末路の章 2
マリアが起き上れたのは、意識が戻ってから二日が経ってのことだった。
意識は、二人の話を聞いた時からずっと覚めたままである。結局、あれから一度も眠ることはできなかった。睡魔が襲って来るには来たのだが、体を刺すような激痛が走っては眠りを妨げ、起き上がろうにも熱のせいで体は鉛のように重く、起き上がれなかった。仕方なく、痛みに耐えながら、マリアは熱が引くまで横になっていた。
横になっている間はぼんやりとした頭で、二人の会話で聞こえたところを何度も思い返していた。
命を奪う存在。ただそこにあるだけで、命を奪ってしまう存在。そのことが、頭の中をぐるぐる回った。
起き上がれるようになっても、痛みは別物のようで、まったく消えていなかった。ただ息をするだけでも痛みは走ったが、マリアは歯を食い縛って耐えた。反乱軍の首魁が弱った姿を容易く見せてはならない、とつまらない見栄を張っていた。
そんなマリアに、ジャンはいつもと変わらず付き添ってきた。顔を合わせても、何ら変わらない態度で接してくるのである。マリアが何も知らないと思っているのだろう、顔にも声にも陰りはない。それが、逆に痛々しく感じた。
マリアが倒れている間は何事もなく、寧ろマリアが倒れたことさえ知られていないようだった。ジャンがうまく隠し通したらしく、人々はいつもと変わらない補強の日々を送っていた。王国騎士団の攻撃もなかったらしく、戦禍のにおいもしない。
人々があくせく働く様をマリアは遠くから眺めていたが、すぐに物足りない気分に襲われた。物足りないというより、飢えていると言った方が正しいかもしれない。何が、と一瞬思ったが、体の中で暴れる魔力を感じて、マリアは呪いのことを唐突に理解した。
魔力が暴れると、マリアはしばしば近くの森に行くようになった。幸い、枯らしてしまった南の森は一部に過ぎない。南に少し行けば、多くの生命がそこには満ちている。
ジャンは何も聞かずに、傍に着いて来た。本当は一人になりたかったし、何よりもジャンの命を危険に晒してしまうのが嫌だったが、ジャンが心配して傍を離れないようにしていることは知っている。着いて来るなとは、どうしても言えなかった。
森の中にいると、体の調子は少しは落ち着いてくる。全身をたくさんの生命力が満たしてきて、魔力も静かになった。だが、それも長くはもたなかった。一瞬だけ体の中が妙に熱くなり、それでいて引き裂かれるような痛みに襲われる。そんなことが、何度か起きた。
痛みに悶えながら、マリアはジャンの言葉を思い返していた。生命力を吸い上げることに隠れている、何か。それがマリアを苦しめしているのは、自分でも何となくわかった。しかし、何が原因なのか、まだ正体を掴めていない。
思えば、体に異常を来たし始めたのは、ヨルダと別れてからのことだったような気がする。あの日、久しぶりに心が揺れ動いて、悲しくて涙を流した。その後から、何か違和感があったのを、マリアは思い出した。
しかし、いくら考えてもわからないものはわからない。考えようにも、襲い掛かって来る激痛は思考を途中で遮断させ、いつも中途半端なところで考えるのを断念せざるを得なかった。
そんな時に、いつも代わりに頭の中に浮かんでくるのが、ジードの最期の光景だった。思い出したくもないその光景を記憶に描くたびに、底知れない憎悪が沸き立ってくる。その憎悪が燃え盛っている間は、マリアは痛みも苦しみも感じなかった。
そしてそれは、魔法を使って殺戮を繰り返している時も同じだった。
拠点としている交易都市の近くには、今なおリチャードに近い村がたくさんある。その大多数は殲滅すべきところだが、中には慎重に攻撃しなければならないところもあった。奴隷として、リチャード方に捕まった混血児や魔族が、少なからずいたからだ。そういう場所については、マリアが無理をしてでも先陣を切った。
マリアが出ることにジャンは猛反対したが、聞く耳を持たなかった。ラルバもいたら剣を抜いてでも止めただろうが、その彼は何かやることでもあるのか、都市を離れることが多くなっていた。
戦いに出るたびに、マリアは暗澹たる気持ちに襲われた。理想のために戦っているはずなのに、増えていくのは屍の数ばかりだ。救われるべき人の数はあまり増えていなくて、どうしようもない虚無感を感じずにはいられない。
それでもマリアは、先頭に立って戦い続けた。拭えない憎悪を呼び起こして、頭の中をそれ一色に染め上げた。魔法を使って多くを薙ぎ払い、血の雨を浴び、救うべき対象以外は全て殺し尽くした。
体が焼けるような熱や酷い息苦しさは、やはり戦っている間は感じなかった。思考も、ほぼ揺れることはなかった。ただ、人が向けてくる憎悪や憤怒だけは、マリアの心に沁み込むように入っていったような感じがした。
それが何なのかは、マリアにはわからない。無理やり憎悪で満たした頭の中では、考える余地がない。目標の者がいる村を壊滅に追いやることしか、考えつくことはなかった。
マリアが先頭切って戦ったからか、戦いは円滑に済ませられた。二つ、三つと村を落とすのに何の苦労もなく、奴隷となっていた人たちも無事に救い出せた。
ただ、その代わりなのか、戦いが終わるたびに何人もの味方が死んでいった。
死んだ者は皆、唐突に苦しんでその命の火を消した。その人たちは、かつてマリアに傷を治して貰ったことがある者ばかりだった。
あの時雑音に掻き消され、話をちゃんと聞けていなくても、自分が魔法で癒したせいで命が削れ、死を手繰り寄せたということは、マリアには何となくわかった。魔法を使うことで、不幸しか呼び寄せないというのも、痛いほど理解した。
それでも、マリアは止まることができなかった。止まろうにも、立ちはだかるものはあまりにも多くなっていた。
交易都市を落としてからひと月、ふた月と時が過ぎるにつれ、反抗する相手は明らかに増えていた。最初は騎士ばかりだったのに、今では武器になりそうなものを担いだ農民の姿まで見えるようになっている。国の命とも言える交易都市を潰したことと、人を殺し過ぎたことは、マリアを悪だと思わせるには十分すぎたのかもしれない。
反乱軍には痛恨事だが、マリアにとっては好都合だった。このところ、戦わなければ渇きは満たされず、命を奪わなければ体の調子を維持することができなくなっていた。特に、殺めた敵の憎悪と憤怒の心は、マリアの魔力を不思議と増幅させる。
その日も、王国に与する敵が大多数現れたと聞いて、日が中天に差し掛かる頃にマリアは自ら先陣を切ろうとした。
だがそれを、ジャンが必死の形相で止めてきた。
「もう、やめてください。これ以上、魔法を使わないでください。お願いですから……」
「今更何を言っているの、ジャン。今魔法を使うなと言うなら、何故倒れた後に無理やり止めなかったの? わたしが、何を言っても止まらないと、わかっていたからじゃないの?」
強い口調で言うと、ジャンは少しだけ泣きそうな顔をして俯いたが、すぐにマリアへと向き直った。
「……確かに、仰る通りです。グランツ様の言いつけを守れず、あなた様に魔法を使わせてしまったぼくに、どうこう言う資格はないかもしれない。けれど、ぼくにだって尊重したい思いはある。マリア様の皆を救いたい気持ちは、邪魔すべきではないと思ったんです」
でも、とジャンが力強い声で叫ぶように言う。
「今のマリア様は違う。自分を満たすためだけに、命を奪いに行こうとしている。そんなことを、黙って見過ごすわけにはいかない!」
「だったらどうするの? わたしを、殺してでも止める?」
少し脅すつもりでせせら笑うようにマリアは言ったが、ジャンは一切動じていなかった。
「いいえ。あなた様を死なせたら、ぼくはグランツ様に顔向けできない。だから」
腰に差していた剣を引き抜き、ジャンが徐にそれを首筋に当てた。
思いがけないことに、マリアは声が出なかった。久しく揺れることがなかった心が大いに揺さぶられ、驚愕で目が見開かれる。
「……ぼくの死をもって、あなた様を止めます」
制止を促す間もなかった。手に力を入れたジャンの首に、白銀の刃が僅かに食い込んでは、一条の赤い筋をつける。そのまま自分の首を掻き切ろうと、ジャンがさらに力を入れようとしている。
そんなことを、黙って見てはいられなかった。
「ダメッ!」
マリアは咄嗟に駆け寄り、剣を無理やり奪い取ってはすぐさま放り投げる。首から微かに血を流すジャンが、それでも息一つ乱さずに、悲しげな表情を浮かべてマリアを見つめてきた。
マリアはその視線を、まっすぐ受け止めた。ただ、顔が妙にぞわっとしている。血の気が引いているのが、自分でもよく分かった。
しばらく、互いに視線を交わし合った。
「……やめて、ジャン。あなたまで、わたしの傍からいなくならないで」
ジャンの悲しげな眼に、マリアは堪えられなかった。膝から崩れ落ち、涙を流しながらマリアは言った。
「わかってるよ。今、自分がしようとしてることが、復讐でも何でもないことぐらい。でも、苦しいの。どうしようもなく辛いの。命を奪って寄こせって、魔力がわたしを責め立てるんだもの」
「マリア様……」
「もう、いやだ。ジードを失った痛みだけでもたくさんなのに、こんなのまで、抱えきれないよ。わたしは、もう」
後悔に苛むと、マリアの体にいつものように痛みが襲って来た。悲しみも苦しみも、全てを掻き消してしまいそうなほどの激痛。まるで心を壊そうとするかのように、痛みは謀ったようにやって来た。
――心を、壊す……?
ふと思ったことが、マリアの頭に引っかかった。いつもならば痛みで掻き消えてしまうその思念も、この時ばかりは残っている。
ただ、意識ばかりはそうはいかない。あまりにもひどい痛みは、次第にマリアの意識を閉ざそうとして来ている。
その中で、マリアは必死に抗った。抗って、この苦しみから逃れるための、いつもと違う答えを求めた。
たくさんの人を殺める。そのこと以外に渇きを癒せるものがあるとしたら、あとはおそらくたった一つのみ。本来ならば、遠回りしなければすぐにでも届いたはずの、憎い仇の命。それを、永遠に鎖す。
「……過程なんて、もうどうでもいいよ。そろそろ、終わりにしよう。リチャードを、殺す。殺しに、行く。今すぐに、でも」
抗ったのも、ここまでだった。視界は急激に黒に染められ、マリアの意識は闇に溶けていった。




