったが、観念したのか大きく頷いた。
「ああ。ジャンの話を聞いてから、僕は呪いについて調べ回っていた。その道に通じた人を各地に放ち、僕自身も探し歩いた。この都市を離れていたのもそのためだし、今日の遅参も、ある報告を聞いていたからそうなってしまった」
「ある報告?」
「そうだ。今となっては役に立つかもわからない、しょうもない話さ」
「そう決めつけるのは早いと思うな。ねえ、どんなことだったの?」
ラルバが少し困惑したような顔を見せた。その表情には、何かためらいのようなものも滲んでいる。
それでもマリアがじっと見つめていると、ラルバは折れたのか、一度息を吐いてから口を開いた。
「……解呪についての、話だよ」
「解呪!?」
ジャンが、素っ頓狂な声を上げて立ち上がる。
それを、ラルバが鋭く睨みつけて制した。
「確かな話かは、わからない。けれど、魔力に冒された者がその体を治し、生き永らえたという話が、北の方にある村に伝わっているという。あまりにも曖昧であるし、仮に本当だとしても、マリア殿のような凶悪な呪いに対して効くのかどうかもわからない」
「で、でも、可能性はあるってことですよね? 早速、人を遣わして真偽を確かめるべきでは?」
「いや、それは無理だ。この国の北に住まう獣がどれほど凶悪か、お前は知らないだろう。諜報部隊のような生中な実力では、骸を晒すのが関の山だ」
「だ、だったら、どうするんです?」
「どうしようもない。本当だったら、僕が行こうと思っていた。自分で言うのもどうかと思うが、獣ごときに後れを取るつもりはない。僕が行って、その真贋を見極めるつもりだった。けれど、マリア殿がこの状態じゃ、とてもではないが離れられない」
あっ、と小さく漏らし、ジャンががっくりと項垂れる。ラルバもジャンも、今のマリアが危険であることはよくわかっているのだ。いつ倒れるかもわからず、いつ無理をしないとも限らない。二人とも、気が気でないはずだ。
だが、マリアとしてはそれが辛かった。大切な二人の重石になっていることが、今は何よりも辛い。
「行って、グランツ」
「えっ」
マリアの言葉に、ラルバが少し抜けた声を上げた。
「わざわざ、わたしのために探してくれた方法なんだよね? だったら、わたしはそれを聞きたいな」
「し、しかし」
「大丈夫、ちゃんと待ってるから。だからお願い、グランツ。嘘でも本当でもいいから、そのお話を聞きに行って」
両手を合わせて首を傾げながら言うと、ラルバは少し赤い顔をしながらも、尚も考えるような素振りを見せた。行くか行かないか、いくらか葛藤していたようだが、それもすぐに終わった。
「……わかった。僕は行くよ、マリア殿」
意を決したのか、ラルバの顔には一切の迷いがなかった。
「必ず、その話の真偽を確かめて帰って来る。それまで、決して無理はしないでくれ」
「わかった。約束するよ」
頷いたラルバが、ジャンに鋭い目を向ける。何かしらの意図を汲み取ったのか、ジャンは力強いものを瞳に浮かべ、ラルバを見つめ返していた。
「頼むぞ、ジャン。僕が留守の間、今度こそマリア殿に無理をさせるな」
「はっ。身命を賭して、その命を守り切ります!」
ラルバはもう一度頷き、真夜中にも拘らずこの場を脱兎のごとく後にした。マリアが声をかけようにも既にその姿はなく、視線の先には乱暴に開け放たれた扉が軋んだ音を立てて揺れているばかりだ。
開かれた扉から、月の光が入って来る。月はまだあまり欠けていないのか、降り注いだ光は存外明るい。けれど、夜の闇に消えてしまったラルバの背は、それをもってしてももう見えなかった。
「無事に帰って来てね、グランツ。わたし、待ってるから」
届くはずがないとわかっていながらも、マリアは遠く去って行った背に向けて、そう呟いた。




