末路の章 1
意識が、深く沈む。
うっすらと目を開いても、映るものは何もなく、ただただ漆黒の闇が広がるばかりだ。
感覚は、全てが遠い。体を激しい痛みが駆け巡っているようなのだが、不思議と遠くで微かに感じるばかりだ。気怠さも苦しさも、何もかもがそっと手で触れたように、僅かにしか感じられない。
――わたしは、どうなってしまったのか。
考えても、マリアにはよくわからなかった。
そもそも、どうしてこうなったのかが、あまり思い出せない。朧な記憶を辿ろうにも、同じくらいぼんやりとした意識では、何かを考えるのも億劫になりそうになる。それでも、遠い感覚の中で浮かび上がった記憶に、マリアはゆっくりと手を伸ばした。
拭えない疲労感、四度目の襲撃、足りなくなった魔力。そして、自身から吐き出された赤い血。
そこまでいって、自分が血を吐いて意識を失ったのを、マリアは思い出した。
思い出したからと言って、意識がはっきりとするわけではない。ただそれでも、闇に塗り潰されていた世界には、ぼんやりとだが色が付き、様々なものの輪郭を浮かび上がらせた。
何度か瞬きをして、視界が少しだけ明るくなってから、マリアは周囲を見渡した。
見たことのある一室である。机と椅子、洋服棚とベッドくらいしかない、簡素な部屋。それは確か、交易都市の中の損壊を免れた家のものだ。そこで、これまでマリアは起居していた。
マリアは、そのベッドの上に寝かされていた。着ているものは、見慣れない無地の寝間着に変わっている。その寝間着も、寝汗でなのか少ししっとりしていた。
――どれくらい眠っていたのだろう。
考えようとしたが、頭が重くて断念せざるを得なかった。額が、焼けるように熱い。高熱が出ているのか身体はひどく怠く、意識はやはり朦朧としている。
それでも視線を巡らし、机の前で向かい合って座っているラルバとジャンの姿を認めた。真剣な面持ちで何かを話しているようだが、今のマリアにはよく聞き取れなかった。
「一体、いつ病に侵されてしまったのだろう。それとも、僕たちは彼女に無理をさせ過ぎてしまったのか。いくらなんでも、血を吐いて倒れるなど尋常ではない」
「……グランツ様。どっちも違うと、ぼくは思います」
悲嘆に暮れているラルバに、ジャンが思いつめた顔で何かを言っている。
「やっぱり、無理にでも止めるべきでした。遠くないうちにこうなってしまうんじゃないかって、ぼくはずっと思っていたんです」
「どういうことだ、ジャン。マリアに、一体何が起きている?」
「結論から言います。マリア様は、魔力に呪われてしまったんだと思います」
「呪い?」
ジャンが神妙な顔をし、ラルバが怪訝な顔をしている。しかし、どれだけ耳を澄ませても、やはり会話はあまり聞き取れない。
「魔法を使える者、即ち魔族や混血児は、一様に魔力を体に有しています。その力は第二の生命力と言っても過言ではなく、魔力の増減によって体の調子が変わるほどです。当然、生命力と同じに等しいですから、限度があります。持ち合わせた命を脅かさないために、自身が扱える魔力に制限がかかるのです。ただ、それでは強い魔法は使えません」
「……じゃあ、どうやって強力な魔法を扱う?」
少し焦れながらも、ラルバが何とか堪えているのが見える。発せられた声は、急く心を無理やり抑えたような暗い響きに満ちていたように、マリアは感じた。
「大地の生命力を借りるのです。魔法を使う際に、自分だけではなく大地の力を共に使うことによって、魔法はその質を増します。大地から力を吸い上げるのが上手な者ほど使う魔法も強力ですし、同時に魔力を必要以上に使役することもできる。その反面、魔力に蝕まれやすい」
「蝕まれる?」
「はい。大地の生命力は、魔力にとって劇薬なのです。その力を借りて魔法を使うと、自身の魔力と徐々に溶け合っていきます。少し程度ではそこまで体に影響はないのですが、異常なほどに使ってしまうと、体はどんどん蝕まれます。気づいた時には、手遅れでしょう。病ではないので治ることはありませんし、魔力を体から失くすこともできない。大抵は死ぬまで、害となった魔力に苦しめられるそうです」
「治せない……。だから、呪われたと言ったのか」
沈痛な面持ちでジャンが頷くが、まだ何か言いたそうにしている。
ラルバが頷き、続きを促す。再び、ジャンが重い口を開いた。
「あくまでこれは、普通の魔族や混血児の話です。お父さんから叩き込まれ、魔族にはそうなる者が稀にいると、味方の魔族から聞いたので、多分間違いないでしょう。けれど、マリア様は違う。マリア様の呪われ方は、ぼくが聞いたものとはどこか違う」
「どういうことだ? 何が、どう違うのだ」
「魔力に呪われた者は、身体が蝕まれるだけではなく、その力に意識が支配されるそうです。それに例外はなく、呪われた魔力が他の魔力を求めよと命じ、奪おうとさせるそうです。自分の渇きを癒すために、半ば理性を失いながら、呪われた者は魔力を追い求めて奪い取っていき、それでもやがて力尽きる。ですが、今のマリア様は、魔力を奪っているだけではないように思えます。別の何かが、あるような気がするんです」
「もったいつけて言うなよ、ジャン。はっきりと言え」
「ぼくだって、確証はないことなんです。あくまで憶測で、でもそうだとしか考えられないことなんです。本当だったら、口にするのだって嫌ですし、信じたくないんです」
泣きそうなジャンが、一度マリアの方へと顔を向けた。マリアは意識を取り戻していたが、どうやらジャンが気づくことはなかったようだ。視線をラルバに戻し、意を決して口を開く。
不思議と、声が微かに聞き取れた。だがそれは、聞こえないほうが幸せな内容だった。
「……マリア様は、命を奪っています。人や動物、この世に生けるものの何もかもから、生命力を奪い尽くそうとしています。それも、マリア様が存在しているだけで、無意識のうちに」
ジャンの言葉に、ラルバは顔を引きつらせて絶句していた。
だがそれ以上に、マリアは動揺を隠せなかった。ぼんやりとしていた意識が急激に冴え、体のだるさも一時忘れた。ただ、激しく動揺しているからか、金縛りにでもあったかのように体は全く動かせない。
加えて、衝撃から心を守るためか、耳には雑音が入り混じり、話の内容は途切れ途切れにしか聞こえなくさせていた。
「……確か、なのか? そんなことが、本当に起きているのか?」
「憶測に過ぎないので、多分としか言いようがありません。ですが、マリア様の傍にいると、ぼくは自分の力が抜かれそうになってきます。魔力、そして生命力を、そっと奪われそうになります。ぼくは自分の周りを魔法で身を守っていますから、今は何とかなっていますけど」
「大丈夫なのか、ジャン?」
「ぼくは大丈夫です。でも、他の人はそうはいかないんです。既に、何人もここで突然死んでいます。皮肉にも、マリア様が以前傷を治された方から、命を失くしています」
「傷を治して貰った人から……。彼らは、魔力によって傷の治癒を速めた。まさか……!」
一瞬考えこみ、ハッとしたラルバが、ジャンを見つめた。ジャンが、悲しげに頷く。
「マリア様は多分、魔女となられた頃から呪われていたんだと思います。当然、治癒の魔法を使った時も、魔力は呪われていた。呪いの魔力は彼らの傷を癒した時に、代償のように生命力を人知れず奪っていったのでしょう。奪わなければ、強大な魔力を保つことはできないはずですから」
それに、とジャンが一度言葉を切ってから、言葉を続ける。
「マリア様の周囲の緑は、いつも枯れた色をしていたんです。今の季節ならば緑の葉をたくさんつけ、広がっていくはずなのに、もう死んだ色をしていたものもありました。今思えば、近くの自然の生命力も糧としていたのかもしれませんね」
「それが、マリアの力の真実か。あれほど異常な魔力はどこから来るのかと思っていたが、まさか別の命からだとはな……」
険しい顔をしたラルバが、ジャンの両肩をがしっと掴む。唐突に、それでいて力強かったからか、ジャンがびくりと体を震わせた。
「どうにかする方法はないのか? このままでは、マリアは望まない命まで奪ってしまう」
「ぼ、ぼくにだって、どうすればいいのかわからないんです……。ただでさえ、呪われた魔力をどうにかできたという話は少ないのですから」
「少ないということは、解呪の方法があるのか?」
「普通、と言っていいのかわかりませんが、その魔力に冒された人が救われたという話は、いくつかあるみたいなんです。でも、どうやってかはわからないですし、少なくともマリア様のように強力な呪いではなかったようです」
「それでも、可能性はあるわけか……」
手を顎に当てて、ラルバが考え込む。焦慮に駆られているのか、額から大粒の汗が頬を伝い、顎から滴り落ちている。
「ジャン、このことはマリアには言わないでおこう」
「ど、どうしてです?」
「魔女になったとはいえ、本当は心優しい人だ。自分が、ただいるだけで周りを死なせていると知ったら、どれほど嘆くだろうか。そんな辛い思いを、僕はさせたくない」
「でも、このことはどう説明すればいいんです?」
「魔法を使い過ぎたことによる弊害と、軽い病が重なったということにしておけ。魔力のことに詳しいお前が言えば、信憑性は高いと思ってくれるだろう。これまで無理をし過ぎていたし、実際に血を吐いてしまったんだ。多少の疑問は抱いても、納得せざるを得ないはずだ」
もう一度、ラルバがジャンの肩を掴む。今度は、ジャンは全く怯えた素振りを見せなかった。
「いいか。難しいかもしれないが、できるだけ魔力を使わせずに、後ろに控えさせておくんだ。ただでさえ、何もしなくても生命力を奪ってしまう今、魔力を使ってしまったら足りない分を補おうとするだろう。そうなれば、余計に死ぬ者が出てくる」
「わ、わかりました。ぼくが、ずっと付きっきりで見てます。可能な限り、魔法を使わせないようにしてみます」
「よし。僕はすぐに、解呪の方法を捜索できる者を選抜する。一刻も早く、手立てを見つけなければ」
ラルバが勢いよく立ち上がり、大股でこの場を後にしようとする。その足がぴたりと止まり、ラルバは一度ゆっくりと振り返った。怖いほどに真剣になった顔が、そこにはあった。
「必ず、君を救う手立てを見つけてみせる。僕の、全てを懸けて」
決意に満ちたその言葉は、雑音が入り混じる中でもマリアの耳にちゃんと届いた。ただ、それに反応することはできず、動揺する瞳をそちらに向けることしかできない。
ラルバもまたマリアの視線には気づかず、再び前を向いて歩き始めた。
「ま、待ってください、グランツ様! まだ、話が!」
ジャンが慌ててそう言っていたが、ラルバは聞く耳を持たず、足早にこの場から去ってしまった。
取り残されたジャンがすぐに追いかけようとしたが、何かを思ったのか、足を止めて考え込む素振りを見せた。
「……何だろう。何か、変だ」
ジャンが、周囲を何度も見回しながら呟く。何かを察知しようとしているのか、今まで見たことがないほど、ジャンの顔には真剣なものが満ちていた。
「わからない。けど、マリア様の呪いは、やっぱり普通じゃない。生命力を吸い上げてることに隠れて、何かある。ぼくたちが見落としている、何かが」
ジャンが呟くようにそう言った時には、マリアの耳からは雑音が消えていた。当然、その言葉はちゃんと聞こえ、動揺するマリアの心にさらなる波紋を立てた。
考え込んでいたジャンが、思い出したように足を進め、速足でラルバの後を追う。
この場には、マリア一人が残された。
マリアは布団を頭まで被り、深く目を閉ざした。今、聞いたことを忘れたい。そう願っても、衣擦れの音さえしないこの静かな部屋の中だと、どうしてもさっきの言葉ばかりが頭の中で反響してしまう。
「わたしは、どうしてしまったのかな……?」
答えを求めるように呟いても、誰も答えてはくれない。いや、本当は答えなどいらない。自分に起きている真実を知るのが、マリアは怖かった。
せめて、眠って忘れよう。そう思って目をぎゅっとつぶっていても、睡魔はなかなか訪れてはくれなかった。




