末路の章 3
マリアが目覚めた時には、既に外は真っ暗になっていた。
ただ、部屋の中は、机の蝋燭の炎が淡く照らし出している。以前のように寝床に寝かされていながらも、部屋の中はそれなりには見えた。
部屋の中には、マリアの他にはジャンしかいないようだ。椅子に座り、ゆらゆらと揺れる蝋燭を、ジャンはぼんやりと眺めている。
この前とは違って、マリアは何とか体を動かせた。だるく、重い体を無理やり動かし、マリアは上体を起こした。
「マリア様……!」
気づいたジャンが勢いよく立ち上がり、すぐに駆け寄って来る。マリアを覗き込むその顔は今にも泣きそうで、慰めるようにその頭を優しく撫でた。
少しの間そうしていると、荒々しい足音が遠くで聞こえた。聞こえたと思ったら、勢いよく部屋の扉が開いて、荒い息を吐いたラルバが姿を現した。
「マリア!」
叫んだラルバと目が合い、マリアはそっと微笑んで見せる。大丈夫だ、という意味を込めたつもりだったが、ラルバの表情は全く冴えなかった。
ちらと、近くの姿見に目をやる。薄暗い中で、自分の衰弱し、ひどくやつれたような顔が目に映った。
渋面を作り、ラルバが近づいて来る。ジャンが少し怯えながら、そちらに顔を向けた。
「やはり、難しかったか」
発せられたラルバの声には、どこか憤りに似たものが含まれていた。
「申し訳ありません。ぼくには、やっぱり」
「良い。お前には、お前の思うところがあったのだろう。その結果がこの衰弱だとしても、僕はお前を責めはしない」
明らかな皮肉だったが、ジャンは嫌なものを顔に浮かべずにただ項垂れた。ラルバも少し思うところがあったのか、顔を俯けている。
いくらか、重い沈黙の時が流れた。二人とも、何かを言おうとしているのに、言葉にはならない。ただただ、悲痛なものを顔に浮かべるばかりで、何も進展しない。
そんな状況が嫌で、マリアは口を開こうとした。しかし、声がなかなかでない。重苦しい空気が、まるで喉に蓋をしているかのようだった。
「……現れた敵は、どうしたの?」
何度か試みて、喉につかえる言葉を、マリアは何とか吐き出した。その声は、不思議と魔女になる前の声音に戻っていた。
二人が、弾かれたように顔をこちらに向ける。どこか安堵している面持ちで、二人を取り巻いていた重いものはどこかへ消えていた。
「あ、ああ。大丈夫、僕が撃退した。僕が駆け付けるまでは相当苦戦したみたいだが、魔族の集団が何とか持ちこたえてくれていたから、被害は軽微で済んでいる」
「そっか」
撃退という言葉に、マリアは少し安心するのを覚えた。殲滅のように、たくさんの命が消えたわけではない。
マリアはもう、命を奪うことに疲れていた。いや、本当はいつも、心のどこかでそう思っていたのかもしれない。湧き上がる憎悪がそれを覆い隠し、目を背けることで、敢えて見ないようにしていたように、今は感じる。
そんなことを思うと、やはりいつものように痛みが襲ってきたが、衰弱しているからかそれを感じるのも遠い。いつもよりかは、大分楽に思えた。
「ねえ、グランツ。もう、制圧はいいや。わたし、あの男を殺しに行きたい」
「それは」
言い淀んだラルバが、顔を横に背ける。ちらとジャンを見ると、また俯いているのが見えた。
それだけで、何となく察した。今のマリアの状態では、到底無理なのだということが。
――確かに、ひどい有様だね。
もう一度姿見に目をやって、改めて自分の顔を見る。顔はこけて目は落ち窪み、肌の色は土気色をしている。ついでに見えた自分の体は、少し痩せすぎたように細く、頼りなく思えた。
おそらく、この状態で強い魔法を使っては、体がもたないだろう。つい先ほどまではそうでなかったために、不思議でならないが、どうしようもなかった。魔法を使って肉体を無理やり整えることも、多分出来そうもない。
「大人しく、寝てるしかないのかな。こんなこと、早く終わらせたいのに」
「マリア殿……」
「わたし、どうしてこんなことを始めちゃったのかな。あなたの言うとおり、あの男だけを殺してしまえば、たくさんの人を死なせることもなかったのに。どうして、あんな風に思っちゃったのかな」
まるで独り言のように吐き出した言葉に、二人とも何も返せないようだった。
二人が何も言ってくれないこともあって、マリアの頭の中で思念が次々に沸き起こる。
どうしてこんなにも回りくどいことをしようと思ったのか。深い恨みを抱き、どうしようもない憎しみに身を焦がしていたからだというのは間違いない。大切な人を奪われた苦しみを味わわせたいと思ったのも、多分違わない。それでも、こんなにたくさんの人を殺してしまうことを、心の底から本当に望んでしまったのだろうか。
――違う。わたしは、そんなことを望んじゃいない。
奪いたかったのは、あの男の命と、狭すぎたこの国の心だけだ。それなのに、奪ったものと言えばたくさんの命であり、得たものは抱えきれないほどの憎悪と怨嗟だ。そんなの、欲しいわけがない。
そう思った刹那、マリアは頭の中で響く、誰かの声を聴いた気がした。言葉ははっきりと聞こえたわけではないが、その声はまさしく、魔女の時の自分のものだ。
――まさか。
あることに思い至り、マリアはハッとした。
自分の意思とは別に、別のそれが身内に潜んでいるのではないか。それが、マリアの気持ちに蓋をしているのではないのか、と。
憎しみは確かにマリア自身の意思だが、憎んだ後の極端すぎる行動は、マリアの意思ではなかったのかもしれない。自分でも気づかないくらいに心は擦り切れ、乱れ切っていたのだから、何が本物で何がそうでないかなど、当時のマリアにはわかりっこなかったはずだ。
――痛みが、邪魔しようとしている。けど、今のわたしには、何の意味もない。
衰弱と共に、感覚が鈍い今、いつものように痛みで思考が掻き消されることもない。
初めて激痛に惑わされずに思考を巡らせられる今、自分の中にどす黒いものが潜んでいることに、マリアは気づいた。それはいつだかジャンが言ったような、全てを呑み込んでしまいそうな闇そのもののように思える。とはいえ、その何かは魔力に違いはなく、マリアが元々持っていた力だと思っていたのだが、弱る体でいくら念じても、マリアが思ったような反応は示さなかった。寧ろ、マリアの意思を無視して異常な力を発揮している。
その力は、まさしく体を攻撃していた。おそらく、痛みを感じさせることで心も一緒に攻撃してきたはずだ。
感じられることは他にもある。その魔力は、何かから力を得ているかのように、少しずつ肥大していっている。大地から生命力を奪っているのかと思ったが、それはどこか違っていて、寧ろ分け与えられているような感じを受けた。
ともかく、全てマリアの関わりない所で、それらは起こっている。間違いなく、この力はマリアのものではない。その確信を、マリアははっきりと認識した。
「ねえ、二人とも。ちょっと、聞いていいかな」
弱弱しいながらも真剣な響きを持つ声に、二人は少し緊張した面持ちを見せた。
「わたしの魔力って、呪われているんだよね?」
二人が絶句し、目を見開いた。激しく動揺しているのか、二人の額には脂汗が俄かに浮き上がり始めた。
マリアは構わず、二人を交互に見てから言葉を続ける。
「隠さなくてもいいよ。最初に倒れた時、ちょっとだけど話を聞いてたんだ。わたしはその呪いで、そこにあるだけで別の命を奪ってしまう。そうなんでしょ?」
「……はい」
視線に耐えきれず、俯いたジャンが応えた。ラルバは腕を組み、難しい顔をしながら目を瞑っている。
「マリア様の魔力は、生きとし生けるもの全てから、生命力を奪おうとされています。傍にあるだけで命を徐々に抜き取り、最終的には奪いきって殺してしまう。それほど、あなた様の魔力は歪んだ力を発しています」
「うん、わかるよ。今なら、わたしにだってわかる。その力が、わたしの意思に関係なく猛威を振るっているのも、はっきりわかる」
「意思に、関係なく……?」
ジャンが驚いたような声を上げ、マリアはそっと頷いて続ける。
「そう。気づいたのは、ついさっき。だってその力は、わたしを苦しめようとしているんだもの。勝手に力をどこかから貰って、勝手に何かしようとするんだもの。呪いって言うのも、頷けちゃうや」
「勝手に……」
呟いたジャンが顔を険しくし、思案顔になる。そこにいつもの気弱さはなく、なかなか見ることのない真剣さが滲んでいる。
ただならぬ気配を感じたのか、ラルバが目を開いてジャンに視線を向けた。それにも気付かず、ジャンはぶつぶつと何かを呟き、考えを纏めようとしている。
「……そうか。もしかしたらぼくは、思い違いをしていたのかもしれない。マリア様が生命力を奪っていたのだと思い込んでいたけど、実際は」
呟くように言ったジャンの顔が、見る見るうちに青褪めた。身体は小刻みに震え、目は驚愕でなのか見開かれている。
ジャンは青い顔のまま一度ちらとマリアを見て、それからまた顔を俯けて独り言のように呟き始めた。
「そんなことが、あるのか……? いや、まじないを施したのに、噂の国と状況が大きく違うってことは、そうとしか考えられない……」
ジャンは呟くのをやめない。それでも、ジャンが考えを纏めるまで、マリアもラルバも一切口を挟まなかった。




