魔女の章 5
南門は反乱軍が制圧し、逃げようとする人々を次々と剣の錆にしていた。中には執拗に抵抗する者もいるようだが、そういった猛者はラルバや隊長格の騎士が、瞬く間に仕留めていった。
都市の中心にまで入ると、そこは地獄の様相をなしていた。
逃げ惑う人々が、一方的に凶刃の餌食となっていく。助けを願う声も虚しく、銀色の光を照り返す刃をその身に深々と受けて、赤い飛沫を上げて倒れ伏す。その凶刃の持ち主は目に狂気の光を宿しながら、次の獲物を探し求めて駆け回る。そんな光景が、目に映るだけでも数えきれないくらいに現れていた。
頑強に抵抗する人も、やはりいる。しかしそれらは、魔族の使う魔法に阻まれ、その隙に白刃が閃くと、虚しく骸を晒していった。
立ち並ぶ建物には火が放たれ、赤々とした炎が踊り狂っている。そこから舞い上がる黒煙が空を煤色に染め、吹き抜ける風は砂利と土埃を地上にいる人々に叩きつけてくる。しかし、物言わぬ屍と化した人だった者たちには、そんなものは何も気にならないだろう。
その真ん中の道を、何でもないかのようにマリアは悠然と歩く。
しばらく歩いていると、一人の重装の甲冑を纏った騎士が、不意に目の前に飛び出してきた。大分人を斬ったのか、白の鎧は血で真っ赤に汚されている。
味方か、と一瞬思ったが、違うとすぐに判断した。振り上げられた剣からは、あからさまな敵意が放たれていた。
「この交易都市は守り抜く! 何があっても!」
「そう。できればいいわね」
怒鳴るように叫んだ言葉に冷たく返し、マリアは右手を軽く上げ、握る。
騎士の体が瞬く間に燃え上がり、もがく間もなくその体は嫌な音を立てて潰れた。
原型のない死体に一瞥さえくれることなく、マリアは歩き続ける。反乱軍以外ですれ違った人は、全て焼き殺した。
マリアの姿を認めたのか、どこからか高々と声が上がる。反乱軍の人々が各々の得物を天高く掲げて、マリアを出迎えているようだ。
「皆、油断するな。これは見せしめだ。徹底的に殺し尽くせ」
冷たい声音が、喧騒の中でもよく通る。味方は狂気に冒されたように走り出し、また殺戮を繰り返す。
ふと思い出し、マリアは漆黒の翼を生やしては、中空を舞った。港から、三艘の大きな船が海に出ている。そこにいた人々は全て船に乗ったのか、港町だけはがらんと静まり返っていた。
――船は、三艘だけだった。
他に船はなく、港も静かだから、あの三艘に乗ったのがそこにいた全員だろう。
船が港から大分離れてから、マリアは右腕を一度投げるように大きく振った。
西門の瓦礫の一部が、船に向かって飛んでいく。一部と言っても大きさは大岩ほどもあり、それは寸分違わず三艘の船に落ちていった。
船は真ん中から大穴を開けて圧し折れ、残った船首と船尾も次々に飛来する瓦礫に押し潰され、跡形もなく海に沈んだ。人も、多分そうだろう。中にはもがきながら泳いでいる人もいるようだが、港まではそれなりに距離がある。
それらから関心が失せ、マリアは地上に戻った。
地上に戻ると、またゆっくりと歩き回り、逃げ惑う人を殺し回った。みんな、死んじゃえばいいんだ。一度そう呟き、胸に暗い炎が燃え盛るのを感じながら、殺戮を繰り返した。
どれくらいの時を、そうしたのだろうか。
いつの間にか、北の門の辺りまで来ていた。周囲には人の姿がなくなった。闘争の気配は、いつの間にか大分遠ざかっていた。まだどこかで悲鳴や刀槍の響きは聞こえてくるが、それほど多くはない。
一人の騎士が、また駆け寄ってきた。しかし今度は、敵意はない。
「この都市にいた者たちは、ほとんど討ち果たしたそうだ、魔女殿」
ラルバだ。鎧を、右手の剣を元の色が見えないくらいに赤く染めた彼は、さすがにいくらか息が上がっていた。
そのラルバに、マリアはそう、とだけ返した。作戦が成功しても、何の感慨も湧かない。寧ろ、まだ足りないという衝動に駆られているような気がする。
近くで呻き声が上がり、マリアはその方に顔を向けた。微かに息のある人間が、何とか立ち上がろうとしているところだった。
その人間を、まるで嘲笑うかのように、マリアは炎で包み込んだ。もがく間もなく、その姿は消し炭と消えた。
「ここだけじゃ、まだ足りない。この近くにある村も、このまま攻め落とせ」
無意識のまま言ってしまい、はっとした時には、ラルバは頷いて大声でマリアの命を伝え回っていた。
すぐに多くの人たちが集まり、整然とこの場を去って行く。傷を負った者はこの都市で損壊を免れたところに集められ、応急処置をすることになったようだ。ラルバが去り際に、そんなことを呟いていた。
この場には、マリア一人が残された。焦げた木材の臭いと、広がる血の鉄臭さがこの上なく不快だ。
辺りを見渡せば、凄惨な光景が広がったままだ。人は死に絶え、建物もその体をなしていない。見ていると心に索漠としたものが吹き荒んできて、マリアは救いを求めるように空を見上げた。
立ち上る黒煙で、空はくすんだ色をしていた。それが、より虚しさを思わせる。
「……あなたはきっと、望んでいないんだろうな。わたしがこんなことをするのを」
ぽつりと、吐き出すように口にする。そんなつもりはなかったのに、自然と言葉は零れてくる。
「……でも、ダメなんだ。わたしは、どうしてもこの国が許せない。許すわけには、いかないの」
視界が潤み、雫が一つ、瞳から零れ落ちた。
堪えきれず、もっと涙を流してしまいそうだったが、それは不意に聞こえた引きずるような足音によって引っ込められた。
そちらに目を向けると、見たことのある顔と目が合った。
「あなたは、ヨルダ……?」
左肩を押さえ、ぼろぼろの体を無理やり動かしてこちらへ向かって来るのは、間違いなくヨルダ・フランドルだ。彼女もまたこの殺戮の渦に巻き込まれたのだろう、白を基調とした衣服はぼろぼろになって薄汚れている。左の肩は深い傷でもあるのか赤黒い染みが滲み、額からはとめどなく血が流れていた。
それでも、目の光は強いものを放ち、マリアを捉えて離さない。
「巫女殿。なぜ、このようなことを……!」
口の端からも流れる血を拭うこともせず、ヨルダが怒りに満ちた声音で言う。
「この交易都市は、この国の命。そして何よりも、あの人が認めてくれた、大切な場所。それを、どうしてこんな……!」
「あの人って、もしかして」
言いかけて、マリアはやめた。わざわざその人の名を口にして確認するほど、マリアは鈍感ではない。
「……復讐のためよ。大切な人を奪ったあの男に思い知らせてやるために、ここを見せしめにさせてもらったわ。だってわたしは、もう巫女ではなく、魔女なのだから」
咄嗟に、マリアは別の言葉を口にした。
やはり、と呟いたヨルダが歯ぎしりし、向けてくる怒気が膨れ上がった。
「あの男のしたことは、間違い以外の何物でもなかった。あの男のせいで、たくさんの大切なものが失われてしまった。だけど、ここまでやる必要があったとは、わたくしにはどうしても思えない……!」
「必要だったわ、どうしても。だって、あの男にも思い知らせてやらなきゃ。大切なものを奪われていく絶望を、失っていく恐怖を。ジードは、それを抱きながら死んだのだから」
「その名を、気安く呼ぶなっ!」
ひと際高い声で、ヨルダが叫ぶように言った。
気が昂り、肩で息をしているヨルダが、何とか平静を取り戻してから口を開く。
「……あなたのような慮外者が、陛下のことを語るな。自分のことばかり大事にして、他のものに目が行かなくなったあなたが、自分ばかりが正しいかのように語るな」
「わたしは、ちゃんと見てるつもりよ。死んだあの人の無念も、人の心の儚さも、醜さも卑しさも、ちゃんと見てるつもりよ」
「いいえ、あなたは何も見えていない。少なくとも、わたくしの心は全くわかっていない」
静かに、それでいて怒りに満ちた強い声で、ヨルダが続ける。
「陛下が亡くなられてから、わたくしは自分の不明を嘆いた。わたくしがあの男の言葉に惑わされなければ、きっと違う結末が待っていた。そう思うと、後悔で身が捩じり切れそうだった。後悔だけでは足りなくて、あの男を毎日憎んだ。許せなくて、でもどうすればわからなくて。ただ徒に、精兵を鍛えることしかできなかった」
「どうして? どうしてそれだけなの? 本当にあの男が許せないのなら、あなたも何かすればよかったじゃない」
「あなたは何もわかっていない。あの日から、まだひと月も経っていない。何かなど、できるはずがない」
ヨルダの血に濡れる右の頬に、透明な雫が混ざった。
「わたくしだって、あの男は許せない。陛下を奪ったあの男を、何としても裁きたい。でも、そんなに早く、手立てが整うはずがないのだ。わたくしは、あなたとは違う。あなたと違って、何もできない無力な人間。だからこそ、時間とこの場所が必要だったのに」
俯いたヨルダの足元に、ぽつりぽつりと涙が落ちる。
「……これからだった。このままじゃいけないと思い、何かをなそうと、これから始めようと画策し始めたところだった。けれど、もうそれは叶わない。わたくしに残ったのは、このちっぽけな命一つのみ」
顔を上げ、鋭く睨みつけるヨルダの双眸に、確かな憎悪が宿った。
「わたくしは、あなたも許さない。無辜の民を巻き込み、平然と非道をなすあなたを、決して許さない。たとえ、亡き陛下のために、力を尽くしているのだとしても」
「……わかってるわ、ヨルダ」
焼けるような憎悪に満ちた双眸を冷たく見つめながら、マリアは左手を一度振る。北の門を閉ざす瓦礫の一部が、瞬く間に消し飛んだ。
そちらに一瞬目をやったヨルダが、驚きを入り交えながらマリアを見つめ返してくる。
「一度だけは見逃すわ、ヨルダ。でも、次はない。もしももう一度わたしの前に立つようならば、今度は容赦なく殺す」
だから、とマリアは右の口角を吊り上げながら、言葉を続ける。
「せいぜい、必死に生き延びてね」
「くっ……!」
悔しさと憎しみがない交ぜになった顔をしたヨルダが、敵意を目いっぱい向けてくる。しかしそれも僅かな間で、ヨルダはさっとマリアに背中を向け、傷ついた体を引きずりながら北の門の隙間から出ていった。
その背を、マリアはしばらく見送る。悲しみが襲い掛かり、視界がまた滲んで揺らいだが、その気持ちを無理やり抑え込もうとは思わなかった。
「……ごめんなさい、ヨルダ」
精一杯の後悔を込めて、ぽつりと呟く。
何もかも、極端だったのは否めない。憎しみに突き動かされすぎて、必要以上のことをしたのも違わない。それで誰かに憎まれるのも、当然としか言えない。
もう、過ちしか起こしていない。そしてそれは、悲劇しか生まない。そんなことは、心のどこかでわかっていた。わかっていても、もう止めようがなかった。もう、命を多く奪ってしまっている。今更立ち止まろうにも遅すぎる。
――わたしは、やるしかないんだ。だから。
本当に、ごめんなさい。
これほどまでに人らしい心を感じたのは、いつ以来だろうか。
堪えきれずに溢れ出した涙を流れるままに任せ、マリアはもう一度、口の中で謝った。




